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【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その15

1 :人間七七四年:2012/04/16(月) 17:24:57.11 ID:vGC+Nu5V
スレ分散しても過疎るだけなので、
徳川家・松平家と家臣団まで包括するスレです。

人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな


2 :人間七七四年:2012/04/16(月) 22:08:28.57 ID:0L806Jb+
新スレのお陰で、認識しながら
亡くなった日を迎えられる (´・ω・`)

西暦変換だと日付変だけど、
ちょうど39*年前に亡くなったで良いの?

3 :平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2012/04/20(金) 09:17:51.22 ID:iFxIUUre
「不自由を常と思えば不足なし」今の座右の銘。

4 :人間七七四年:2012/04/20(金) 20:50:57.27 ID:8sE/CTLB
ダイソーに

「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず」

と書かれた楯が置いてあったので買ってきた/210円

5 :人間七七四年:2012/04/20(金) 22:07:45.99 ID:eymtWZy2
家康死後の後世の作ともされるけど家康の人生をうまく表現できている
含蓄ある文だよな

「及ばざるは過ぎたるより勝れり」も好きだ

6 :人間七七四年:2012/04/21(土) 17:29:16.62 ID:g4AjJnm6
前スレ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1320656201/

7 :人間七七四年:2012/04/24(火) 12:47:59.33 ID:N3jlIj36
http://www.discovery-museum.com
連休暇な人はどうぞ

8 :人間七七四年:2012/04/25(水) 05:00:25.85 ID:srABQ6Uh
現代の日本人に足りないのは家康的思考。

9 :人間七七四年:2012/04/25(水) 16:52:31.02 ID:KO++OA1w
801 :人間七七四年:2012/04/24(火) 20:26:53.27 ID:h79d/JCj
明治まで松平姓名乗っていた久松さんが怒るよ

真面目な話すると松平氏って新田の流れの可能性高いんでしょ?
それなら義家公の流れも嘘ではないだろ

804 :人間七七四年:2012/04/24(火) 20:59:09.84 ID:h79d/JCj
まあ名を成した後は血統にカリスマ持たせる必要も出てくるけど(名を成せば自然と血にカリスマが宿る面もある)、
基本、武家は血筋誇るより武勇と情けがあるかどうかだ。
義家公に武士は己の卑賤をわきまえよ!の教えがあるくらいだし

806 :人間七七四年:2012/04/24(火) 21:08:36.26 ID:h79d/JCj
>>805
で、アナタは2ちゃんで他家を口汚く罵る程度の家柄だというわけだね(笑)

808 :人間七七四年:2012/04/24(火) 21:23:45.86 ID:h79d/JCj
>>807
・・・・あんたスゲーな
自分のレス見返してみなよ
そんな風な観点には読めないが。
だが、そのサッパリとした気性は面白い(笑)

10 :人間七七四年:2012/04/25(水) 20:27:40.11 ID:+aQh3IwB
ほんとだw

11 :人間七七四年:2012/04/25(水) 22:43:24.36 ID:hi8M40//
足利尊氏は、隠岐を抜け出し船通山にたてこもった後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作の宿で三河在国の足利党の19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。

19家とは

01.西条吉良氏■後に将軍御一家
02.奥州吉良氏■後に奥州管領家、関東公方御一家
03.今川氏■後に九州探題、守護職
04.一色氏■後に四職家、九州探題、守護職
05.仁木氏■後に室町幕府執事、守護職
06.細川氏■後に管領家、守護職
07.斯波氏■後に管領家、守護職
08.戸賀崎(荒川)氏■後に守護職
09.畠山氏■後に管領家、守護職
10.桃井氏■後に守護職
11.渋川氏■後に将軍御一家、九州探題
12.上野氏■後に奉公衆
13.岩松氏■
14.石塔氏■後に奥州総大将、守護職
15.鹿島氏■
16.粟生氏■後に奉公衆
17.倉持氏■後に奉公衆
18.高氏■後に室町幕府執事、守護職
19.上杉氏■後に関東管領家、守護職

太平記第20回「足利決起」
http://www.youtube.com/watch?v=w5APWchJ-m0


12 :人間七七四年:2012/04/25(水) 22:45:06.29 ID:hi8M40//
■元弘の変(1331〜1333年)当時の後に室町幕府の支配層(西三河武士団)■

【岡崎市中心部地区/現在の岡崎城周辺】
・三河守護所
・額田郡公文所(所領の管理他、鎌倉末期(1310年頃)は尊氏の母方の祖父(上杉頼重)が担当)
・矢作東宿(足利宗家が経営する宿泊施設)
・高氏(足利被官、室町幕府執事、守護職)の屋敷(高一族没落後、一族唯一の菩提寺(総持寺)が屋敷跡に建てられる)

【岡崎市北部地区/岡崎市中心部地区より北に5キロ】
・足利宗家の屋敷(大門屋敷)、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・上杉氏(足利被官、関東管領家、守護職 )の屋敷(日名屋敷)
・倉持氏(足利被官、奉公衆)の屋敷(便寺屋敷)
・仁木氏(足利一族、幕府執事、守護職)の城(仁木城)
・細川氏(足利一族、管領家、守護職)の3つの城(細川御前田城、細川城山城、細川権水城)

【岡崎市東部地区/足利宗家の屋敷より東に10キロ】
・粟生氏(足利被官、奉公衆)の2つの城(秦梨城、秦梨城山城)と屋敷(梅藪屋敷)

【岡崎市南部地区/足利宗家の屋敷より南に10キロ】
・上地氏(足利一族、細川氏分家)の城(上地城)
・上地氏(足利一族、仁木氏分家)の屋敷

【豊田市中心部地区/足利宗家の屋敷より西に15キロ】
・上野氏(足利一族、奉公衆)の屋敷
・中条氏(足利被官、守護職、奉公衆)の城(金谷城)

【岡崎市西部、豊田市南部地区/足利宗家の屋敷より南西に4キロ】
・斯波氏(足利一族、管領家、奥州管領家)の屋敷(跡地に永源寺)
・石橋氏(足利一族、将軍御一家、守護職)の屋敷

【西尾市幡豆郡地区/足利宗家の屋敷より南に15〜20キロ】
・西条吉良氏(足利一族、将軍御一家)の屋敷と城(西条城)
・奥州吉良氏(足利一族、奥州管領家、関東公方御一家)の屋敷と城(東条城)
・一色氏(足利一族、四職家、九州探題、守護職)の屋敷
・今川氏(足利一族、将軍御一家、九州探題、守護職)の城(今川城)
・荒川氏(足利一族、戸賀崎氏分家、守護職)の城(戸ヶ崎城)

13 :平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2012/04/27(金) 05:34:17.69 ID:V59P7CpG
あげ

14 :人間七七四年:2012/05/04(金) 04:37:20.81 ID:9WTPouXs
本日、和歌山県九度山町では徳川に抗った真田父子の祭
しかし9日後に和歌山市では東照大権現の例祭の和歌祭

どっちやねんw

15 :人間七七四年:2012/05/04(金) 15:49:44.09 ID:eu4j2yTl
ただの地元ひいきだろw

16 :人間七七四年:2012/05/06(日) 18:13:36.36 ID:UPs70cGM
家康は秀吉と比較すると戦の手腕が劣るな
小牧長久手関連で如実に現れてる

17 :人間七七四年:2012/05/06(日) 18:49:51.74 ID:7Xwe9kh2
7倍もの圧倒的兵力差で短期決戦挑んで大敗して一年一杯かかって
北畠の傀儡状態&尾だけで最も無能な信雄の領国尾張半分すら切り取れない醜態ぶりなのに
よくそんな妄言はけるね

秀吉なんて家康がおろか信雄以下だろ

18 :人間七七四年:2012/05/07(月) 17:37:54.77 ID:YA3zz1qP
小牧長久手の家康の軍略は見事で、秀吉を出し抜いたあの一戦で武勇を高めたと言っていい

19 :人間七七四年:2012/05/08(火) 00:22:37.82 ID:dNb/KpBV
家康は過敏性腸症候群だったみたいね
ということは、屁が出やすい体質だったかもな。

20 :山口利仁:2012/05/08(火) 15:19:29.31 ID:6V4x6oSl
    
「高月整形外科病院(東京手の外科・スポーツ医学研究所)」経営の八九十会が民事再生法を申請

東京都八王子市に本拠を置く医療法人社団「八九十会」(山口利仁理事長)は、5月7日付で東京地方裁判所へ民事再生法の適用を申請したことが明らかになりました。
1993年に整形外科外科を中心とする「高月整形外科」として診療を開始し、医療法人社団として設立すると、その後は建物の改築や分院設立などに加え、バレエ教室や飲食店、エステなど医療との関連の薄い領域へも事業を拡大していました。
しかし、積極的な設備投資が裏目となり経営が悪化すると、患者数の減少もあり資金繰りが逼迫したため、自力での再建は困難と判断し今回の措置に至ったようです。
信用調査会社などによると、負債総額は30億円弱の見通しです。


21 :人間七七四年:2012/05/09(水) 23:33:33.00 ID:UmqehaqY
ひさびさにきたが、百姓たんはどうなりました?

22 :人間七七四年:2012/05/09(水) 23:48:29.52 ID:dDoCapkU
死んだんじゃないの?

23 :人間七七四年:2012/05/10(木) 08:58:24.28 ID:wgYc0IXl
家康て精力絶倫だったらしいな。
晩年は加藤茶もびっくりの年の離れてるお六の方とか。
セックスする時はお六の方が上に乗ってやったんだろう。
爺さんが腰動かしたら死んじゃうからな。
お六の方も爺さんとエッチするの嫌じゃなかったのかな?

24 :人間七七四年:2012/05/10(木) 11:49:47.48 ID:YgqVjPmK
毎日玄米食べてたからな。
健康にいいわけだ。

25 :人間七七四年:2012/05/11(金) 01:12:18.90 ID:LOhirLL6
幸潤と青汁、ローヤルゼリーも

26 :人間七七四年:2012/05/14(月) 16:53:08.65 ID:2gXCDXai
>>23
息子の秀忠も絶倫だね。お江との間に7人もだから。

27 :人間七七四年:2012/05/14(月) 16:56:52.87 ID:RLlht0cO
オマンコ舐められクイーン、長野美郷
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28 :人間七七四年:2012/05/15(火) 20:49:22.80 ID:8pGTpXji
◆源頼朝◆父方:源義朝、河内源氏  母方:由良御前、藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡)

■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡)
・母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、都を下り豊田に土着、高橋荘・高橋新荘を立券し皇室に寄進、後に岡崎に移り住む
・その息子藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)

■高橋荘(愛知県豊田市)
・藤原季兼(三河四郎)は妹の息(高橋惟康)を領主に、後に高橋一族は駿河に移住し初代大森氏に、頼春が小田原城築城
・源頼朝の実弟(八田知家)の家系(中条氏)が代々地頭

■高橋新荘(愛知県豊田市)
・荘官の足助氏(足助重長)から、源頼朝の嫡男である頼家に室を出し、生まれた子供が実朝を暗殺した公暁

■菅生郷(愛知県岡崎市)
・荘園としては立券されず、後に足利義兼が実母の実父(藤原範忠)から相伝されたもよう
・郷司は足利被官の高階惟長(源義家四男の家系)、惟長は源頼朝から軍功により、陸奥国信夫郡の地頭職を与えられ

29 :人間七七四年:2012/05/15(火) 20:50:00.03 ID:8pGTpXji
【鎌倉幕府】

■頼朝姻族(将軍御一家、源頼朝の女系一族、足利家、一条家、北条家の3家)
・足利義兼:河内源氏、上総介、幕府内序列2位、母親が頼朝の母と姉妹(藤姓熱田大宮司家/本貫地:三河国額田郡)、母方から菅生郷(愛知県岡崎市)を相伝、嫡男が足利氏として初めて三河守護

■関東御分国(将軍家が知行国主とし、国司は将軍家が推挙、当初(頼朝時代)は三河国、駿河国、武蔵国の3ヶ国後に9ヶ国)

国司一覧
・三河守:源範頼(河内源氏、頼朝異母弟、室は安達盛長(三河守護、室は丹後内侍(比企氏))の娘)←頼朝が初めて推挙した事例
・駿河守:源広綱(摂津源氏、古井城主(愛知県安城市)、実兄が伊豆守になり、伊豆に移住、頼朝と懇意となる)←太田道灌の先祖
・武蔵守:平賀義信(甲斐源氏、室は丹後内侍(比企氏)の妹、従兄弟(方原師光)が三河国形原荘荘官)
・伊豆守:山名義範(河内源氏、実父は矢田城主(愛知県西尾市)の矢田義清(足利義兼(上総介)の兄、孫が初代細川氏の細川義季))
・相模守:大内惟義(甲斐源氏、平賀義信(武蔵守)の息)
・上総介:足利義兼(河内源氏、幕府内序列2位、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡))
・信濃守:加賀美遠光(甲斐源氏)
・越後守:安田義資(甲斐源氏)
・伊予守:源義経(河内源氏、頼朝異母弟)

■政所(一般政務・財政を司る)
・別当:大江広元(牛田城主(愛知県知立市)、五男(海東忠成)が熱田大宮司家に養子入り、娘が高階惟長(菅生郷(愛知県岡崎市)郷司)の室)
・令:二階堂行政(母親が頼朝の祖父(初代藤姓熱田大宮司/本貫地:三河国額田郡)の妹、岐阜城を築城)

30 :人間七七四年:2012/05/15(火) 21:41:17.83 ID:VjLQDzDY
江戸時代の譜代大名ってにわか譜代も多いな。
今川や武田の旧臣とか。
関ヶ原後、今川や武田の家臣も譜代とされたけど家康は今川や武田の旧臣を譜代家臣と認識していたのかな?
後々はともかくこのあたりではせいぜい外様大名よりは信用できるかってレベルに見えるが・・・

31 :人間七七四年:2012/05/15(火) 22:31:26.52 ID:GX1vLRxE
>>30
信用という点では臣従時期より、当人の態度やらの方が気になるだろう。
外様でも高虎みたいな扱いもあるしな。

むしろ譜代家臣同士の感情の方がいろいろありそうだ。

32 :人間七七四年:2012/05/15(火) 22:43:53.36 ID:VjLQDzDY
>>31
譜代家臣同士、というと?

33 :人間七七四年:2012/05/15(火) 23:35:55.67 ID:S74RBJGT
>>21
彼はまじめな話去年の大震災以後現れていない。百姓を名乗っているのは『平山貴士』らの偽者。

34 :人間七七四年:2012/05/16(水) 00:16:24.83 ID:vBRTEXAE
日本トップの地位でいながら、毎日玄米粗食を食べていたっところが本当にスゴイ。
大阪の橋下知事みたいな存在も必要だが、家康的政治家も必要だな。

35 :人間七七四年:2012/05/16(水) 00:30:05.62 ID:qhz0yOP9
>>32
いつから臣従したかで細かい区分けがあるんだよ。
三河物語とかでもこだわってるしな。

36 :人間七七四年:2012/05/16(水) 00:46:02.85 ID:g5iJ8RxL
>>35
三河譜代とか駿河譜代とかいうやつだろ?
今川や武田の旧臣は駿河譜代?

この駿河譜代ってのは江戸初期は「準譜代」的な感じだったのかな?

37 :人間七七四年:2012/05/16(水) 02:19:33.52 ID:vBRTEXAE
江戸時代は
三河武士が大半を大名として優遇され、
薩長が冷や飯食わされていたが、

現代は、三菱を代表とする薩長が優遇され、
三河系は社会の底辺にいる場合が多い。

38 :人間七七四年:2012/05/16(水) 07:15:10.20 ID:bb68/q1T
【平成17年度 指定都市+中核市(全51都市)の生活保護率】

48位豊橋市 0.35%
49位富山市
50位豊田市 0.28%
51位岡崎市 0.24%

全国平均  1.16%


【平成21年度 指定都市+中核市(全59都市)の生活保護率】

56位 豊橋 0.52%
57位 豊田 0.47%
58位 岡崎 0.42%
59位 富山 0.34%

全国平均 1.38%


厚生労働省調査から抜き出し

39 :人間七七四年:2012/05/16(水) 07:16:52.45 ID:bb68/q1T
【リーマンショック後の総所得ランキング】

総所得ランキングトップは江ノ電沿線、金融資産トップは京王井の頭線沿線。
リーマンショックで打撃を受けたのは近鉄長野線沿線――。

総所得ランキング
01位 江ノ島電鉄線(神奈川県藤沢市〜鎌倉市)
02位 阪急甲陽線(兵庫県西宮市)
03位 京王井の頭線(東京都渋谷区〜武蔵野市)
04位 東急東横線(東京都渋谷区〜神奈川県横浜市)  
05位 東急こどもの国線(神奈川県横浜市)

06位 東急田園都市線(東京都渋谷区〜神奈川県大和市)
07位 相鉄いずみ野線(神奈川県横浜市〜神奈川県藤沢市)
08位 東急目黒線(東京都品川区〜神奈川県横浜市)
09位 名鉄西尾線(愛知県安城市〜吉良町)  
10位 名鉄豊田線(愛知県日進市〜豊田市)

11位 東急大井町線(東京都品川区〜神奈川県川崎市)
12位 東急世田谷線(東京都世田谷区)
13位 小田急小田原線(東京都新宿区〜神奈川県小田原市)
14位 名鉄三河線(愛知県豊田市〜碧南市)
15位 東急池上線(東京都品川区〜大田区)


ソース:東洋経済オンライン
http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/a9f0b48216dc7b01346aec09db603d62/
ソースのソース:株式会社野村総合研究所 第2回全国のエリア別所得・金融資産を推計
http://www.nri.co.jp/news/2010/100330.html

40 :人間七七四年:2012/05/16(水) 08:38:24.68 ID:qhz0yOP9
>>36
三河物語は、安祥譜代、山中譜代、岡崎譜代。
駿河譜代は別のやつ。

41 :人間七七四年:2012/05/16(水) 09:09:35.67 ID:bb68/q1T
2000年以降 公立高校 東大合格者数推移 (*公立全国1位)


        浦和  千葉   岡崎  旭丘  土浦一 宇都宮 都立西 日比谷
2000年 *32   25    30   26    31    21   11    6
2001年   16   21    31   21  *32    18   13    3
2002年   28   19  *36   24    33    17   17    4
2003年   29   23  *38   22    32    15   25    5
2004年   22   23  *31   29    29    23   11    3
2005年   27   20  *28   21    26    21   18   14
2006年   16   23  *36   20    21    28   19   12
2007年 *33   20    26   28    28    24   16   28
2008年   33   19  *40   25    26    29   28   13
2009年   36   27  *42   19    16    26   15   16
2010年   29   22  *41   32    24    11   20   37
==================================
合計    301  242   379  267   298   233  193  141

42 :人間七七四年:2012/05/16(水) 22:33:18.10 ID:jdxXk4Gi
>>41
名門日比谷が復活したか石原の功績だな。

43 :人間七七四年:2012/05/17(木) 06:16:12.01 ID:7CZCGyfU
開幕で抜け殻みたいな三河人なのに、すげーなw

44 :人間七七四年:2012/05/17(木) 11:01:17.17 ID:Pfn0wDti
(ヾ(´・ω・`)鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス

45 :人間七七四年:2012/05/19(土) 11:19:20.78 ID:D5B87y5n
で、家康さんは、三成が死ねば、委員会?

まだ、前田利家が、今回は、生きてるぞ!

徳川VS前田 = 関東VS北陸。 どっちが勝つかな?

46 :人間七七四年:2012/05/19(土) 12:12:45.40 ID:ygFxHKUI
ツマンね

47 :人間七七四年:2012/05/19(土) 12:18:41.61 ID:RIwjgHq0
白峰さんの関が原本は詳しい人はどういう感想?

48 :人間七七四年:2012/05/19(土) 12:50:47.50 ID:ygFxHKUI
日本語でおk

49 :人間七七四年:2012/05/21(月) 13:11:51.03 ID:qbsHwhIS
>>47
前半は割と面白いけど後半が駄目駄目な印象。

前半は光成氏の「関ヶ原前夜」を下敷きにして石田毛利連合政権こそが
正当であり、家康は叛乱軍に落ちたと定義してる。

実際の影響とかスルーしててちょっと引いちゃうくらいベクトルが
偏ってるけど、これはこれで議論としてたはアリかなぁって感じ

後半の合戦部分とかは黒田家譜のまんまでそれまでに展開した議論が
まったく結びついてなくて笑っちゃうレベル

もう少しなんとかならんかったのかと思える微妙に残念な本

50 :人間七七四年:2012/05/21(月) 17:43:24.25 ID:dNC+KseF
>>49
さんきゅ。
特にオカルト主張じゃないのね。
最近は光成氏とか平山氏の本がよく取り上げられてて
細かい部分は語られてるけど、総合的な解釈はこれからという
感じだからどんなもんかと思って。

石田軍が正当に関しては、笠谷氏ほどの公儀性を
強調するのはまた議論が必要だろうが、前夜においては
十分家康が反乱軍というのは成立するんじゃないだろか。

大まかな根拠としては先に誓詞破りをしたのは家康ということで
これをうまく西西の内部抗争とか建前とかに摩り替えていったあたりが
よく語られてるわなぁ。

善悪とかになると勝ったほう視点になってしまうけど石田軍が
最初から悪者というのはさすがにいいにくいもんねぇ。

51 :人間七七四年:2012/05/21(月) 21:17:43.04 ID:XlFCy/5S
>>50
史料解釈がちと怪しいけどオカルト主張ではないね。

白峰氏のベースになってるのは当人の書いた↓の論文ね
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=dk05213

52 :人間七七四年:2012/05/22(火) 05:54:12.88 ID:agoL7ZqO
でも石田方の動員の正統性のほうがもっと怪しいでしょ。
家康は少なくとも豊臣公儀の命に従って上杉討伐軍を組織してるが、
西軍諸将はその後詰のつもりで上洛して、真空地帯になった畿内で三成に巻き込まれてるようなものじゃない。

それと、輝元がはたして三成と政権の方向性を共有してたのか?
長期戦前提で大坂城に滞軍する既定事実を作ること、それ自体が目的だったように思えるが

53 :人間七七四年:2012/05/22(火) 07:56:46.56 ID:gggpkjLb
>>52
大義を主張するのは、戦の常套手段だけどそれを根拠として
政権論を主張する白峰氏の論理展開が無理筋っぽい。

輝元の意識は本当に判らんね。
当人が主将として全軍に指示してる訳じゃないが、奉行衆の
いいなりかと言えばそうでもない。

三成以外の奉行衆についてもっと研究が進まないと全容は
つかめないだろうなぁ

54 :人間七七四年:2012/05/22(火) 11:13:02.27 ID:lgC1FgSt
>>51
どうもありがとう。

三成の「内府〜」でもこれを重視する見方と、「家康は鼻で笑ってたろう」と
する本がある感じ。大儀という面から見たら三成の方が手順をおっている
ようにも思うが、家康本では「そうするしか大儀と兵を集める根拠がなかったのだろう」
というようになってて、史実も思惑もそうなんだろうが妙に軽視するようにも感じる。
論点を、大儀、とか絞って検討した場合にどうなるのか。
一般本では「大儀はあっても意味がなかったろう」とか論点がごっちゃになってるから
そのあたりに少し不満があるというか。
やっぱり豊臣ひいき、家康ひいきみたいに前提があるから論点がごっちゃに
なってしまってるのかな、とか。

55 :人間七七四年:2012/05/22(火) 12:42:26.92 ID:Tfjf9koH
理念と現実を分けるのは良いけど、それだけで善悪決めるのは神学論争かと

56 :人間七七四年:2012/05/22(火) 21:04:11.19 ID:1XQadG93
>>54
武将たちが大義より利得で動いてるので、大義に絞った検討は
進まないんじゃないでしょうか。

内府ちがひの条々についても、その条文自体より奉行衆と
輝元、秀家が結託して家康に対決姿勢を示したという方が
意義深いですしね。

57 :人間七七四年:2012/05/22(火) 21:59:50.42 ID:lgC1FgSt
>>56
その、利得で動いてる、というのも一つの視点だと
思うのですよね。
武将によっては利得よりも恩顧の意味合いで行動しているかも
しれない。
もちろんそれも一種の利得ではあるのだけど、全員が豊臣家臣
であったのだからそこには差異が出てくる。

利得中心というのはやはり徳川よりの視点であって
三成たちからすると、家康から「みんなお家大事の利得だろ、何がちがひの
条だよ」と言われるのは心外かもしれない。

なので大儀とか正当性の検討が進まないのは、それをすると勝者家康の
立場が悪くなる、とまではいかないけどなんらかのマイナスにつながるのではないかと
思えたり。

だから白峰本とかの再検討というのに関心があったのだけど
あまり新味はないというらしいからね。
こういうところの方がよほどためになったりしますね。

58 :人間七七四年:2012/05/22(火) 22:11:24.74 ID:Tfjf9koH
その辺は家康が書状に長文を書かないというのが大きいかと

59 :人間七七四年:2012/05/23(水) 08:34:25.60 ID:jMUkPb36
>>57
西軍に大義があるという事自体が証明できてないから
なんとも言えない。

そもそも三成方も恩賞を約束したり自己の軍事的優位性
を喧伝する事で諸将を釣ろうとしてるので大義そのものは
建前程度の扱い。

ようするに大義と言うのは効果不明で取り方によっては
どうとでも解釈できるので検討する価値が薄いのだと思う。

60 :人間七七四年:2012/05/23(水) 11:38:48.37 ID:x60ybbmR
当時から三成の挙兵自体が謀反と認識されてるし、豊臣家もこれを支持していない。
西軍の大義は最初から破綻してるね。

内府ちがひの条々は、反徳川勢力の宣戦布告書でしかないわな。

61 :人間七七四年:2012/05/23(水) 15:34:31.60 ID:uOFjeZwl
家康に天下を渡しても良いと考えた大名→徳川方(東軍)
アンチ家康→大坂方(西軍)

62 :人間七七四年:2012/05/24(木) 00:22:50.62 ID:wo3JaK8S
例えば秀次事件でも秀次個人が死んでおしまいではなく秀次と親交があった大名も三成に狙われたわけで
内府ちかひの条々は徳川とそれに近しい大名への抹殺宣言文書と受け止められた
だから家康に天下を渡してもよいとまで考えていなくとも家康とある程度親交を持ってしまったら
東軍に付かざるをえないというのが実情でしょう
小早川も三成の讒言で課せられた所領没収処分を家康に解除してもらっている以上
内通をしたのは裏切りでもなんでもなくそれしか選択肢がなかった

63 :人間七七四年:2012/05/24(木) 02:09:43.53 ID:CgcdmOmV
ちょっと伺いたいのですが小牧・長久手の時、信長の旧臣はほとんど
秀吉に付いたけど(まあ信雄がバカだったせいもあるんだろうけど)
どんなに旧主君に恩があっても力ある者になびくのを目の当たりに
にした家康は秀吉の死後の彼の行動に影響を与えたのかなあ。。。。

64 :人間七七四年:2012/05/24(木) 10:18:50.37 ID:/fVlblj+
大儀、というのを公儀とかじゃなくて豊臣家家臣としての
行動に限定したらどんなもんでしょね。
60さんは豊臣も支持せず最初から破綻と言うけど
徳川に天下がわたった場合、豊臣恩顧筋は自らが
秀吉に対して大儀を果たしてないことになるでしょうし
そのぐらいのことは理解してたはず。
反徳川というところから始めると皆様の言うとおり
単に分裂して戦っただけなんだけど
どうして反徳川になったのか、最初に豊臣家臣団から
脱退行動をした家康というところから始めるとどうなんだろうと
いうところで。
この時点での大儀というのはどんなもんだったんでしょ。

65 :人間七七四年:2012/05/24(木) 10:27:03.23 ID:/fVlblj+
>>63
旧臣といっても力のないものばかりで、混乱の中
所領があるものは所領を、家族ぐらいでも家族を
守ってくれる秀吉はやはり頼りになる。
この場合は公儀というより大儀に近いのだけど
家康の秀吉後の行動は、大儀よりも公儀、に重点が
あるようにも思う。
このあたりのバランスというか論点の変更の仕方が
非常に完璧で、家康の場合はたまたまじゃなく計算して
やってるからそこが偉大と言うか素晴らしいというか。
要はどうなっても政治家としての器の違いで三成、西軍が
家康には勝てなかったろうなーとは思うのだけどね。

66 :人間七七四年:2012/05/24(木) 12:52:42.94 ID:gYJnyN6s
>>64
秀吉に対する大義って何だろうね。
豊臣家が滅亡するかもしれない大義なんて存在するのかね。
一番重要なのは、豊臣家が存続する事でしょ。
家臣筋の実力者と構えた信孝の道をなぞるのは愚かの極みでは?
そんな事を秀吉が望むとは思えないけど。

67 :人間七七四年:2012/05/24(木) 13:42:21.49 ID:OI4A2whW
>>64
まず誤字を正そう「大儀」は意味が違うからやめときなさい。

あと「大義」に置き換えても支離滅裂でしても意味が通らない
文章になってるから一旦、整理してもらいたい。


68 :人間七七四年:2012/05/24(木) 15:40:55.49 ID:CgcdmOmV
>>65
家康にとっては結果論、小牧・長久手の戦いは色んな意味で
関が原の戦いの良い教訓だったのかね。

69 :人間七七四年:2012/05/24(木) 22:19:45.08 ID:aNM+OUj6
家康って常に健康を考えて腹いっぱいになるまでは食べないように心がけ、粗食を好み、
鷹狩りとか運動習慣もあったはずなのに
なんで太ったの?

70 :人間七七四年:2012/05/25(金) 03:11:01.41 ID:qd/8RWhe


71 :人間七七四年:2012/05/25(金) 04:45:45.69 ID:odeJnF64
>>62
秀秋は伏見城攻めにも参加してるし、
西軍攻撃を実行した際、大谷吉継は烈火の如く怒り狂い、
戦後、東軍諸将でさえ、秀秋を裏切り者として蔑視し、世間も同じ見方なのだから、
君以外の万人にとって、秀秋は裏切り者。
東軍を攻撃していれば、秀秋は戦後の英雄に成り得たのだから、選択肢はしっかりあった訳だ。

72 :人間七七四年:2012/05/25(金) 06:12:12.53 ID:+OUi+8z5
>>71
講談脳乙

73 :人間七七四年:2012/05/25(金) 15:51:35.20 ID:VgEpYQzG
何で家康公はあんなに組織作りが上手いの?

参考文献とかあったのだろうか?

74 :人間七七四年:2012/05/25(金) 16:15:41.34 ID:CQRdDgJ3
関ヶ原で大手をまとめてドンできたのがついてたな

75 :人間七七四年:2012/05/25(金) 16:44:02.73 ID:C18TNvIZ
今川・武田・北条といった東国の統治システムを全て手に入れた結果だな

76 :人間七七四年:2012/05/25(金) 17:19:08.81 ID:VgEpYQzG
そもそも関が原が1日で決着付いたのとかがワケ分からん。
西軍は壊滅的だったっけ?

もし東軍負けてたら、秀忠勢で2回戦でしょ?

77 :人間七七四年:2012/05/25(金) 19:01:46.90 ID:CQRdDgJ3
ヤル気があった連中の数の差だわな

78 :人間七七四年:2012/05/26(土) 21:29:32.57 ID:2aXCrM2w
>>73
先人を研究し尽くしたからだと思う。
頼朝や信長や秀吉等を見習ったり反面教師にしたりして。

79 :人間七七四年:2012/05/26(土) 21:52:43.95 ID:lQMR9gXa
後北条家の研究もしてたっけ

80 :人間七七四年:2012/05/26(土) 23:37:06.70 ID:KWKr4uhL
>>76
野戦で正面衝突ならどんなに大規模でも一日で決着が付くという見本だろう
あのくらい勝敗がはっきりすれば負けたほうは2回戦どころでなくなる

家康にとって好都合だったのは表面上は西軍有利ぽかったこと
秀忠が真田に足止め食らわず間に合っていたら、三成が戦いを挑んでいたかどうか

81 :人間七七四年:2012/05/27(日) 01:28:20.62 ID:huX0iyPa
一番槍って徳川4男じゃ無かったっけ?

82 :人間七七四年:2012/05/27(日) 02:01:59.96 ID:iHBq6OBj
松平忠吉(寺泉憲)

83 :人間七七四年:2012/05/27(日) 07:34:39.36 ID:MX8f0TKF
井伊が補佐して、抜け駆けしてるね。

お陰で「吉例に習って」第2次長州征伐で井伊家が先陣切らされたという。

84 :人間七七四年:2012/05/27(日) 13:49:32.51 ID:iHBq6OBj
そして大村益次郎に大敗し、鳥羽伏見では勝手に撤兵しました

85 :人間七七四年:2012/05/27(日) 18:18:37.49 ID:j1u3Cfmq
それにしても、数時間の戦闘で戦闘不能に追い込まれて、再編成のために後方に送られるってありえないよね。
実際の戦死者の数は総兵力から見てそんなに高い率でもないし。
何もできずに一方的にやられて、部隊全体が戦場神経症にでもなったのかしら。

86 :人間七七四年:2012/05/27(日) 19:30:06.19 ID:3fGjoHUj
逃げる際に装備を捨てると役立たず

87 :人間七七四年:2012/05/27(日) 19:37:24.08 ID:iHBq6OBj
松平忠吉(家康四男)…寺泉哲章

88 :人間七七四年:2012/05/27(日) 20:00:49.15 ID:Az/7GF0M
両軍とも自軍が勝てるという前提で戦ってるからな
その前提が崩れればあっという間に戦意喪失確実だろう

89 :人間七七四年:2012/05/27(日) 21:16:37.82 ID:PDXbY+zi
戦って基本そう言うもんじゃね
攻めて負けると思ったら防衛する
両者が不利だと認識したら膠着
とても意味のある指摘とは思えん

90 :人間七七四年:2012/05/28(月) 11:33:42.83 ID:FUS504Bt
桶狭間ん時の織田軍って、何で逃げなかったんだろうなw

恐怖政治なのか、諸将が寝返る踏ん切りも出来ず
八方塞でやけくそなのか。

91 :人間七七四年:2012/05/29(火) 02:35:00.90 ID:4c05davi
>>90
桶狭間って実際の所、兵力は5分5分の可能性があるらしい。
言われてるほどそんなに兵力差はなかったようだ。


92 :人間七七四年:2012/05/29(火) 13:07:55.80 ID:EaFekolI
「桶狭間」での兵力差は、せいぜい2倍だろねw
・フモトで声1つ出せなかった今川本隊
・平原でも無いのに、義元は必死に逃げなかったのか?

不可解で仕方ない(′・_・`)

93 :人間七七四年:2012/05/30(水) 11:58:08.56 ID:2YB0M4x7
藤本の正面攻撃説も、どうして正面から本陣までたどりつけたかが
一番基本なんだが説明できなくて本人も困ってるしね。
義元周辺は必死に逃げたからきっとデブって運動不足だったんだろう・・
それと、鉄砲使用の形跡が見られないのが不思議。
少数なんだから頭使って鉄砲を最大効率に生かして戦って
勝ったというのならわかりやすいんだが。
スレチでなんだが。

94 :人間七七四年:2012/05/30(水) 13:29:11.08 ID:beKabxTJ
先鋒勤めてたのにスレチなのかよw

95 :人間七七四年:2012/05/30(水) 15:41:33.02 ID:R6ttlPAp
雨降っていたから、鉄炮は使えないだろう

96 :人間七七四年:2012/05/30(水) 17:48:19.45 ID:G+rQPouD
風雨とか自然の音に負けないような、
奇襲時の警音機くらい
用意して無かったのかなぁ(′・_・`)

数日に1回ずつでも、全拠点定時連絡くらいしても
良さそうなもんなのに、「気付いたら籠城戦してた」とか
命懸けのボケが多過ぎるw     ↑長篠城

97 :人間七七四年:2012/05/30(水) 18:49:41.32 ID:DJ0+mGl3
流れを止めるけど、関が原前後の家康って怪物だよね。
何を食って変貌したんだろう。
秀吉の天下統一以後、政権内の駆け引きはあるだろうけど
バリバリの戦国時代の時のように神経張り巡らせる事は
ないから脳なんか退化しそうだけど。
信長と同盟組んでいた家康と関が原前後(それ以降も)「家康」は
違うよな。

98 :人間七七四年:2012/05/31(木) 07:05:20.04 ID:k/Epx6tF
豊臣大名の中で唯一本能寺の変の構図を知っていた家康
家康の元に逃げ込んできた近衛前久から一部始終聞いたのは確実
で、益々秀吉への嫌悪感・蔑みを高め、腹の中で増殖させながら仮面臣従の演技
それが秀吉の死後、一気に爆発
こんな奴に関東250万石の大版図を与えた秀吉はマヌケ杉
せめて上杉や毛利と同等の石高なら、まだ何とかなったのに

99 :人間七七四年:2012/05/31(木) 08:10:03.36 ID:A4bxuFdc
急にポエム発表会になったな

100 :人間七七四年:2012/05/31(木) 08:47:48.92 ID:AObbtJiU
どこを縦読み?

101 :人間七七四年:2012/05/31(木) 10:51:56.04 ID:dCPFfqXt
秀吉や家康で思うのは若い頃から移動距離がすごいんだよね。
今だと一覧表とかもありそうだけど中年過ぎてもあっちこっち動いてる。
現代とは比べ物にならないほど寒暖とかしんどかったろうに
すごいな〜とは思うわ。

102 :人間七七四年:2012/05/31(木) 12:51:27.26 ID:AzNe6CZo
秀頼の移動距離w

103 :人間七七四年:2012/05/31(木) 13:05:28.37 ID:oDJf8yuI
>>98
信長が有能な外様の家臣にやられているのに何で
家康を信用したのかと思う。
自分は信長とは違う、家康は光秀とは違うと思ったのかな。

104 :人間七七四年:2012/05/31(木) 13:28:58.31 ID:3QQKRP92
信長は問題あり過ぎだったろw

105 :人間七七四年:2012/05/31(木) 13:54:07.85 ID:UItZOQ6r
>>103
家康が居ないと困るから

106 :人間七七四年:2012/05/31(木) 14:52:19.61 ID:oDJf8yuI
>>104
勿論、信さんは問題あり過ぎだけど、有能な家臣というのは諸刃の剣
になりうる例でしょう。

>>105
そんなに豊臣政権って人材不足なのか。
利家は秀吉に人柄を評価されても能力はそうでもないんだな。

107 :人間七七四年:2012/05/31(木) 15:17:04.14 ID:UItZOQ6r
秀吉生存中に東国が安定していたのは家康のお陰です
本来東国を担当する浅野長政は伊達政宗から絶縁状を突き付けられているし

108 :人間七七四年:2012/05/31(木) 16:30:37.70 ID:4laAnfhK
そもそも二代目がバカ殿ってのが信じられない。
小さい頃から嫡男を隣、庶子を下座に置いて
育てて行けば、バカ息子だけ斬るだけで充分だろw

現代で言えば、親が東京大レベルなんだったら、
DNAと財力生かして
早稲田慶応くらいは余裕じゃないのか?
(長期休みに英語圏に住ませれば英語なんて余裕だし)

109 :人間七七四年:2012/05/31(木) 17:10:22.26 ID:r92P4jjM
秀次粛清の余波がなんで家康と絡ませ語れるのか


110 :人間七七四年:2012/05/31(木) 17:41:13.27 ID:UItZOQ6r
その後、五大老になる連中に誓紙とらせているが、その中に「東国は家康に」とある

111 :人間七七四年:2012/06/01(金) 00:40:11.47 ID:9Y16FVHJ
秀吉は多大な恩のある織田を裏切ったけど、家康にとっては只の同盟者だ
五大老だって秀吉が家康を潰しきれずにしたことだし
豊臣より家康の方が人間的にいい

112 :人間七七四年:2012/06/01(金) 10:21:24.29 ID:eIWOOUy6
>>109
有力大名が豊臣政権の政治に関わるようになったのが秀次粛清後だしな。
それまでは家康と言えども官位だけ高い状態だったし


113 :人間七七四年:2012/06/01(金) 11:39:09.63 ID:xgM1l589
>>112
豊臣政権で重要視されている取次という観点から言えば、それ以前から東国の重鎮だけどね

114 :人間七七四年:2012/06/01(金) 13:07:22.46 ID:eIWOOUy6
>>113
境目の大名がやる取次と、いわゆる奉行衆がやる取次は
中身が違うと思うけどね。

115 :人間七七四年:2012/06/01(金) 13:20:56.90 ID:xgM1l589
どうだろう豊臣政権の役職というのは全て曖昧なままに終始しているから、
双方に明確な差異があったのは疑問

116 :人間七七四年:2012/06/01(金) 13:27:22.00 ID:eIWOOUy6
境目の大名がやってるのは、いわゆる申次レベルに留まってるけど
奉行衆のはもっと踏み込んだ相手大名の家政への介入にまで至ってるから
ずいぶん違うと思うよ。

117 :人間七七四年:2012/06/01(金) 14:43:19.78 ID:xgM1l589
東国で奉行衆が家政の介入を行った例はどんなものがあるのだろう?
家康は蒲生の跡継なんかに介入しているけど

118 :人間七七四年:2012/06/01(金) 16:24:59.84 ID:xT50gEl/
取次論は山本に対して引用された人が反論してたけど
その後山本はなにか言ってるのかな。
三鬼に対しては反論してたけど。

119 :人間七七四年:2012/06/01(金) 23:00:38.14 ID:eIWOOUy6
>>117
有名どころだと浅野長政が伊達、宇都宮にやってるね。
家康が蒲生の件に絡んでくるのは、秀次死後だし。

120 :人間七七四年:2012/06/01(金) 23:50:31.76 ID:xgM1l589
でも長政は大顰蹙をかったはず

121 :人間七七四年:2012/06/06(水) 11:09:27.59 ID:UNjNrnog
俺の中での家康像。

大人の寛大さを持ち、大人の慈悲を持ち、大人の狡賢さを持つ。


122 :人間七七四年:2012/06/09(土) 19:15:56.39 ID:a0dpRlZT
鳥居元忠は死ぬ必要なかった
完全に無駄死に

123 :人間七七四年:2012/06/09(土) 19:59:16.13 ID:5nfdVBpE
あれは死に場所提供じゃないのか( ´△`)?

124 :人間七七四年:2012/06/09(土) 20:07:25.20 ID:lWpwzGva
個人的にはあれで西軍の作戦計画がグダグダになったと考えている

125 :人間七七四年:2012/06/09(土) 20:31:28.76 ID:VI9lph/L
高い枕で討ち死にできて本望だったろう

126 :人間七七四年:2012/06/09(土) 23:09:01.12 ID:m/GWtsV7
戦略的には戦争の趨勢に大きな影響を与えるものではなかったけど、
鳥居家は元忠の奮闘のお陰で子孫が不祥事起こしても家を永らえてる

127 :人間七七四年:2012/06/17(日) 14:09:53.39 ID:/1hUZoXA
【鎌倉幕府滅亡】

足利尊氏は、隠岐を抜け出し船通山にたてこもった後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作の宿で三河の足利党の19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。

19家とは

01.西条吉良氏■後に将軍御一家
02.奥州吉良氏■後に奥州管領家、関東公方御一家
03.今川氏■後に九州探題、守護職
04.一色氏■後に四職家、九州探題、守護職
05.仁木氏■後に室町幕府執事、守護職
06.細川氏■後に管領家、守護職
07.斯波氏■後に管領家、守護職
08.戸賀崎(荒川)氏■後に守護職
09.畠山氏■後に管領家、守護職
10.桃井氏■後に守護職
11.渋川氏■後に将軍御一家、九州探題
12.上野氏■後に奉公衆
13.岩松氏■
14.石塔氏■後に奥州総大将、守護職
15.鹿島氏■
16.粟生氏■後に奉公衆
17.倉持氏■後に奉公衆
18.高氏■後に室町幕府執事、守護職
19.上杉氏■後に関東管領家、守護職


太平記第20回「足利決起」
http://www.youtube.com/watch?v=w5APWchJ-m0

128 :人間七七四年:2012/06/17(日) 14:11:06.16 ID:/1hUZoXA
■元弘の変(1331〜1333年)当時の後に室町幕府の支配層(西三河武士団)■

【岡崎市中心部地区/現在の岡崎城周辺】
・三河守護所
・額田郡公文所(所領の管理他、鎌倉末期(1310年頃)は尊氏の母方の祖父(上杉頼重)が担当)
・矢作東宿(足利宗家が経営する宿泊施設)
・高氏(足利被官、室町幕府執事、守護職)の屋敷(高一族没落後、一族唯一の菩提寺(総持寺)が屋敷跡に建てられる)

【岡崎市北部地区/岡崎市中心部地区より北に5キロ】
・足利宗家の屋敷(大門屋敷)、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・上杉氏(足利被官、関東管領家、守護職 )の屋敷(日名屋敷)
・倉持氏(足利被官、奉公衆)の屋敷(便寺屋敷)
・仁木氏(足利一族、幕府執事、守護職)の城(仁木城)
・細川氏(足利一族、管領家、守護職)の3つの城(細川御前田城、細川城山城、細川権水城)

【岡崎市東部地区/岡崎市中心部地区より東に6キロ】
・粟生氏(足利被官、奉公衆)の2つの城(秦梨城、秦梨城山城)と2つの屋敷(梅藪屋敷、西熊屋敷)

【岡崎市西部、豊田市南部地区/岡崎市中心部地区より西に5キロ】
・斯波氏(足利一族、管領家、奥州管領家)の屋敷(跡地に永源寺)
・石橋氏(足利一族、将軍御一家、守護職)の屋敷

【岡崎市南部地区/岡崎市中心部地区より南に8キロ】
・上地氏(足利一族、細川氏分家)の城(上地城)
・上地氏(足利一族、仁木氏分家)の屋敷

【豊田市中心部地区/岡崎市中心部地区より北に20キロ】
・上野氏(足利一族、奉公衆)の屋敷
・中条氏(足利被官、守護職、奉公衆)の城(金谷城)

【西尾市幡豆郡地区/岡崎市中心部地区より南に20キロ】
・西条吉良氏(足利一族、将軍御一家)の屋敷と城(西条城)
・奥州吉良氏(足利一族、奥州管領家、関東公方御一家)の屋敷と城(東条城)
・一色氏(足利一族、四職家、九州探題、守護職)の屋敷
・今川氏(足利一族、将軍御一家、九州探題、守護職)の城(今川城)
・荒川氏(足利一族、戸賀崎氏分家、守護職)の城(戸ヶ崎城)

129 :人間七七四年:2012/06/17(日) 15:41:29.06 ID:slOVj9Lo
出奔した石川数正の領地数万石って、
例えばどうなったの?

城主は目が点だったと思うけど、、、

130 :人間七七四年:2012/06/21(木) 00:01:20.45 ID:NhQ22eFN
日本語でおk

131 :人間七七四年:2012/06/21(木) 01:17:47.20 ID:5aRovFUZ
>>129
普通に家康の直轄になったんじゃね?
関東移封までの間に功績のあった家臣に譲られたかもしらんが

132 :人間七七四年:2012/06/22(金) 11:08:33.86 ID:tlu5eU+M
所領の問題じゃなくて、三河家臣団家中はどう成ったか
が物凄くわくわくするの。zq

133 :人間七七四年:2012/06/22(金) 16:59:03.24 ID:U3v7fqlp
知るかボケ

134 :人間七七四年:2012/06/23(土) 07:04:25.43 ID:rmauKigD
徳川流戦術の特徴

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/39/266_1.html

「風が吹けば桶屋が儲かる」というシミュレーションがあった。

135 :人間七七四年:2012/06/23(土) 21:26:37.24 ID:sG7nGKkC
三河武士シミュレーションはないのかい

136 :人間七七四年:2012/06/25(月) 10:55:41.05 ID:5oeW8UJ+
ガキの頃に三英傑の伝記を読んで、一番面白かったのは家康だったな。(二番目に面白かったのは秀吉。)
信長秀吉は特別な才能がある英雄だけど、家康は地道で失敗から学ぶというタイプだからか。

と、徳川家康の生涯って面白みがないしのスレで書き込もうと思っても、アンチスレだし反撃されると思い直し、
徳川マンセーなここで書き込む漏れ。

137 :人間七七四年:2012/06/25(月) 19:38:20.61 ID:iy8sZc6g
毎日やれる事をコツコツしたら天下取れたって事だからなぁ。

トヨタにも通じるとこがあるわ。

138 :人間七七四年:2012/06/25(月) 19:48:07.84 ID:+C2gfbie
家康って子供の頃から波瀾万丈だと思うんだけど

139 :人間七七四年:2012/06/25(月) 20:19:16.36 ID:rU37HS9L
信長秀吉に特別な才能とかw
寝言も大概せい、万年パシリの糞カッペめ




140 :人間七七四年:2012/06/25(月) 20:34:38.58 ID:rU37HS9L
>>137
お前はどこの糞カッペだ
コツコツやりさえすれば天下を取れるとかw
アホか、お前は
元々三河人は騎馬民族的気質なんだよ、だから何でも自分で勝手にやるし、海外にもうってでる
鎌倉末期には、天皇にすら喧嘩を売った

黙っていれば、変なイメージで固めやがって
万年パシリの糞カッペめ



141 :人間七七四年:2012/06/25(月) 20:49:56.21 ID:2vyvTG5v
秀吉や信長なんて運だけの男だしなあ

142 :人間七七四年:2012/06/25(月) 21:13:57.12 ID:77zfSBid
秀吉は戦に負ける特別な才能があるんじゃね

信雄や氏政、輝元でも勝てる相手なんてそうそういないだろうし

143 :人間七七四年:2012/06/25(月) 21:17:34.74 ID:rU37HS9L
大体がな、三河人の何処に農民的要素があるのか
鎌倉時代、霜月騒動の実態は三河VS関東の権力争いだし、南北朝の争いは、豊田が本拠の南朝と、岡崎西尾が本拠の北朝の争いだ


いい加減にしておけよ


144 :人間七七四年:2012/06/25(月) 22:26:59.22 ID:DdRSeyK0
age

145 :人間七七四年:2012/06/25(月) 22:55:45.26 ID:jbO4bBRi
>>142
氏政なめすぎだろ

146 :人間七七四年:2012/06/26(火) 13:04:33.84 ID:uDpSCFsf
教えて欲しいのだけどどんなバカでも「こりゃ家康は豊臣政権を簒奪するつもりだな」
と野心をはっきり確信出来るの何時なんだろう?

147 :人間七七四年:2012/06/26(火) 15:44:05.13 ID:f/y4BI9Y
そりゃ、無理
家康が豊臣政権を簒奪したのではなく、自壊してその後を継いだという考え方もあるから

148 :人間七七四年:2012/06/26(火) 16:35:27.64 ID:szdk65Y6
家康が関白になったわけじゃないから豊臣「政権」を簒奪したとは言えないかもな

149 :人間七七四年:2012/06/27(水) 01:58:51.97 ID:kSf7hEBT
>>147、 148

えっっっ!!!まあ物はいいようだな。。。。

150 :人間七七四年:2012/06/28(木) 00:57:14.86 ID:9En7hHZ1
征夷大将軍に就任した時じゃね?
それまではあくまで豊臣政権の中の権力者だったのが独立しちゃったわけだし

151 :人間七七四年:2012/06/28(木) 08:16:41.99 ID:bwqPTd/i
そもそも、その頃に簒奪という概念自体があったのだろうか

152 :人間七七四年:2012/06/28(木) 19:17:50.89 ID:oEFbmmGU
前にも話したな。
秀次事件と出兵とどっちが自壊への影響があるかって話で
7−3ぐらいで秀次事件って意見が多かった。
そのあたりから家康は、おっ、と思って出兵あたりでは様子見してて
秀吉の死を見てすぐに実行したことからもじっくりタイミングを
図ってたんだろうってとこだったかな。
そのまま正直者の五大老筆頭でいる選択肢もあったわけだから
関が原までの話というとこで。

153 :人間七七四年:2012/06/28(木) 20:54:53.35 ID:0DIyMovL
 どう考えても年齢的に秀吉から秀頼にバトンタッチが無理なのに中継ぎ役を殺しちゃったもんな、秀次が素直に成人した秀頼に跡目を譲ったかはともかく。駒姫を始め巻き添えも酷い

154 :人間七七四年:2012/06/29(金) 19:09:15.75 ID:uc2kDzKY
>>146
秀吉の死後に禁止されてた大名間での婚姻を開始。娘が足りなければ養女を迎えてでも手を広げる
更に確定的になったのは関ヶ原後の一連の行動。もはや豊臣は傀儡政権

155 :人間七七四年:2012/06/30(土) 00:07:54.93 ID:Zv2+MmF7
家康の場合、簒奪というより新政権を打ち立てるという感じだろうな
秀吉は自分が三法師を利用して織田政権を簒奪したから、同じように簒奪される可能性のある秀次は警戒した
家康は身内ルートでの豊臣政権の簒奪は難しかったから秀吉の警戒が希薄だったのだろう

156 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/06/30(土) 02:02:11.62 ID:fYCPjGBu
最強舎弟説のオレには認め辛い。

157 :人間七七四年:2012/06/30(土) 02:06:48.03 ID:58+WFPxt
>>154
秀吉亡き後の豊臣政権のトップは明確に家康なんだから、必要に応じてルールを変える権限もある。
他の大老や奉行が秀吉から政治を預けられている家康に口出しするのは本来おかしい。

158 :人間七七四年:2012/06/30(土) 03:46:50.97 ID:Q8fP/M6B
重要な懸案については利家と奉行の承諾を得なければ決められないの。
当然だけど、ルールを勝手に変える権限も認められていない。
「政務を任せられている」とか書かれてる本なんかが多いから、
こういう間違った解釈をする奴がいるんだけど、元ネタ知ってて言ってるのか?

159 :人間七七四年:2012/06/30(土) 08:37:54.37 ID:dirjNuCd
>>158
元ネタは、秀吉の遺言を書きとめたと言う浅野家文書じゃね?


160 :人間七七四年:2012/06/30(土) 11:37:42.09 ID:MzGKeSva
>>155
家康は自身の正室となった朝日姫(秀吉の妹)、
嫡男秀忠の正室江(秀吉の側室淀の妹)、
その秀忠の娘千姫(秀頼の正室)を通して、
豊臣家と二重三重の婚姻関係を結んでいる
豊臣政権の徳川家は既に「身内」と同然といっていい
事実秀吉存命中の家康秀忠の昇叙は豊臣氏としてのもの
そして家康の江戸幕府樹立は、日本全国に点在する豊臣政権の奉行職を
自家の人間に置き換えることから始まった
豊臣政権と別個の新政権を打ち立てるというイメージからはかなり遠い
実際のところ織田政権と豊臣政権の間の断絶の方が大きいよ


161 :人間七七四年:2012/06/30(土) 11:55:13.76 ID:MzGKeSva
秀吉死後の大名間の私婚推進を非難する糾問使に対し、
「忘れてただけ」と一応言い訳してるから
勝手にルール作り変えとかは出来ないんじゃないの
秀吉死後の家康は利家と和睦したり輝元と協力したりと
状況に応じて他の大老奉行と連携する姿勢も見せてる
家康が政権内部の抵抗勢力を気にせず政務を行えるようになったのは
関ヶ原後に秀吉の定めた五大老五奉行体制が完全に崩壊してから

162 :人間七七四年:2012/06/30(土) 12:51:05.79 ID:OdI1Te1w
そのルールは、秀吉という絶対権力者の存在が担保されて、初めて効力があるわけ。
秀吉がいなくなれば、ただの紙切れ。
ルールを破ったからと言って、ペナルティを科せられるわけでもない。

163 :人間七七四年:2012/06/30(土) 15:09:37.13 ID:58+WFPxt
や、それは違うと思う。
元々、豊臣政権はきちんとした政治体制の整わない秀吉のワンマン経営。
家康が政治的な決定ができるようになったのはあくまで秀吉が死ぬ時にそう決めたから。

164 :人間七七四年:2012/06/30(土) 15:14:52.24 ID:dirjNuCd
秀次事件のせいでもあるな。
あれが無ければ大名連中が政治を執ることもなかっただろう。


165 :人間七七四年:2012/06/30(土) 21:01:25.34 ID:X8rr/Trl
>>162
ならなんで詰問されたり前田利家とゆかいな仲間達に反発されたのさw

166 :人間七七四年:2012/07/01(日) 00:28:05.45 ID:+j3/ok14
詰問しなきゃ立場がなくなるからだろ。
ルールが力を持っていて、家康を罰する事が可能とか思ってるわけ?
詰問したところで、結局家康は痛くも痒くもなかったけどな。
膝を屈して訪問したのは前田だしw

167 :人間七七四年:2012/07/01(日) 02:11:40.32 ID:C+3g6jD0
実際、家康は秀吉が遺したルールに縛られて苦労していた
家康の意識の中では三成が自分のやり方に逆らって挙兵してくれたおかげで助かったと思っているようだ

・・・自分が天下を取れたのは武田信玄と石田三成のおかげである

168 :人間七七四年:2012/07/01(日) 10:42:55.26 ID:nCqjJVp4
関が原までの思惑で研究者間でも解釈が
違うのはこういうとこなんだろうな。
三成のあの「違ひ〜」にしても家康は鼻で笑ってた
みたいに言う人もいればそれなりに重要に解釈する
人もいる。
家康としては秀吉さえ死ねばこわいもんなしだったろな。

169 :人間七七四年:2012/07/01(日) 11:03:38.31 ID:wXXFxidD
>>166
ルールが生きてるから必死で守ろうとして譲歩したんだろうがw蹴ってたらむしろ家康の方が不利w
そしてルールが生きていて有用だから上杉征伐→関ヶ原→豊臣家を牛耳ると最大限に活用出来たんだろうが、あくまで表面上は豊臣家の家臣として豊臣政権の決定という形を活用したんだろうがw

170 :人間七七四年:2012/07/01(日) 11:09:48.46 ID:SjMCcJua
家康は書状なんかに自らの心情を語らない人だから、その辺の個人の考えを探るのは困難

171 :人間七七四年:2012/07/01(日) 11:35:06.14 ID:u2QjMs4G
>>166
秀吉が死んで、婚姻施策というルール破りをしたのは家康なんだが。
ルールで縛れるなら、秀吉死後であろうと守られるはずだが?w

そのルールを活用出来たのは、家康の実力が背景だからに決まってるでしょw
ルール有りきではない。実力有りきなんですけど。
同じ事を他の大名がしようとしても無理。

172 :人間七七四年:2012/07/01(日) 12:50:09.96 ID:QdpEyQJL
>>169
譲歩の前に、ルールを破らんだろ
そしてルール違反に対して罰を与えるか決めるのは大老の合議
その最大の大老に対して誰が罰を与えるんだ?w
そしてその最大の大老が、ルールに実行力を与えて上杉征伐
関白になったから秀吉は力を得たんじゃないぞ

173 :人間七七四年:2012/07/01(日) 13:06:39.82 ID:u2QjMs4G
>>171
自己レス
× >>166
○ >>169

174 :人間七七四年:2012/07/01(日) 20:51:56.27 ID:C+3g6jD0
家康にとって秀吉の遺したルールが呪縛となったのは、
違反したら罰せられるというようなことではなく、
秀吉によってルールの最高責任者に任ぜられたこと。

最大の大老という高い地位を保証してくれるルールが、
みずから天下を取ろうとした瞬間、最大の障害となる。
根が律儀な家康がこの呪縛にかかりやすいということは秀吉にも分かっていたはず。

家康をこの呪縛から救ったのが石田三成。
三成が挙兵しなかったらどうなっていたかは想像するしかないが、
これほど完璧に上手くやることはできなかったと考えるのが妥当だろう。

175 :人間七七四年:2012/07/01(日) 21:17:50.68 ID:lOziNwWb
関が原がなければ、鎌倉幕府の北条氏みたいなポジで満足してた可能性もあるよね

176 :人間七七四年:2012/07/02(月) 04:13:45.86 ID:gYF8Yago
>>174
>最大の大老という高い地位を保証してくれるルールが、
>みずから天下を取ろうとした瞬間、最大の障害となる。

『ルール』ではなく『実力』が大老の地位を保証してるんだってば。
秀吉死後、『ルール』が天下取りの障害になってた事などあるのか?

いずれにせよ、秀吉の定めた『ルール』が、その死後には法制度として
体を成していなかった事には変らんよ。

177 :人間七七四年:2012/07/07(土) 12:42:45.75 ID:cT99yBow
実力ってどんな力だよw

>秀吉死後、『ルール』が天下取りの障害になってた事などあるのか?
家康自身がそう感じていたのだから仕方ない
「自分が天下を治めることができたのは武田信玄と石田三成両人のおかげである。
(中略)しかし天下を治めることなど手出しはできにくかった。
それが三成が謀反を企てたため、それを討って天下を掌中に収めることができたのである」(老談記)

178 :人間七七四年:2012/07/07(土) 13:40:59.02 ID:YPwlKif/
・関東250万石。次点の上杉・毛利の2倍以上の石高。
・元亀、天正を生き抜いた殆ど最後の大名。もはや周りは一世代下ばかり。

当時の諸大名で最強なのは自明だわな。ルール云々の話じゃないよ。
家康自身がそう感じた、ってw
出典が軍記物語なのはご愛嬌としても、本人しか証明出来ない感情とか思考
を根拠にするとかやめようよwリップサービスを鵜呑みにするタイプ?
障害になってた具体的な事例を論理だてて説明できなきゃね。

179 :人間七七四年:2012/07/07(土) 15:17:33.84 ID:cT99yBow
では関ヶ原後、大坂の陣まで十数年も豊臣を野放しにしておいたのは何故?
実力差は明白

大事を起こすには機が熟するのを待つ必要がある
大坂の陣では三成がいないので、方広寺のような強引なやり方をするしかなかった

180 :人間七七四年:2012/07/07(土) 16:29:15.04 ID:YPwlKif/
何を言ってるんだ?何の話をしてるのか読み直せよ。
天下を取る話と、豊臣家を滅ぼす話は全然別。
江戸幕府開幕は、関ヶ原からわずか3年だぞ。
この時点で、豊臣家のルールには従う必要は全くなくなったわけだが?

181 :人間七七四年:2012/07/07(土) 16:49:27.44 ID:cT99yBow
実力差はあったが、軍事的行動を起こすまでの障害になってたという例を挙げたまで

むしろ逆に訊きたいよ、三成がいなければ家康がどうやって豊臣の支配力を排除し天下を取ることが出来たか

182 :人間七七四年:2012/07/07(土) 16:57:02.05 ID:YPwlKif/
繰り返すけど、何の話をしてるの?
この辺をもう一度よく読んでみて。(>>161-178

主題を変えたいのなら、その旨明確にしてもらえる?

183 :人間七七四年:2012/07/07(土) 17:05:25.10 ID:cT99yBow
だから実力差がすべてを決するというなら、
三成なしでどうやって天下を取れるのかという疑問に答えてほしいということ

184 :人間七七四年:2012/07/07(土) 18:22:29.88 ID:YPwlKif/
>実力差がすべてを決するというなら
こんな事を誰が言ったんだ?レス番を教えてもらえるか?
こちらが言ったのは以下。
・秀吉の作った『ルール』を、秀吉死後に好き放題活用出来たのは、
 『ルール』が効力を持っていたからではなく、『実力』があったから。(>>171)
・家康の大老という地位を保証しているのは『ルール』ではなく『実力』。(>>176

キミは支離滅裂すぎる。

185 :人間七七四年:2012/07/07(土) 18:36:22.71 ID:cT99yBow
ではやっぱり実力がすべてではないということだね
実力でない部分がルールとしてお互いの暗黙了解となっている部分だと思うが、
これも支離滅裂な発想ということなのだろうか

186 :人間七七四年:2012/07/07(土) 18:42:37.18 ID:YPwlKif/
>ではやっぱり実力がすべてではないということだね
こんな話は誰もしていないという事。
していると言うのなら、そのレス番を示せと言っている。

キミが話の主題を捉えられないから、全く議論にならないわけだ。
なので、キミの発言が支離滅裂だと言っている。
わかりましたか?w

187 :人間七七四年:2012/07/07(土) 19:04:46.85 ID:Axjlbc90
>>185
具体的に豊臣が徳川家を束縛していた例は?
当然あるよね、ルールが健在なら
>>179みたいな仮定妄想は意味が無い

188 :人間七七四年:2012/07/08(日) 15:03:54.64 ID:fFwn+WwK
>>183
会津征伐で上杉を倒す→安芸征伐で毛利を倒す
これで史実どおりの征夷大将軍
三成は単に近道をするための便利な道具に過ぎない

189 :人間七七四年:2012/07/08(日) 15:15:40.36 ID:kVD+bL+M
毛利は史実通り速攻で詫びる+人質で減封なし。(前田と同じ)
徳川は未だ250万石〜300万石程度。
全国には史実の西軍諸将が生き残りまくり。
家康の寿命残り10年〜12年程度。

征夷大将軍になれるか甚だ疑問、且つ史実のような強固な基盤は無理。

190 :人間七七四年:2012/07/08(日) 15:20:42.78 ID:UvR1kUkR
>>189
家康の残り寿命は16年弱だろ

191 :人間七七四年:2012/07/08(日) 15:38:00.34 ID:kVD+bL+M
説明不足でスマン。
上杉攻め→戦後処理、毛利攻め→毛利詫びる、の行程に要する
時間が3年〜5年は必要かな、と。

192 :人間七七四年:2012/07/08(日) 15:43:24.09 ID:+SKwhbOx
毛利とやろうとすれば通り道の宇喜多も同時に相手するハメになるだろ?
徳川本隊と完全に互角になるから、周りの抱き込み方が次第でどう転ぶかわからないんじゃね?

関が原は本体を温存してた毛利だけじゃなくて、宇喜多も本国に余力を残してたんだし。

193 :人間七七四年:2012/07/08(日) 15:45:26.78 ID:UvR1kUkR
>>191
そういう話なら、上杉を抑えた時点で誰も逆えないんじゃなかろうか。
西軍武将と言っても能動的に家康に敵対した人はほとんど居ないし。

194 :人間七七四年:2012/07/08(日) 16:24:58.17 ID:kVD+bL+M
>>192
いや、毛利はすぐに詫びると思われ。
史実が証明している。

>>193
そうだね。
だから上杉も含めて家康が死ぬまでは大人しくしとくべき。
徳川の国力が上がらずに家康が死ねば、一地方大名に戻る可能性大。
史実は、250万石→400万石。全国諸大名は『能動的』に徳川親派だらけ。
家康と秀忠では、当然与しやすさに雲泥の差があるしね。

能動的でなくても、西軍諸将が徳川に盾ついた事実は重要だよ。
潜在性は必ずあるわけだから。

195 :人間七七四年:2012/07/08(日) 16:30:39.97 ID:UvR1kUkR
>>194
それは甘い見通しだと思う。

徳川家との縁組ん゛増加するだろうから能動的に徳川につく連中が増えるだろう。
あと核になって立ち上がる大名がいないと、楯突くこと自体が不可能だ。

196 :人間七七四年:2012/07/08(日) 17:22:43.49 ID:kVD+bL+M
どの辺が甘いのだろうか?

史実では、一挙に700万石超が処分され、徳川親派確定大名に
ばらまかれ、全国がほぼ徳川色になっている。
逆に>>195の縁組で、これほどの効果が期待出来るとは思えない。
それこそ家康が死ねばどうなるかわからない。

197 :人間七七四年:2012/07/08(日) 19:31:49.02 ID:+SKwhbOx
縁組が絶対なら、それこそ徳川が豊臣を滅ぼしてないよ

198 :人間七七四年:2012/07/09(月) 22:38:29.38 ID:0jfnjYUw
前田に「なんだコノヤロー」ってしたら縁組みを組んだ大名まで前田側に流れるといった事例もあるし100%の信頼はおけないよ

199 :人間七七四年:2012/07/10(火) 07:04:41.83 ID:GjQRx8v9
>>198
あれは講談の話だよ。

200 :人間七七四年:2012/07/12(木) 21:52:59.01 ID:9+7t16Zg
◆源頼朝◆父方:源義朝、河内源氏  母方:由良御前、藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡)

■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡)
・母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、都を下り豊田に土着、高橋荘・高橋新荘を立券し皇室に寄進、後に岡崎に移り住む
・その息子藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)

■高橋荘(愛知県豊田市)
・藤原季兼(三河四郎)は妹の息(高橋惟康)を領主に、後に高橋一族は駿河に移住し初代大森氏に、頼春が小田原城築城
・源頼朝の実弟(八田知家)の家系(中条氏、三河伴氏か?)が代々地頭

■高橋新荘(愛知県豊田市)
・荘官の足助氏(足助重長)から、源頼朝の嫡男である頼家に室を出し、生まれた子供が実朝を暗殺した公暁

■菅生郷(愛知県岡崎市)
・荘園としては立券されず、後に足利義兼が実母の実父(藤原範忠)から相伝されたもよう
・郷司は足利被官の高階惟長(源義家四男の家系)、惟長は源頼朝から軍功により、陸奥国信夫郡の地頭職を与えられる


201 :人間七七四年:2012/07/12(木) 21:54:25.10 ID:9+7t16Zg
【鎌倉幕府】

■頼朝姻族(将軍御一家、源頼朝の女系一族、足利家、一条家、北条家の3家)
・足利義兼:河内源氏、上総介、幕府内序列2位、母親が頼朝の母と姉妹(藤姓熱田大宮司家/本貫地:三河国額田郡)、母方から菅生郷(愛知県岡崎市)を相伝、嫡男が足利氏として初めて三河守護

■関東御分国(将軍家が知行国主とし、国司は将軍家が推挙、当初(頼朝時代)は三河国、駿河国、武蔵国の3ヶ国後に9ヶ国)

国司一覧
・三河守:源範頼(河内源氏、頼朝異母弟、室は安達盛長(三河守護、室は丹後内侍(比企氏))の娘)←頼朝が初めて推挙した事例
・駿河守:源広綱(摂津源氏、古井城主(愛知県安城市)、実兄が伊豆守になり、伊豆に移住、頼朝と懇意となる)←太田道灌の先祖
・武蔵守:平賀義信(甲斐源氏、室は丹後内侍(比企氏)の妹、従兄弟(方原師光)が三河国形原荘荘官)
・伊豆守:山名義範(河内源氏、実父は矢田城主(愛知県西尾市)の矢田義清(足利義兼(上総介)の兄、孫が初代細川氏の細川義季))
・相模守:大内惟義(甲斐源氏、平賀義信(武蔵守)の息)
・上総介:足利義兼(河内源氏、幕府内序列2位、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡))
・信濃守:加賀美遠光(甲斐源氏)
・越後守:安田義資(甲斐源氏)
・伊予守:源義経(河内源氏、頼朝異母弟)

■政所(一般政務・財政を司る)
・別当:大江広元(牛田城主(愛知県知立市)、五男(海東忠成)が熱田大宮司家に養子入り、娘が高階惟長(菅生郷(愛知県岡崎市)郷司)の室)
・令:二階堂行政(母親が頼朝の祖父(初代藤姓熱田大宮司/本貫地:三河国額田郡)の妹、岐阜城を築城)


202 :人間七七四年:2012/07/12(木) 22:29:11.92 ID:9+7t16Zg
源頼朝関連史跡一覧

三河七御堂
源平合戦で死んだ将兵を弔うため発願し、文治年間に安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)に命じて造らせた

【蒲郡市】
・長泉寺■弥陀堂
・全福寺■現在は廃寺、丹野御堂
【西尾市】
・光福寺■現在の金蓮寺、弥陀堂
【新城市】
・鳳来寺■弥陀堂
【豊川市】
・財賀寺■観音堂
【豊橋市】
・赤岩寺■弥陀堂
・普門寺■観音堂


その他
【岡崎市】
・滝山寺■藤姓熱田大宮司一族氏寺、伽藍造営、頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた等身大の聖観音像、源実朝、北条政子の墓あり
・夏山八幡宮■梶原景時を名代にして参拝、社領寄進

【豊田市】
・平勝寺■元の名は大悲密院(南北朝時代に平勝親王が改名)、寺領寄進
・普賢院■寺領寄進
・猿投神社■藤姓熱田大宮司一族氏神、大社に改築

【西尾市】
・瀬門神社■1195年に源頼朝が社殿を再建

【新城市】
・鳳来寺■再興、三重塔造営
・今水寺■寺領寄進

【豊川市】
・財賀寺■本堂・仁王門再建

【豊橋市】
・普門寺■再興、化積上人(叔父、藤姓熱田大宮司一族か?)が学頭
・吉田神社■天王社勧請
・鞍掛神社■愛馬の鞍を奉納

203 :人間七七四年:2012/07/13(金) 11:52:00.61 ID:MWU8jUKn
源頼朝関連史跡

◆三河七御堂◆
源平合戦で死んだ将兵を弔うため発願し、文治年間に安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)に命じて造らせた
東三河に集中しているのは、盛長の出自が東三河(現在の豊橋市石巻小野田町)だったからと推測する

一覧
【西尾市】
■光福寺/現在の金蓮寺、弥陀堂
【豊橋市】
■赤岩寺/弥陀堂
■普門寺/観音堂
【蒲郡市】
■長泉寺/弥陀堂、安達藤九郎盛長の墓あり
■全福寺/現在は廃寺、丹野御堂
【新城市】
■鳳来寺/弥陀堂
【豊川市】
■財賀寺/観音堂


その他
【岡崎市】
■滝山寺/藤姓熱田大宮司一族氏寺、伽藍造営、頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた等身大の聖観音像、源実朝、北条政子の墓あり
■夏山八幡宮/梶原景時を名代にして参拝、社領寄進

【豊田市】
■平勝寺/元の名は大悲密院(南北朝時代に平勝親王が改名)、寺領寄進
■二井寺(普賢院)/寺領寄進
■猿投神社/藤姓熱田大宮司一族氏神、大社に改築

【知立市】
■牛田八幡社/頼朝の目代(大江氏か?)が鶴岡八幡宮を勧請

【西尾市】
■瀬門神社/1195年に源頼朝が社殿を再建

【新城市】
■鳳来寺/再興、三重塔造営、寺領寄進
■今水寺/寺領寄進

【豊川市】
■財賀寺/本堂・仁王門再建、寺領寄進

【豊橋市】
■普門寺/堂舎再興、寺領寄進、化積上人(叔父、藤姓熱田大宮司一族か?)が学頭
■吉田神社/天王社勧請
■鞍掛神社/愛馬の鞍を奉納

204 :人間七七四年:2012/07/13(金) 12:53:47.03 ID:MWU8jUKn
源頼朝関連史跡

■三河七御堂
源平合戦で死んだ将兵を弔うため発願し、文治年間に安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)に命じて造らせた
東三河に集中しているのは、盛長の出自が東三河(現在の豊橋市石巻小野田町)だったからと推測する

一覧
【西尾市】
・光福寺/現在の金蓮寺、弥陀堂
【豊橋市】
・赤岩寺/弥陀堂
・普門寺/観音堂
【蒲郡市】
・長泉寺/弥陀堂、安達藤九郎盛長の墓あり
・全福寺/現在は廃寺、丹野御堂
【新城市】
・鳳来寺/弥陀堂
【豊川市】
・財賀寺/観音堂


■その他
【岡崎市】
・滝山寺/藤姓熱田大宮司一族氏寺、伽藍造営、頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた等身大の聖観音像、源実朝、北条政子の墓あり
・夏山八幡宮/梶原景時を名代にして参拝、社領寄進

【豊田市】
・平勝寺/元の名は大悲密院(南北朝時代に平勝親王が改名)、寺領寄進
・二井寺(普賢院)/寺領寄進
・猿投神社/藤姓熱田大宮司一族氏神、大社に改築

【知立市】
・牛田八幡社/頼朝の目代(大江氏か?)が鶴岡八幡宮を勧請

【西尾市】
・瀬門神社/1195年に源頼朝が社殿を再建

【新城市】
・鳳来寺/再興、三重塔造営、寺領寄進
・今水寺/寺領寄進

【豊川市】
・財賀寺/本堂・仁王門再建、寺領寄進

【豊橋市】
・普門寺/堂舎再興、寺領寄進、化積上人(叔父、藤姓熱田大宮司一族か?)が学頭
・吉田神社/社殿は安達藤九郎盛長が造営、天王社勧請
・鞍掛神社/愛馬の鞍を奉納

205 :人間七七四年:2012/07/19(木) 21:44:22.47 ID:8VfTvZpz
秀吉死後に家康公が浮いてて、三成と組んだって本当?

三成が浮いてての間違いじゃないの?

206 :人間七七四年:2012/07/22(日) 06:12:47.66 ID:1i0xQXe2
>>205
秀吉死後に、家康と五奉行と対立したと言われてて
9月3日に大老、奉行間で起請文を取り交わす事で鎮静化したようだ。

三成と家康が協調した可能性があるとすれば、三成失脚後の話じゃなかろうか。

207 :人間七七四年:2012/08/02(木) 22:53:18.40 ID:SUZ9fFGw
◆源頼朝◆父方:源義朝、河内源氏  母方:由良御前、藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡)

■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼(三河四郎)は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り加茂郡(豊田市)に土着
・季兼(三河四郎)は、加茂郡(豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券、皇室に寄進する
・季兼(三河四郎)は、額田郡(岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする
・季兼(三河四郎)は、設楽郡稲木(愛知県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼(三河四郎)室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(愛知県新城市)に墓あり)
・季兼(三河四郎)は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼(三河四郎)の息である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)

■高橋荘(愛知県豊田市)
・藤原季兼(三河四郎)は妹(三位尼)の息(高橋惟康(伊勢新二郎大夫))を領主にし、養育する(遺構 不動堂館跡)
・平治の乱で平家に没収され、恩賞として義朝を暗殺した長田忠致が荘官となる(遺構 長田館跡)
・高橋一族は駿河に移住し、初代大森氏・初代葛山氏に、子孫の大森頼春は小田原城を築城
・長田忠致一族が処刑されると、小野成綱(頼朝とは妾の子(貞暁)の乳母父を依頼される関係)が地頭になる
・小野成綱の代官である高橋頼之(藤原南家、相良氏)は、軍功により頼朝から高橋荘8000貫地の地頭目代となる(遺構 高橋館跡)
・その後、小野氏に代わり中条氏(八田知家(実父は源義朝、妹が寒河尼(頼朝乳母)の猶子)が、鎌倉〜南北朝時代通じで地頭になる

■高橋新荘(愛知県豊田市)
・荘官の足助氏(足助重長)から源頼家に室を出し、息に実朝を暗殺した公暁(母は足助重長と源為朝の娘の娘)

■菅生郷(愛知県岡崎市)
・荘園としては立券されず、後に足利義兼が母の実父(藤原範忠)から相伝したもよう
・郷司は足利被官の高階惟長(源義家四男の家系)、惟長は源頼朝から軍功により、陸奥国信夫郡の地頭職を与えられる

208 :人間七七四年:2012/08/02(木) 22:55:08.05 ID:SUZ9fFGw
【鎌倉幕府】

■頼朝姻族(将軍御一家、源頼朝の女系一族、足利家、一条家、北条家の3家)
・足利義兼:河内源氏、上総介、幕府内序列2位、母親が頼朝の母と姉妹(藤姓熱田大宮司家/本貫地:三河国額田郡)、母方から菅生郷(愛知県岡崎市)を相伝、嫡男が足利氏として初めて三河守護

■関東御分国(将軍家が知行国主とし、国司は将軍家が推挙、当初(頼朝時代)は三河国、駿河国、武蔵国の3ヶ国後に9ヶ国)

国司一覧
・三河守:源範頼(河内源氏、頼朝異母弟、室は安達盛長(のちに三河守護)と丹後内侍(比企尼の長女)の娘)
・駿河守:源広綱(摂津源氏、古井城主(愛知県安城市)、実兄が伊豆守になり、伊豆に移住、頼朝と懇意となる)←太田道灌の先祖
・武蔵守:平賀義信(甲斐源氏、室は丹後内侍の妹(比企尼の三女)、従兄弟(方原師光)が三河国形原荘荘官)
・伊豆守:山名義範(河内源氏、実父は矢田城主(愛知県西尾市)の矢田義清(足利義兼の兄)←範の字は藤姓熱田大宮司家が関係か?
・相模守:大内惟義(甲斐源氏、平賀義信(武蔵守)の息)
・上総介:足利義兼(河内源氏、幕府内序列2位、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡))
・信濃守:加賀美遠光(甲斐源氏)
・越後守:安田義資(甲斐源氏)
・伊予守:源義経(河内源氏、頼朝異母弟、室は河越尼(比企尼の次女)の娘)

■政所(一般政務・財政を司る)
・別当:大江広元(牛田城主(愛知県知立市)、五男(海東忠成)が熱田大宮司家に養子入り、娘が高階惟長(菅生郷(愛知県岡崎市)郷司)の室)
・令:二階堂行政(母親が頼朝の祖父(初代藤姓熱田大宮司/本貫地:三河国額田郡)の妹、岐阜城を築城)

209 :人間七七四年:2012/08/02(木) 23:14:04.90 ID:SUZ9fFGw
足利尊氏は、隠岐を抜け出し船通山にたてこもった後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作の宿で三河在国の足利党の19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。

19家とは

01.西条吉良氏■後に将軍御一家
02.奥州吉良氏■後に奥州管領家、関東公方御一家
03.今川氏■後に九州探題、守護職
04.一色氏■後に四職家、九州探題、守護職
05.仁木氏■後に室町幕府執事、守護職
06.細川氏■後に管領家、守護職
07.斯波氏■後に管領家、守護職
08.戸賀崎(荒川)氏■後に守護職
09.畠山氏■後に管領家、守護職
10.桃井氏■後に守護職
11.渋川氏■後に将軍御一家、九州探題
12.上野氏■後に奉公衆
13.岩松氏■
14.石塔氏■後に奥州総大将、守護職
15.鹿島氏■
16.粟生氏■後に奉公衆
17.倉持氏■後に奉公衆
18.高氏■後に室町幕府執事、守護職
19.上杉氏■後に関東管領家、守護職


太平記第20回「足利決起」
http://www.youtube.com/watch?v=w5APWchJ-m0

210 :人間七七四年:2012/08/02(木) 23:14:55.93 ID:SUZ9fFGw
■元弘の変(1331〜1333年)当時の後に室町幕府の支配層(西三河武士団)■

【岡崎市中心部地区/現在の岡崎城周辺】
・三河守護所
・額田郡公文所(所領の管理他、鎌倉末期(1310年頃)は尊氏の母方の祖父(上杉頼重)が担当)
・矢作東宿(足利宗家が経営する宿泊施設)
・高氏(足利被官、室町幕府執事、守護職)の屋敷(高一族没落後、一族唯一の菩提寺(総持寺)が屋敷跡に建てられる)

【岡崎市北部地区/岡崎市中心部地区より北に5キロ】
・足利宗家の屋敷(大門屋敷)、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・上杉氏(足利被官、関東管領家、守護職 )の屋敷(日名屋敷)
・倉持氏(足利被官、奉公衆)の屋敷(便寺屋敷)
・仁木氏(足利一族、幕府執事、守護職)の城(仁木城)
・細川氏(足利一族、管領家、守護職)の3つの城(細川御前田城、細川城山城、細川権水城)

【岡崎市東部地区/岡崎市中心部地区より東に6キロ】
・粟生氏(足利被官、奉公衆)の2つの城(秦梨城、秦梨城山城)と2つの屋敷(梅藪屋敷、西熊屋敷)

【岡崎市西部、豊田市南部地区/岡崎市中心部地区より西に5キロ】
・斯波氏(足利一族、管領家、奥州管領家)の屋敷(跡地に永源寺)
・石橋氏(足利一族、将軍御一家、守護職)の屋敷

【岡崎市南部地区/岡崎市中心部地区より南に8キロ】
・上地氏(足利一族、細川氏分家)の城(上地城)
・上地氏(足利一族、仁木氏分家)の屋敷

【豊田市中心部地区/岡崎市中心部地区より北に20キロ】
・上野氏(足利一族、奉公衆)の屋敷
・中条氏(足利被官、守護職、奉公衆)の城(金谷城)

【西尾市幡豆郡地区/岡崎市中心部地区より南に20キロ】
・西条吉良氏(足利一族、将軍御一家)の屋敷と城(西条城)
・奥州吉良氏(足利一族、奥州管領家、関東公方御一家)の屋敷と城(東条城)
・一色氏(足利一族、四職家、九州探題、守護職)の屋敷
・今川氏(足利一族、将軍御一家、九州探題、守護職)の城(今川城)
・荒川氏(足利一族、戸賀崎氏分家、守護職)の城(戸ヶ崎城)

211 :人間七七四年:2012/08/02(木) 23:16:24.49 ID:SUZ9fFGw
室町幕府樹立後(開府〜観応の擾乱) 西三河の日本支配構造

【東海道】
・伊賀国守護:仁木義直、細川清氏、仁木義長、高師冬
・伊勢国守護:高師秋、仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・志摩国守護:高師秋、仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・尾張国守護:中条秀長、高師泰
・三河国守護:高師兼、仁木頼章
・伊豆国守護:石堂義房、上杉重能
・遠江国守護:今川範国、仁木義長、今川範氏
・駿河国守護:石堂義房、今川範国、今川範氏
・武蔵国守護:高重茂、高師冬、高師直、上杉憲顕、仁木義章
・安房国守護:斯波家長
・上総国守護:高師直

【畿内】
・摂津国守護:仁木頼有、細川繁氏
・和泉国守護:畠山国清、高師泰、細川顕氏
・河内国守護:細川顕氏、高師泰、畠山国清

【北陸道】
・若狭国守護:斯波(大崎)家兼、斯波高経、斯波氏頼、細川清氏、石橋和義
・越前国守護:斯波高経、細川頼春、斯波氏経
・越中国守護:吉見頼隆、細川頼和、斯波高経

【東山道】
・奥州探題:斯波(大崎)家兼
・羽州探題:斯波(最上)兼頼
・上野国守護:上杉憲房、上杉憲顕
・下野国守護:高師直、仁木頼兼

212 :人間七七四年:2012/08/02(木) 23:17:18.34 ID:SUZ9fFGw
室町幕府樹立後(開府〜観応の擾乱) 西三河の日本支配構造

【山陰道】
・丹波国守護:仁木頼章、高師詮
・丹後国守護:今川頼貞、荒川詮頼、上杉朝定、上野頼兼、仁木頼章
・但馬国守護:今川頼貞、吉良貞家
・伯耆国守護:石橋義和
・石見国守護:上野頼兼、高師泰、荒川詮頼
・因幡国守護:吉良貞家、今川頼貞
・伯耆国守護:石橋和義

【山陽道】
・備中国守護:細川頼之
・備後国守護:仁木義長、石橋和義、細川頼春

【南海道】
・紀伊国守護:畠山国清、
・淡路国守護:細川師氏、細川師春
・阿波国守護:細川和氏、細川頼春、細川頼之
・讃岐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
・伊予国守護:細川頼春、細川頼之
・土佐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之

【西海道】
・九州探題:一色範氏、一色直氏、細川繁氏、斯波氏経
・筑前国守護:一色直氏
・肥前国守護:一色直氏、一色範光
・肥後国守護:一色直氏
・日向国守護:細川頼春、一色直氏

213 :人間七七四年:2012/08/02(木) 23:27:58.67 ID:SUZ9fFGw
室町幕府の奉公衆
奉公衆(ほうこうしゅう)は、室町幕府に整備された幕府官職の1つである。
将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた

・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏
二番番頭 桃井氏
三番番頭 上野氏
四番番頭 石垣氏(畠山氏)
五番番頭 大館氏

・奉公衆の人数は全国合計250〜300人

・三河国は全国で最大人数
【熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)


三河国の奉公衆一覧

【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田

【足利一族被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部

【三河源氏】
足助、水野

【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永

【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)

【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下

【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、松平、三浦、丸山、大和

214 :人間七七四年:2012/08/02(木) 23:32:43.60 ID:SUZ9fFGw
室町幕府の奉公衆
・奉公衆(ほうこうしゅう)は、室町幕府に整備された幕府官職の1つである
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数

・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏
二番番頭 桃井氏
三番番頭 上野氏
四番番頭 石垣氏(畠山氏)
五番番頭 大館氏


三河国の奉公衆一覧
【熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田

【足利一族被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部

【三河源氏】
足助、水野

【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永

【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)

【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下

【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、松平、三浦、丸山、大和

215 :人間七七四年:2012/08/05(日) 12:43:48.68 ID:VjXf/MZT
なにこの流れ

216 :人間七七四年:2012/08/05(日) 12:44:35.70 ID:RSKh5C4+
>>215
いつもの荒らしがゴミコピペを投下してるだけ

217 :人間七七四年:2012/08/05(日) 13:02:39.47 ID:VjXf/MZT
そっか、夏休みだしね

218 :人間七七四年:2012/08/05(日) 16:32:44.90 ID:mgqxuzak
徳川家康家臣団vs劉備家臣団
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1344151108/

219 :人間七七四年:2012/08/05(日) 20:02:46.46 ID:NTclLCPt
三河人のどこに農民的気質があるのか?w
日本一、武士のエキスが濃縮されているいるではないかw

万年パシリの猿の戯言は大概にせい





220 :人間七七四年:2012/08/07(火) 04:55:32.45 ID:IyuJZym3
三河国、守るために信長に振り回され
秀吉に嫌々、使わされ
秀頼もすぐに殺さず、豊臣と徳川と同程度の扱いにして
晩年、自分の子孫かわいさに豊臣潰したけど

トータルでこの人の人生見た場合、戦国時代の世の中でかなりまともな人だと感じた。

221 :人間七七四年:2012/08/08(水) 13:59:33.39 ID:t7810X3w
>>220
死ぬ前に医者を島流しにしたのは差し引いても自制心の強さはハンパないなw

222 :人間七七四年:2012/08/09(木) 13:51:28.04 ID:y544sQ9P
豊橋市
吉田神社/社殿は安達藤九郎盛長が造営、天王社勧請

ウソ。

吉田城代駿州藤原朝臣伊東左近将監元実

        代官藤原朝臣吉田四郎左衛門重安

天王御宮一宇

 天文二十二 甲寅 年六月 作事奉行 畑三郎左衛門勝吉

                   佐久間平助光信
→愛知県史 資料編10「棟札写」(豊橋市吉田神社)

天文22年につくったんです。

223 :人間七七四年:2012/08/09(木) 14:06:29.54 ID:1yJs9sBx
現在の社殿がだろ
建て替える必要があれば建て替えるだろw
火事とかもあるしな

文句があるなら、吉田神社に泣きながら抗議して、御由緒を直させろや

224 :人間七七四年:2012/08/10(金) 01:33:24.15 ID:GvlKUKdG
金本位制な江戸期の経済政策って、よく分からんけど
現代と違って貿易も無ければ
幕府債?だって安定してそうだけど
贅沢や倹約したら何か変わるの?

225 :人間七七四年:2012/08/10(金) 07:06:57.69 ID:Ryr+cPBW
そもそも武士の給料は米でもらうから、金を増やしても武士の収入は増やせない。
対抗するには経済を冷え込ませて、デフレにするしか無い。

226 :人間七七四年:2012/08/10(金) 13:56:07.18 ID:d6pUjmd7
久しぶりにこの板にきたけど、仙台藩百姓とかいう家康嫌いのコテはいなくなったのかな。

227 :人間七七四年:2012/08/10(金) 16:07:35.29 ID:0wVihgtr
百姓は死んだんじゃね?

228 :人間七七四年:2012/08/10(金) 17:23:38.46 ID:jmR0+TnE
コメだっけか
まあ銭にしても、インフレで相対的に所得は低下するな

229 :被災直後から書込み無く死んだと思われ:2012/08/11(土) 00:29:17.73 ID:R0KWilWc
米を現物支給って、一部じゃね?

230 :人間七七四年:2012/08/11(土) 00:36:54.91 ID:/gsMqBk2
>>229
米でもらって札差で換金だろ?

231 :人間七七四年:2012/08/11(土) 11:29:21.72 ID:yMcJa+jP
田んぼから食うヤツへ持って行くのが
最短ルートなんだから、
あっちこっち運搬しないんじゃ無いの?

232 :人間七七四年:2012/08/11(土) 15:41:35.95 ID:zac0WndC
>>231
君ん家がどんな田舎かしらないけど、日本の他の地域じゃ生産者から流通者に一旦渡って、そこから必要な需要者に送られるんだよ

233 :人間七七四年:2012/08/11(土) 15:52:03.04 ID:S0s6mWWN
>>231
その食うやつが田圃の近くにいればいいけどな

234 :人間七七四年:2012/08/11(土) 16:58:04.25 ID:HF/OB6T/
>>232
普通、生産者と対になるのは消費者だし流通者は日本語として駄目なんじゃね?


235 :人間七七四年:2012/08/11(土) 19:53:30.31 ID:S0s6mWWN
別に対になる概念としてつかってなくね

236 :人間七七四年:2012/08/12(日) 09:54:09.11 ID:GtYG1XZG
じゃあ何か、自給自足分以外は
田畑→納税先→大商人の蔵→小売商の蔵→その他→村→消費者
と現代でも多そうな流通経路を、人力+@で運搬してたのか?

流通コスト高過ぎて、小藩はロス大き過ぎると思うのだが、、、

237 :人間七七四年:2012/08/12(日) 10:12:36.50 ID:bRjs/8/5
>>236
当然そうなるやろ? ただ、村で消費する分は自給自足だろうから、納税した米の最終消費者は都市住民だろうけど。
下級武士は領地を持たず、毎年決まった量の米をもらうんだから、一旦、各藩の城下町に米を集めないと支給すらできない。

238 :人間七七四年:2012/08/13(月) 06:35:12.38 ID:tlIPL+7X
つまり
・トヨタ社員は毎月主要パーツ
・ドコモ社員は毎月携帯クーポン
・JT社員はタバコの山
とかで現物支給されて、各々で物々交換や換金してたって事か!!

仲介屋大儲けだなwww
それと兼合いでの経済政策気になる。

239 :人間七七四年:2012/08/13(月) 08:00:17.88 ID:gNJcdrSj
>>238
煽る前に札差でググって、本を二、三冊よんでから出なおせ。
お前だけ周りよりレベルが低いのを理解しろ。

240 :人間七七四年:2012/08/14(火) 14:49:58.51 ID:CXDiOWrd
札差:
蔵米取りの旗本・御家人に対して、
蔵米の受け取りや売却を代行して手数料を得ることを業とした商人。


大多数を占める非将軍家は無視かよw

241 :人間七七四年:2012/08/14(火) 15:11:42.87 ID:HO22Be81
武士は米を、米屋に売って現金を手に入れて庶民は、金で米を買ったのか

242 :人間七七四年:2012/08/14(火) 22:23:31.71 ID:HBqxEenz
>>240
よし、いいぞ。一つ学習したな。

次のキーワードは「蔵屋敷」だ。

243 :人間七七四年:2012/08/15(水) 18:00:45.16 ID:SU8GdJ7a
>>240
あと二週間か
間に合いそうか?

244 :人間七七四年:2012/08/16(木) 06:08:50.83 ID:O/OE1KAv
普通にTV見た感想だろうがw
答えられない八つ当たりするなよ( ´,_ゝ`)

245 :人間七七四年:2012/08/17(金) 08:47:54.03 ID:U2XhY8Jm
あぁ、テレビが根拠と
永原慶二ぐらい読んだらどうだ?

246 :人間七七四年:2012/08/23(木) 22:28:25.03 ID:YksY6PAc
家光が東照宮を無駄に豪華にするから、
気軽に近寄れず、墓自体が粗末に成ったのだ!!

ところで家康公の体の一部くらいは
久能山にもあるの?

247 :人間七七四年:2012/08/30(木) 17:39:24.69 ID:NVqzMfB8
伏見城の戦いって、鳥居元忠じゃなくて
その辺の松平・古参じゃダメなの?

強衛門勝商も鳥居なんだよな、、、

248 :人間七七四年:2012/08/30(木) 18:46:06.78 ID:jmnz05nX
義直が義朝の死んだ知多の寺に200石寄進したって
何の記録に残ってるかわかります?

249 :人間七七四年:2012/08/30(木) 18:47:45.98 ID:AQWpM+tX
>>247
つ松平家忠

250 :人間七七四年:2012/08/31(金) 01:28:12.41 ID:fbvZUZoS
なるほど一門も普通に居たんだな。

でも老臣に死に場所与えたってワケでも無い面々だ。
この血天井なら、部屋に飾っても安らかに眠れる気がする。
ほぼ真っ暗で普通なら怖い東照宮そばの駐車場でも
狭い軽の車中でグッスリ眠れたし、、、信心って凄いなw

251 :人間七七四年:2012/08/31(金) 09:43:37.50 ID:DR8+wyB5
籠城した将は名目上の城代だった武田信吉の周囲に領地を持つものか
そうでなければ、それなりの歳の跡継ぎがいるものばかりだからな

252 :人間七七四年:2012/09/01(土) 11:53:39.67 ID:xLP4iGwA
幕府を尾張あたりで開いてれば、幕府はもう少し長持ちしてたかもな。
関東にいるのに政治は京都で進むから江戸の連中は官軍が来る少し前に
ならんと状況が分からなかったのを見ても。

尾張なら三河にも近いし、京都にも5日程度で上洛できる。

253 :人間七七四年:2012/09/01(土) 23:01:45.67 ID:7hnj3O2J
大移動しちゃったのを撤回するほどのメリット無かったのでは?

254 :人間七七四年:2012/09/02(日) 00:33:24.54 ID:J7jaUdhT
京防衛を考えるなら中途半端な位置はやめて大坂に置いいたほうがマシな気がする

255 :人間七七四年:2012/09/03(月) 00:00:26.81 ID:2asuLQKu
三河連中の気質を考えたら関西のそれは合わないだろ。
本貫地に近い尾張美濃あたりに拠点おいて関東と関西に
にらみを利かすと。



256 :人間七七四年:2012/09/03(月) 21:36:47.59 ID:sFAVfHdj
お前は何を言っているんだ、万年パシリの田舎猿め
三河人は、京都に室町幕府を作っただろ



257 :人間七七四年:2012/09/05(水) 05:36:54.82 ID:U9C6Itma
家康公が2015年の大河ドラマになるそうだ

258 :人間七七四年:2012/09/05(水) 07:58:52.63 ID:dEHXUX5h
ほうほう(梟

本当なら原作小説はなんだろ?
今更、山岡荘八はありえないよね?

259 :人間七七四年:2012/09/05(水) 08:25:02.86 ID:a7+Xevqc
>>258
山岡荘八のは大昔に他局でやっただろ。

260 :人間七七四年:2012/09/05(水) 11:34:35.74 ID:d5qESsay
>>259
山岡は、民放と大河の2回、大河は滝田栄主演でやった。
民放は、青年時代までだったような。

261 :人間七七四年:2012/09/05(水) 12:09:51.24 ID:62FzTxYS
短気で熱血漢で面倒見の良い家康だといいなあ
これまでのテンプレみたいなキャラは嫌だ
徳川は家臣もみんなキャラ立ってるし
弱小なとこが天下取っていく展開は希望が持てて

262 :人間七七四年:2012/09/05(水) 15:35:34.92 ID:CRaeouZK
県内の経済界代表らでつくる「徳川家康公顕彰四百年記念事業推進委員会」の代表が31日、東京都渋谷区のNHK放送センターを訪れ、
「(没後400年にあたる)2015年の大河ドラマに家康公を取り上げてほしい」と要望した。
 一行は川勝平太知事、静岡市の田辺信宏、浜松市の鈴木康友両市長、同じく家康ゆかりの愛知県岡崎市の柴田紘一市長ら35人。
静岡商工会議所の後藤康雄会頭が代表してNHKの松本正之会長に要望書を渡した。
 1963年に始まった大河ドラマに家康は何度か登場しているが、川勝知事らは「時代を先取りしていた平和外交などの功績を改めて伝え、
世界へも発信できるようなドラマをお願いしたい」と希望。松本会長は「家康の本は海外でもよく読まれている。(実現へ)検討したい」と応じた。
 要望後は都内で推進委の総会を開き、岡崎市の関係者が新たに役員に加わることなどを承認した。

ソース 朝日新聞
http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000001209010002

【静岡】「徳川家康を大河ドラマに」 川勝知事らがNHKに要望★4
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1346771459/

263 :人間七七四年:2012/09/05(水) 20:42:20.07 ID:RTA45H93
来年度の大河の発表もまだなのに、2015年度が家康になるだろうとか
100%憶測だな
地元が誘致活動してるだけの話

264 :人間七七四年:2012/09/05(水) 21:03:11.19 ID:RTA45H93
来年×→再来年○

265 :人間七七四年:2012/09/05(水) 21:18:53.52 ID:a7+Xevqc
>>261
1行目を見て島本和彦が描いたのを想像してしまった

266 :人間七七四年:2012/09/05(水) 23:43:44.77 ID:wSw5q6z1
家康公を大河でやってる年だけは、
NHK受信料を、、、払わないかwww

267 :人間七七四年:2012/09/07(金) 02:11:16.10 ID:4jpfgYsF
再来年の大河がもし「家康」になるなら、滝田栄主演の時の様に家康を美化した駄作にするのではなく、
家康の内面的闇や悪党的謀略をしっかり描いた作品にしてもらいたい。

スタッフは「龍馬伝」「平清盛」と同じで。
あのセットのリアル感は素晴らしい。
どっかの馬鹿な知事が「画面が汚い」とか馬鹿丸出し発言をしたが、そんなの無視。
「平清盛」は視聴率が良くないらしいが、俺自身は超面白いので、毎週楽しみに見てるからな。

「江」の様な軟弱な脚本とミスキャスト(秀吉:岸谷五郎)では見る気も失せる。

268 :人間七七四年:2012/09/07(金) 11:05:15.57 ID:3BPjd/ur
暇だからキャスト適当に考えようぜ!
松平時代:濱田龍臣・神木隆之介・加藤清史郎再び?
家康公:谷原章介・松田翔太・豊川悦司・上川隆也(寡黙系でイメージ刷新したい)
 無難路線なら渡哲也・西郷輝彦・永島敏行・市村正親あたり?

於大の方:美保純・川上麻衣子・松下由紀・水野真紀・宮崎美子・和久井映見
細川ガラシャ:森田美位子・佐々木望・高見侑里・トリンドル・ローラ(舌出し娘)
他の姫:小西真奈美・壇れい・優木まおみ・伊藤まい子・永作博美・藤谷美紀

信康:中村獅童・堺雅人・佐藤隆太・袴田吉彦
秀忠:小栗旬・真田広之・山本耕史・萩原聖人・妻夫木聡
信長:中村獅童・役所広司・草刈正雄・京本政樹・生瀬勝久
羽柴秀吉:香川照之・岸谷五朗
太原雪斎:伊武雅刀・笹野高史・市村正親

思い付かずに時代劇俳優調べて1時間も掛かった(′・_・`)

269 :人間七七四年:2012/09/07(金) 19:41:53.57 ID:7o2J3UON
室町幕府の支配層一覧

■将軍御一家
【三代将軍足利義満時代】
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良)
・今川氏(三河国幡豆郡今川)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)←初代渋川義顕は、同母兄の斯波家氏と共に三河(滝山寺)で出家(板倉右衛門入道)

【八代将軍足利義政時代】
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良)
・東条吉良氏(三河国幡豆郡吉良)←初代の足利義継は長瀬四郎と号し、長瀬郷(三河国額田郡長瀬)を本拠とした
・石橋氏(三河国設楽郡石橋)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)←初代渋川義顕は、同母兄の斯波家氏と共に三河(滝山寺)で出家(板倉右衛門入道)

■三管領(将軍に次ぐ最高の役職、将軍を補佐して幕政を統括)
幕府執事(管領の前身)
・高氏(三河国額田郡菅生)
・仁木氏(三河国額田郡仁木)
・細川氏(三河国額田郡細川)

管領
・細川氏(三河国額田郡細川)
・斯波氏(三河国碧海郡矢作)←初代斯波家氏は、祖父より碧海郡碧海荘を相伝し本拠とした
・畠山氏(武蔵国男衾郡畠山)

■七頭(管領家とともに幕政に参加できた七家)
・一色氏(三河国幡豆郡一色)
・山名氏(上野国多胡郡山名)←初代山名義範の実父は、矢田城主(三河国幡豆郡矢田)の矢田義清
・京極氏(山城国葛野郡京極)←京極高秀(佐々木道誉の嫡男)親子は三河国額田郡下和田郷の領主
・赤松氏(播磨国播磨郡赤松)←善住寺(豊川市)に赤松円心親子の墓あり、赤松円心は一時額田郡小久田に隠れ住む(赤田和城)
・土岐氏(美濃国土岐郡)
・上杉氏(丹波郡何鹿郡上杉)
・伊勢氏(出自不明)←活動を記録した最古の資料では、初代伊勢俊継は父、叔父、従兄弟と共に三河国額田郡賀茂郡で活動

270 :人間七七四年:2012/09/08(土) 10:48:17.51 ID:B0h1Fm7G
竹千代→元康時代は無理なのは承知だが、
「家康」は津川雅彦しか認めぬ!

が、江の惨状を考えると、むしろやらない方が良いかもな。

271 :人間七七四年:2012/09/08(土) 22:54:13.45 ID:VN1Lgr6h
じゃあ聞くが、リアル家康公がどんな性格だったか言ってみろ!!

・健康長寿の為に粗食
・前轍踏まない研究
・大恩には必ず報いる
・側室まで経産婦
・ならぬ堪忍、するが堪忍
変態的とも言える御家の繁栄第一主義だろ?
歴板住人的に、饒舌な俳優は有得んだろ!!

272 :人間七七四年:2012/09/08(土) 22:57:16.25 ID:GtcuCDoP
「葵三代」の津川は良かった。
要は脚本の出来と配役次第。
「江」の三成役に、気の弱そうな萩原聖人ではキャストの人選ミスなのは明らか。


273 :人間七七四年:2012/09/09(日) 01:59:05.42 ID:oa3OI7d+
家康は中村梅之助がいい

274 :人間七七四年:2012/09/09(日) 09:17:46.70 ID:N4R/G4hY
葵は秀吉死去からスタートであって、家康ももはや怖いもの無しの時代だから、
信長にあごに使われてた時のような「耐え忍ぶ」という光景は少なかったな

275 :人間七七四年:2012/09/10(月) 02:10:47.22 ID:57g/VNdo
歴史ヲタになるまで家康はどうしても「狸親父」のイメージが
強かった(やっぱテレビでやるのは関が原以降が多いんだよね)。
でもこの人、関が原前までは基本とても律儀だよね。
一歩間違えたら泥を被りそうな場合であっても律儀を通して
結果オーライになるパターンは割りと多いけど。


276 :人間七七四年:2012/09/10(月) 05:30:49.19 ID:E2zJFnWI
単なる「偽善」の演技なんだがな。お目出度いにも程がある。

277 :人間七七四年:2012/09/10(月) 06:22:55.20 ID:+A4P/MZu
>>276
偽善の演技?
ああ、転痴人の主人公のことですね
分かります

278 :人間七七四年:2012/09/10(月) 07:20:03.05 ID:341ANccS
まあ、家康が秀頼に何したか考えたら偽善者って分かるわな

279 :人間七七四年:2012/09/10(月) 07:54:26.73 ID:wSk9MQ0E
司馬史観うぜぇ

280 :人間七七四年:2012/09/10(月) 08:22:30.79 ID:ROgfcO9j
>>272
俺は三成に萩原聖人は配役としては最初よかったとおもえたな。
あの人ガチ威圧的なキャラとかやらせたら凄みがあるし。
ただ演出、監督、脚本がもう三拍子そろってダメだったイメージ。

281 :人間七七四年:2012/09/10(月) 09:19:20.77 ID:lqfP4RKA
>>279
では君は誰史観だ?

282 :人間七七四年:2012/09/10(月) 09:53:49.77 ID:bKA49Viw
>>281
山岡荘八

283 :人間七七四年:2012/09/10(月) 09:56:10.25 ID:57g/VNdo
>>276
 
「偽善」にせよ一歩間違えればお陀仏だからなあ。
信長との同盟を遵守したのも結果オーライだから良かったけど。
小牧・長久手も絶妙のタイミングで信雄君が講和してくれたお蔭
だし。
こういう運の良さはやっぱり最終天下人だなと思う。

>>278
秀頼は仕方ないよ。家康はむしろ高齢にもかかわらず辛抱強く
恭順を待っていたと思う。徳川の提示した策をことごとく蹴って
戦の準備を始めたら仕方なす。

284 :人間七七四年:2012/09/10(月) 10:07:18.86 ID:U2W+ca8S
偽善だろうが演技だろうが、最後の一回しかあまり人を裏切るようなことはしなかったから
十分誠実な人間の部類に属する
てか、戦国武将はつねに裏切りカードを持っていていつでも行使できる状態にあったが、
家康ほど効果的なカードのきり方をした人はいない

285 :人間七七四年:2012/09/10(月) 10:15:19.24 ID:wSk9MQ0E
>>281
史料重視。講談とか小説には左右されん。

286 :人間七七四年:2012/09/10(月) 11:48:03.97 ID:qdTH0JGV
豊国神社破却も守る家が滅んだ神など、どんな禍津神になるか知れたもんじゃないので
当初の予定通りに大仏の鎮守になって貰った方が良いわな

287 :人間七七四年:2012/09/10(月) 12:13:36.40 ID:EdXaUfzu
「秀頼を頼みます」と頼んだって言うけど、
秀吉も武者は犬ともいへの時代を生き抜いた人間なんだから、自分の死後、家も秀頼も安泰と本気で信じたのかね?
信玄ばりに負の遺産を引っ張ってる状態なのにね。
秀吉だって三法師を神輿にしたし、そういうのは秀吉自身が一番分かってる筈じゃないのか?
年老いて気弱になったとか?

288 :人間七七四年:2012/09/10(月) 12:26:03.41 ID:LMgYUVFI
だから5大老とか色々と講じたんだろうけど、ことごとく失敗した感が否めない。
豊臣が滅んでも内府と称していたと言う話もあるし、家康個人として、秀頼をどう
したかったんだろうね。

289 :人間七七四年:2012/09/10(月) 12:33:41.32 ID:EdXaUfzu
秀頼と千姫の間に男子が生まれていたら、没落させられても血だけは残ったのだろうか。

290 :人間七七四年:2012/09/10(月) 13:46:28.99 ID:57g/VNdo
>>284

確か司馬先生が家康の最大の武器は「律儀」だと言っていたね。
最後の裏切りによって「狸親父」と言われ続けるのは気の毒。
むしろ家康は戦国時代でも稀な律儀人だったのに。

>>287
結局は家康の律儀さにかけるしかなかったんだと思う。
あれだけ秀頼を頼みますと哀願してるんだから秀吉だって
自分の死後どうなるか心配していたと思うよ。
自分が織田家にした事を思えばそりゃな。

>>288
恭順してくれればそれなりの地位というかポストは用意していた
と思うけどね。一応孫婿だし。公家として存続させる手もあったかも
しれない。
家康にしてみれば豊臣政権内での織田家のようにするつもりだったん
じゃないか。

291 :人間七七四年:2012/09/10(月) 14:50:19.89 ID:lqfP4RKA
>>285
聖書重視。人間は神が造ったのでありダーウィンの進化論には左右されん。
byキリスト教原理主義者。

アホか。



292 :人間七七四年:2012/09/10(月) 15:36:57.67 ID:YZcANnD/
上杉家みたいな中大名として、
生き残る道残してやってたのに
偽善者とか滅茶苦茶言うバカが多過ぎる。

強い者には巻かれた信長ならすぐ根絶やし。
事実上の天下取ってても、徳川家以上に待ってくれたであろう大大名って
上杉家以外にどこかあるのか?

293 :人間七七四年:2012/09/10(月) 23:35:33.08 ID:wSk9MQ0E
>>291
あんたが痛い子だと言うことは理解した。

294 :人間七七四年:2012/09/11(火) 01:58:10.59 ID:pT1synkA
 
徳川家康はイギリスの歴史をもてあそんだ。
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/49/316.html
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/C2/03/24.html
関ヶ原の戦いは、イギリスの初代征服王ウィリアム1世の戦いを記念したパロディ。
征夷大将軍就任は、ジェームズ1世がイングランド王に即位した、まさにその日だった。


295 :人間七七四年:2012/09/15(土) 00:18:48.67 ID:B/qLTJ73
BS歴史館見て、改めて関ヶ原がバクチなのかもと思ったw

296 :人間七七四年:2012/09/15(土) 10:20:41.09 ID:CV/QA2SG
家康って大坂の陣の翌年に死んでるが、豊臣と戦っているときは指揮とっていたんか、体調悪いから寝ていたのかどっちなんだろうな。

297 :人間七七四年:2012/09/15(土) 10:43:53.28 ID:6JeLg8Af
仕事がなくなってガクッと来たんじゃね?
燃え尽き症候群。

298 :人間七七四年:2012/09/15(土) 10:55:28.33 ID:klicRqYw
>>296
普通に指揮とってる。

299 :人間七七四年:2012/09/15(土) 11:41:21.97 ID:PRyhF64c
三ヶ月闘病しているから、それまでは普通の生活していてもおかしくはない

300 :人間七七四年:2012/09/15(土) 11:55:22.68 ID:FJALuZ7j
晩年まで戦争できるくらいに、ボケずに元気というのもすごいな。
秀吉とは対照的。

301 :人間七七四年:2012/09/15(土) 12:28:27.77 ID:AOnkCoOq
幽斎や如水のように、晩年は悠々自適に楽隠居…

はできなかったな。

302 :人間七七四年:2012/09/15(土) 12:32:39.02 ID:klicRqYw
>>299
てんぷらを食ったと言われる日も鷹狩してるし

303 :人間七七四年:2012/09/16(日) 02:31:58.78 ID:zrIhh3Oe
政治家としても幸福な死だよなぁ、発病から
三ヶ月も時間的余裕があったし死の直前まで意識が
混濁することもなかったから死後の布石を的確に
打つことができた
日頃の摂生の賜物だね

304 :人間七七四年:2012/09/16(日) 02:41:20.50 ID:5HMacE1m
でも、麻酔がない時代の胃癌でしょ?
相当痛いはずだけど。

305 :人間七七四年:2012/09/16(日) 02:49:08.69 ID:zrIhh3Oe
どうなんだろう、胃癌の痛みはなったことないから
わからないけど老齢だから進行も緩やかだったのでは?
けっこう肥満体だったのも闘病の体力を支えてたかも
末期にはげっそり痩せてたそうだから

306 :人間七七四年:2012/09/16(日) 20:04:33.69 ID:QgGGtPpg
秀頼出ても無いのに、なぜ関ヶ原で大バクチ?
秀忠に「真田は相手するな」って厳命しとかなかったの?

307 :人間七七四年:2012/09/16(日) 21:30:18.13 ID:JJyUvp4P
そもそも、ロスは数日程度。
本当に遅れた理由は本隊からの連絡が遅れて、決戦日時が分からなかったことと
天候が悪くて行軍スピードが出せなかったこと。

ってか、なし崩し的に決戦になってしまった経緯から考えて、事前に準備しとくとかできるわけがない。

308 :人間七七四年:2012/09/16(日) 23:16:18.65 ID:53u1/GrQ
「徳川家が天下取る為に、
手強い真田は絶対相手するな!!」で良くね?

あと僻地に転封しなかったのかも不思議。

309 :人間七七四年:2012/09/17(月) 05:58:43.10 ID:oHINh20c
>>308
目的が最初から真田討伐だから論外だろ

310 :人間七七四年:2012/09/17(月) 07:05:46.19 ID:Ckg3DUOL
松代は十分僻地じゃん

311 :人間七七四年:2012/09/17(月) 10:58:54.10 ID:c/HXoQJm
家康って麦飯と味噌以外はどんな飯食ってたんだろ?
大御所とかになっても相変わらず麦飯と味噌ばっかり?
検索しても安土で供応されたメニューしか出てこん。

312 :人間七七四年:2012/09/17(月) 11:26:06.51 ID:qGlNwMDA
>>311
伏見落城の報が届いたときは鶴鍋を食べている

313 :人間七七四年:2012/09/17(月) 12:04:50.71 ID:oHINh20c
>>311
検索したらこんなのが出てきた
他の所を見ても丸干しイワシはよく出てくる
http://www.vivere.jp/special/special/post_14.php

314 :人間七七四年:2012/09/17(月) 13:02:48.96 ID:c/HXoQJm
>>312
肉料理か地方行くと供応受けてるのかな?

>>313
d
茄子は無いんだな。。。

315 :人間七七四年:2012/09/17(月) 15:11:19.33 ID:jeUTEurO
>>314
右の膳の「かくや香物」は、茄子の漬け物の刻み。
あと、麦飯は、脚気予防にいいな。


316 :人間七七四年:2012/09/17(月) 18:21:48.13 ID:c/HXoQJm
あの当時の麦飯は今のやつと違ってまずかったんだろうな


317 :人間七七四年:2012/09/17(月) 19:36:57.78 ID:jeUTEurO
鷹狩りに行ったときは、獲物の雉や兎をBBQにして食ってるはず。動物性淡白は十分に補給してそうだな。

318 :人間七七四年:2012/09/17(月) 19:44:02.73 ID:c/HXoQJm
今日のご飯のおかず狩ってきますという感じだったんだろうな
戦の道中でも。あとは現地で泊まったところの名物の献上を受けて食う。
合戦も負け戦にならん限り食い倒れだったんだろうな。
14代将軍が京都に行く道中毎度各地のお菓子を食いまくってるのを
見ると

関ヶ原の合戦のとき美濃で柿の献上受けて喜んだという話も
あるから

319 :人間七七四年:2012/09/17(月) 20:19:36.86 ID:xK+14R34
うろ覚えだけど、戦が膠着状態でヒマそうにしてる兵に家康が「お前らヒマなら狩でもしてこい」という逸話をどっかで聞いた事がある。

狩は弓矢や鉄砲の稽古になるし、獲物が捕れればメシのおかずになるからだそうな。

320 :人間七七四年:2012/09/17(月) 21:15:39.19 ID:c/HXoQJm
今日はイノシシ 昨日はクマ 前は雉なんて感じだったんだろうな
獲ったものを物々交換で変えられるかもだしな。たしか合戦の場には
物売りが相当出入りしてたみたいだし


321 :人間七七四年:2012/09/17(月) 22:45:16.56 ID:jeUTEurO
合戦場の物売りって、忍玉乱太郎の桐ちゃんだな。

322 :人間七七四年:2012/09/17(月) 23:19:26.78 ID:c/HXoQJm
実際に物売りとかいろんな業者がついてきたそうだな。
修理屋 薬屋、娼婦、略奪物の引き取りする連中とか。

323 :人間七七四年:2012/09/18(火) 02:14:38.59 ID:f7IDmsC3
熊ってくえるのか_?

324 :人間七七四年:2012/09/18(火) 02:24:15.52 ID:8VRaOuN6
>>323
ttp://item.rakuten.co.jp/hokkaido-omiyage/381907

325 :人間七七四年:2012/09/18(火) 02:49:52.39 ID:f7IDmsC3
いやいや、現代の技術なら食えるだろう、うんこ肉とかもあったし
当時の、それも戦場でそんな下ごしらえとかできるのか?って事よ
相当クセがあるんだろアレ

326 :人間七七四年:2012/09/18(火) 08:14:42.37 ID:9cLo9fyK
逆にそれしか無ければ食うしか無いだろ。
品種改良した肉牛とか豚とかいないし。

327 :人間七七四年:2012/09/18(火) 10:13:29.79 ID:f7IDmsC3
その理屈なら何でも食えるじゃねえか
食えるだろうって憶測はいらんよ

328 :人間七七四年:2012/09/18(火) 13:04:02.10 ID:8VRaOuN6
んで、食えないだろうという憶測に同意して欲しいのか?

329 :人間七七四年:2012/09/18(火) 14:11:12.32 ID:8b11KPLV
昔は生き物なら何だって食したと思うよ
鳥取城かつえ殺しでは城内の馬牛は勿論、草まで喰い尽くし最終手段として城兵同士で互いの身骨を争った
女子供の差別なく生首を取られ喰われた
人間も喰った時代

330 :人間七七四年:2012/09/18(火) 16:01:51.75 ID:7v5CFixS
>目的が最初から真田討伐だから論外だろ
だったら何も天下分け目直前にしなくても良いだろw


>松代は十分僻地じゃん
本州の中心部じゃん。

331 :人間七七四年:2012/09/18(火) 16:44:38.93 ID:FMlDanOV
>>300
天下分け目だと分かるのは合戦が終わった後の話

332 :人間七七四年:2012/09/18(火) 17:37:58.13 ID:f7IDmsC3
>>328
そういう被害妄想前回なレスもいらないです
疑問に答えられないならスルーしといてくれよ

333 :人間七七四年:2012/09/18(火) 18:07:32.56 ID:8VRaOuN6
>>332
こっちでやれ

戦国時代の食事5膳目
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296992418/


334 :人間七七四年:2012/09/19(水) 15:59:10.82 ID:0HujA8lH
>天下分け目だと分かるのは合戦が終わった後の話
小山で東日本の諸大名が団結して
西進するって決めてたのにか?w

335 :人間七七四年:2012/09/19(水) 16:06:00.05 ID:BTScMKrs
>>334
9月15日に関ヶ原で行われたのが決戦だと小山会議の時点で分かっていたのか!

336 :人間七七四年:2012/09/19(水) 20:36:05.08 ID:SFKwyC5D
家康が関ヶ原を意図的に最終決戦化した
何より味方の裏切りを恐れた家康は、全軍が日和見のできない必死に戦わざるを得ない陣形とした
いわゆる「死地に入る」戦法といわれるもの

337 :人間七七四年:2012/09/19(水) 23:23:37.83 ID:nL/2VP1c
>>334-335
小山評定自体が近年は疑問視されてるし、開かれたとされてる日以前に
家康の指示で諸将は反転し始めてる。

そもそも秀忠に真田征伐を命じたのも家康だし。

338 :人間七七四年:2012/09/19(水) 23:51:48.20 ID:+LGHtbXh
よほど真田に恨みがあったんだな>家康

339 :人間七七四年:2012/09/19(水) 23:54:20.97 ID:BTScMKrs
>>337
光成氏のその説は正直疑問

340 :人間七七四年:2012/09/20(木) 06:00:51.98 ID:tOiiGGdC
>>339
著名な史料でも、7月23日付最上義光宛家康書状で会津征伐中止を宣してる。
最近の白峰氏の論文では、福島正則宛家康書状の検討を進めて24日説を否定してる。

秀忠の方は8月23日付野間久左衛門尉宛秀忠書状に真田表仕置と明記してるし
同日付の真田信幸宛書状でも小県への出陣を命じてる。

341 :人間七七四年:2012/09/20(木) 08:59:26.16 ID:GN71uXKl
>>340
前者だけ疑問ということ
九日説も否かと

342 :人間七七四年:2012/09/20(木) 21:02:33.21 ID:kaJcqpzI
>>336
単に豊臣系を盾にしてイザ負けたらとっとと後退。後詰でくる徳川本隊と木曽川挟んで
対峙すればいいんだし。逆に西軍はどれだけ早く川を渡って苗木と清州を抑えられるか。

343 :人間七七四年:2012/09/21(金) 05:34:14.32 ID:TCzutk4m
>>341
9日節は無理だな。ただ19日説は残された史料から見て有力だし

24日の武徳大成記の方は、他の写しと文言の変化が大きすぎるので
転記ミスの重なりが憂慮されるレベル。

344 :人間七七四年:2012/09/21(金) 10:45:31.91 ID:2ku/wEX5
桐野がこないだ出してた関が原本はどうなの?
単なるまとめ本か、独自説みたいなのがあるの?

345 :人間七七四年:2012/09/21(金) 11:20:00.78 ID:IiKCb1RP
>>344
あれは以前、学研文庫で出したやつの加筆修正版、とあるが島津のあれこれ以外は大して変わっていない

346 :人間七七四年:2012/09/22(土) 12:38:17.08 ID:d5MQ1MEk
>単に豊臣系を盾にしてイザ負けたらとっとと後退
あれで負けてたら、最上以外全部敵に回って無いか?w

347 :人間七七四年:2012/09/22(土) 13:39:27.85 ID:4kclcE4e
>>345
さんきゅ。
加筆部分が優秀みたいなのを見かけたんだが島津ファンの視点だったかな。

348 :人間七七四年:2012/09/22(土) 15:06:34.75 ID:67mGiOV+
家康が酷いことやったのって
・大賀弥四郎一家全員処刑
・豊臣国松処刑

あと何かあったっけ
戦国三傑の中だと残忍な所業が少なめって感じがするけど実は違うのかな

いや徳川軍は民家焼くのが常道だったとかそういうのは抜きにしてだけど

349 :人間七七四年:2012/09/22(土) 16:38:26.01 ID:QjkG9wSb
国松処刑はしょうがないっしょ。
信長だって万福丸殺してるんだし。

350 :人間七七四年:2012/09/22(土) 17:19:48.77 ID:0O9sUNtJ
禍根を断つ為の必要悪。

351 :人間七七四年:2012/09/22(土) 17:51:38.85 ID:JJ8Bdbbi
国松がもし千姫の子供だったらどうだろう。

352 :人間七七四年:2012/09/22(土) 18:04:56.79 ID:67mGiOV+
千姫の嘆願で秀頼の娘は助命したんだよね
でも男子だとやっぱり無理だったのかな
頼朝が悪い前例作っちゃったからなぁ・・・


353 :人間七七四年:2012/09/22(土) 22:16:37.69 ID:qRdHmeZi
>>348
そこら辺は常識的対応で別に酷くは無いような。
三州錯乱だったか遠州錯乱時に撫斬りがあったくらいかな。

354 :人間七七四年:2012/09/22(土) 23:00:58.83 ID:cS4Lsu2a
>>348
あの時代では一番マシなんでない家康さんが。
秀吉は串刺しにしたり、主君の側室死刑にしたり、主君の息子自害させたり
と家康がマシに見えるくらいのことしてる。

>>351
寺に入って出家だろうな。

>>346
その最上も実は上杉に内通してたらしい。
佐竹が留守の関東に乱入した可能性は高い。
伊達は周辺切り取りで忙しいし

355 :人間七七四年:2012/09/23(日) 00:17:06.43 ID:QO7F+XWr
そだろね。
男子と女子の重要性ってか意味合いの違いを軽視してる
部分は多いとは思うな。
今の女系天皇の話じゃないが。

356 :人間七七四年:2012/09/23(日) 01:53:48.43 ID:yMHw0upX
え? 時期に今川氏みたいに1万石くらいで生き残れるんじゃね?


>三州錯乱だったか遠州錯乱時に撫斬りがあったくらいかな。
>秀吉は串刺しにしたり、主君の側室死刑にしたり
具体的に何の話?

357 :人間七七四年:2012/09/23(日) 16:37:34.26 ID:Y7rF+3jd
>>356
堀川城

358 :人間七七四年:2012/09/23(日) 16:38:34.60 ID:y2SFPsjN
秀吉の残虐行為
・山名攻めで山名の家臣から差し出されていた人質の少年少女を串刺し処刑
・秀次の正室と側室とその子供達三十数人を斬首 しかも秀次の首の目の前で処刑するという残忍さ
 なお最上義光の娘は側室に上がった直後で秀次の手もついていなかったため淀が助命を願ったが聞き入れず
・九戸政実の乱で九戸の妻子眷属まで皆殺し
・主君の遺子・神戸信孝を殺害
今思いつくだけでこれだけある
特に秀次事件については全く不必要な殺しと言うほかない
家康は人質を殺したことは一度もなかったんじゃないかな

359 :人間七七四年:2012/09/23(日) 16:51:23.12 ID:quvLauTD
>堀川城
因果応報じゃないの?

360 :人間七七四年:2012/09/23(日) 16:51:58.57 ID:PneUOKsN
淀殿は主君であった秀吉の側室だし、
秀頼は誓詞血判の上、忠誠を誓った主君。
それらを攻め殺し、その嫡子を罪人として打ち首。
信康事件、大賀弥四郎、大久保長安、堀川城
家康だってやってる事はやってんだろ。
そもそも戦国時代に残虐だのなんだのって議論が馬鹿馬鹿し過ぎる。

361 :人間七七四年:2012/09/23(日) 17:04:46.91 ID:quvLauTD
強者に刃向った者への報復としては、
最高の温情レベルだと思うがな。


時間旅行で元康公に面会して
「歯の治療後見れば分かる通り未来人です。
あなた様が天下を取れる手助けをさせて下さい」とか言ったら
要らん知恵入れられて、天下取れなく成る前に
消されそうなのは否めないがw

362 :人間七七四年:2012/09/23(日) 17:09:32.97 ID:2mve2xuw
>>360
秀吉のやった報いが豊臣滅亡というカタチになったんだろうな。
因果応報。

363 :人間七七四年:2012/09/23(日) 17:12:38.04 ID:PneUOKsN
似たような残虐行為でもこれは因果応報、これは悪行って事ね。
異常な秀吉嫌いか家康信者か知らないけど、完全にキチガイの発想だよね。

364 :人間七七四年:2012/09/23(日) 17:24:49.05 ID:y2SFPsjN
>>363
いくら戦国の世だってやり過ぎた殺戮って概念はあっただろ
おまえの考えだと戦国時代はどんな理由でどんだけ人殺ししても構わんってことになるな
仮にそうなら家康も鐘の文字に難癖つけて豊臣征伐の口実をこしらえたりと随分不必要な手間をかけたもんだな
おまえの戦国観なら難癖つけずにいきなり責め潰してもよかったわけだからな

365 :人間七七四年:2012/09/23(日) 17:52:18.96 ID:hTrt0d+v
似たような残虐行為でもこれは因果応報、これは悪行って事ね。
異常な家康嫌いか豊臣信者か知らないけど、完全にキチガイの発想だよね。

366 :人間七七四年:2012/09/23(日) 17:52:23.55 ID:PneUOKsN
>>364
現代から戦国時代の事を語るのに残虐も糞も無いって言ってんだけど、
そのくらい理解出来ないかな?
残虐な行為が往々にして行われてた時代を語る板で何言ってんの?って事。
どう読んだら、当時は戦国時代だから何をやっても許された、
だなんてアホな解釈になるのか理解出来ない。
家康スレでわざわざ「秀吉の残虐行為」だなんてやって一体何がしたいの?
荒らしたいわけ?

367 :人間七七四年:2012/09/23(日) 17:58:44.36 ID:quvLauTD
他のあらゆる大名より、はるかに温情がある
って言ってんだろ?キチガイ。

肉酒女を食う比叡山焼き討ちは支持するがw

368 :人間七七四年:2012/09/23(日) 18:12:50.39 ID:fhPKQVDD
ageてんのは荒らしだよ。
相手にしないこった。

369 :人間七七四年:2012/09/23(日) 18:19:00.63 ID:y2SFPsjN
>>366
何ファビョってんだか
残虐行為が多々あったからと言って程度差がないとか程度差を語ることが無意味だってことにはならんだろ
秀吉のこととやかく言われるのが我慢できないなら秀吉スレに池

370 :人間七七四年:2012/09/23(日) 18:43:35.05 ID:QZhojNlB
神戸信孝殺害は秀吉ではなく信雄の指示によるもの、
って過去に家康スレでも話題になってたけど
つうかなんか定期的にここで話題に出す人が居るんだよね
平日休日の昼夜問わずスレにしがみついてるような基地外

371 :人間七七四年:2012/09/23(日) 18:58:57.19 ID:9tzBQL5s
てか最近このスレで秀吉厨ほとんど見ない
思いきり叩かれるのが分かってるからか

372 :人間七七四年:2012/09/23(日) 20:26:38.16 ID:quvLauTD
伊達の何たらってバカも震災で見事に死んだしなwww

373 :人間七七四年:2012/09/24(月) 12:17:10.89 ID:1aoBbE4I
ああ、仙台藩百姓か
確かにこの頃見ないなw
氏んだ可能性はあるな。

374 :人間七七四年:2012/09/24(月) 12:39:30.81 ID:SBm4edXu
あるどこじゃ無くて、震災の直前まで
他スレで書込まれてて、それから誰も見ないんだから
99%瀕死以上に決まってる。

375 :人間七七四年:2012/09/24(月) 14:01:40.21 ID:gWGMThf2
仙台藩百姓……いい奴…じゃなかったな

376 :人間七七四年:2012/09/24(月) 14:07:41.21 ID:SBm4edXu
俺は家康公と同じで、恩も恨みも忘れないタイプだから
頭が悪くて逃げ遅れたんだろうな、ザマァwww
頭が悪くて逃げ遅れたんだろうな、ザマァwww
とか心底思う。

377 :人間七七四年:2012/09/24(月) 23:13:07.26 ID:wI0IE/K6
家康は正直嫌いなんだけど、
いくらなんでも、不可抗力で死んだ人間を嘲笑するような
お前のようなクズと同じでは 絶 対 ないと思うわ
仙台百姓の代わりにお前が死ねばよかったのに
氏ねじゃなくて、死ねの方な

378 :人間七七四年:2012/09/25(火) 00:14:10.81 ID:Mb/8k2B8
リアル上層な俺の場合、クラスで影薄そうなヤツが
半匿名ネットを良い事に、暴れ回っていたのに
事故死しただけで許すような甘い考えして無いからwww

東電の歴代役員も、財産没収の上終身刑以上が相当と思ってる。

379 :人間七七四年:2012/09/25(火) 01:29:06.90 ID:FsgHmyqw
百姓タソは、家康公に対するる屈折した愛情があったのよ。
そういうアンチが居たから、スレが活性化した。
南無南無。

380 :人間七七四年:2012/09/25(火) 11:16:08.58 ID:7GGYVgKC
伊達の仙台名乗ってたからそれは無いな。

でもアンチでスレ活性化は俺もよくやるwww

381 :人間七七四年:2012/09/25(火) 11:29:16.84 ID:Y7X/ogbV
でも君は、戦国板でアンチするにしても
コテハンもつけられないような雑魚なんだろ?

「半匿名ネットを良い事に、暴れ回ってい」るのは、
百姓ではなく、まさに君の方じゃないの?
口ほどにもない、本当の馬鹿だね
いい加減みっともないから、黙ってた方がいい
あるいは「リアル上層百姓」とでもコテハンつけて、正々堂々と
やるんですね


382 :人間七七四年:2012/09/25(火) 11:56:33.50 ID:7GGYVgKC
↑クラスで影薄い日陰者( ´,_ゝ`)

3英傑スレですら、1スレ1年近い過疎板じゃ
クッキー自動削除「回避」設定してまで
コテハン名乗る価値なんて無いよなw

383 :人間七七四年:2012/09/25(火) 12:52:13.55 ID:z9YYj5lU
関ヶ原の戦いは、イギリス征服を記念した。
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/39/266_1.html
単なるパロディにすぎなかった。
おまけとして、薩摩の武士たちがいじめられ殺された。
天皇一族にとっては、このむごたらしい仕業は、余興でしかない。
これは、ある意味で共感できる。
我々人類は、牛・豚・鶏などの家畜を大切に飼育し、屠殺して、食べてしまう。
これを虐待とは全く思わない。天皇一族も、他の人類にこのような感情を本音のところで持っている。
(仮説を含む)

384 :人間七七四年:2012/09/25(火) 20:25:08.97 ID:gakJK/Om
>>381
”だが”って有名人に言ってやってくれよ
発狂して食いついてくるから

385 :人間七七四年:2012/09/25(火) 23:23:07.36 ID:e1V4VR1b
前はそれなりに盛り上がってたよなぁ。
だが、だけじゃなくて史料出せくんとかサクザエモン
さんみたいなすごい人とか。

386 :人間七七四年:2012/09/26(水) 00:20:06.80 ID:KgVrPOea
聞いてないのに西三河武士団の起源を延々書き続ける人とか、
イギリスの歴史と徳川家を結びつけて陰謀論ぶつ人とか、
平日昼間に急に秀吉を叩き始める在日とか
今でも家康スレにはすごい人残ってるじゃん

387 :人間七七四年:2012/09/26(水) 01:29:39.22 ID:p6HMUg4v
人間コツコツやれば天下取れるとか間抜けな事を言っているからだろうw
三河にいたら吾妻鏡を読む事すら無かったとかな
鎌倉幕府の上層は三河繋がりばっかだろうが

農民気質とか、天皇に喧嘩を売った三河人の何処が農民なんだよ



388 :人間七七四年:2012/09/26(水) 06:47:00.12 ID:9s/ynKLK
>>386
あの不気味なコピペまだ居たのか。
NGワードに放り込んで透明あぼ〜んにしてたから気づかなかったよ。

389 :人間七七四年:2012/09/26(水) 08:17:18.63 ID:1AVk/vg0
知ってて言ってるのかも知れないけど、
>>386が挙げてるのは全部同一人物だよね。

390 :人間七七四年:2012/09/26(水) 09:37:59.26 ID:p+wv6+QD
織田家が通関で大儲けって、おかしいよな?
江戸は未開だった筈w

391 :人間七七四年:2012/09/27(木) 01:28:07.65 ID:nCDCO/tM
>>388
NGワードw馬鹿ほど無駄な労力を使うよなw
つーかageろ、先祖代々万年パシリの田吾作w





392 :人間七七四年:2012/09/27(木) 16:06:02.69 ID:bM1hHVva
胡散臭いブラウザ使いたくない俺は
毎回長文スルーするのに、コロコロやらされてるから
コスパは良いだろうがw

393 :人間七七四年:2012/09/28(金) 17:21:04.22 ID:SdkFSGUr
国松処刑によく頼朝の例があげられるけど、
関ヶ原戦後の真田信繁も助命したのに、大坂の陣では殺しかけてくるしな。
何の為に忠勝が助けたのやら。

394 :人間七七四年:2012/09/28(金) 18:26:30.95 ID:3p08hk5C
松代藩10万石か信繁の命好きなほう選べ
で良いのになw

395 :人間七七四年:2012/09/28(金) 18:36:19.89 ID:cVypq8Lu
島津にしろ真田にしろ本陣寸前まで迫られたというのに
所領安堵してるあたり家康公の器の大きさを感じるわ

396 :人間七七四年:2012/09/28(金) 19:42:11.07 ID:3p08hk5C
あとて潰すつもりだったのに、
上手く潰せなかったんじゃね?

397 :人間七七四年:2012/09/28(金) 20:51:12.63 ID:Cf65V5Gu
>>395
島津はまだしも真田は講談だしw

398 :人間七七四年:2012/09/28(金) 21:10:25.17 ID:SKIf0fz+
島津は上手いことすり抜けて戦線離脱しただけだし
真田は別に全然肉薄せずに玉砕しただけだしピンチでも何でもなくね?

399 :人間七七四年:2012/09/29(土) 08:41:32.23 ID:Iigl1r5g
娘が伊達に大事にされるほど
死に花咲かせたのは本当じゃないの?

400 :人間七七四年:2012/09/29(土) 09:10:17.73 ID:9cXyuU4g
>>399
ないよ。

401 :人間七七四年:2012/09/30(日) 15:43:55.07 ID:drn3kKP1
家康のファンって海外に結構いるんだな。権現さまもしくは「家康」でばっちり通じるから驚きましたw

402 :人間七七四年:2012/09/30(日) 18:03:07.14 ID:hI5YOTAb
企業で言えばトヨタだしw

403 :人間七七四年:2012/09/30(日) 20:38:26.42 ID:8C+H+NvQ
謝罪したら大減俸ってのが一応は当時のルール。
島津は豊臣公儀に蔑まれ続け、家来にもバカにされてきた義久ラインが家康派だったから救われたのもある。
秀吉は義弘を持ち上げた事によって義久の権威・影響力を落とすことに成功した。
上杉でも直江で同じことをやったが、こちらは成功しなかったようだ。
他でも結構やってるし、秀吉の常套手段。



404 :人間七七四年:2012/09/30(日) 20:52:32.49 ID:KqbV6UIN
公儀に従うのが義弘で、義久は一揆体質のままだった
家臣たちの利益を代表する存在だと思うがなぁ

家康派ってのも無いんじゃないかな?
島津家自体が取次だった石田三成にべったり依存してるし。

島津の所領安堵までの過程は、粘り強いと言うより
長久手後の家康と同じような状況で、国人や家臣の主張に
引きずら過ぎてただけのような。

405 :人間七七四年:2012/09/30(日) 20:58:03.10 ID:IEOPL7sg
そういう各論になると付いていけないから
大河で戦国期の九州大名やって欲しいもんだな。

立花宗重が10万石だったなんて昨日知ったw

406 :人間七七四年:2012/09/30(日) 21:09:41.82 ID:KqbV6UIN
>>405
立花宗茂の真の恐ろしさは諱の数だと思う。
どんだけ改名すりゃ気が済むんだというくらい改名してる。

407 :人間七七四年:2012/10/01(月) 00:58:09.74 ID:KkTz60kN
本能寺時って織田家に臣従してた松平って無かったっけ?

408 :人間七七四年:2012/10/06(土) 03:34:27.40 ID:YNzEeREd
家康の逸話と信長の逸話を読むと家康は信長と縁はあったんだろうけど
気は合わないだろうなあと思うた。
価値観が違い過ぎる。

409 :人間七七四年:2012/10/06(土) 08:51:31.94 ID:mm/PL/Lc
逸話で語られては迷惑だろな。

410 :人間七七四年:2012/10/06(土) 09:19:46.79 ID:wcJwkHn2
勝手に気が合わないなんていわれるほうが迷惑だろ

411 :人間七七四年:2012/10/06(土) 09:22:58.90 ID:kv/871GG
逆に価値観合わないから良かったのかもしれない
信長に一番近接したのは光秀だし

412 :人間七七四年:2012/10/06(土) 13:28:48.95 ID:oBmJl3Cu
信長クラスの変人(天才)に成ると
秀吉とかでも理解出来なかったんじゃ無いのか?


何でも良いから、お前ら本能寺時に織田に臣従してた
松平居ないのか教えてくれよ。
事後に徳川に寝返ってそうで楽しみなんだw

413 :人間七七四年:2012/10/06(土) 14:49:26.78 ID:5G/xRxxM
信長って割と常識人だけどなぁ。少なくとも秀吉ほどの狂気は無い

414 :人間七七四年:2012/10/06(土) 15:03:12.21 ID:Yeo9/Yg0
空前の大虐殺やって辺り一面死骸ばかりで足の踏み場も無いって
自慢してるのが狂気で無いならな。

415 :人間七七四年:2012/10/06(土) 15:21:13.12 ID:YNzEeREd
>>412
信長は天才というよりも鬼才だと思う。天才なら秀吉の方だと思う。
信長はポイントさえ抑えていればある意味わかり易いというか扱いやすいというか。
逆に家康みたいなタイプはわかりづらい感じだけど。


416 :人間七七四年:2012/10/06(土) 15:32:27.97 ID:Ja6uTrGe
虐殺=狂気って、正しいとは言わんが、坊主も百姓もヒャッハーしてる時代じゃねーか。
秀吉の狂気ってのは、残酷さもあるだろうけど、憎悪むき出しの疑心暗鬼ぶりだと思う。

417 :人間七七四年:2012/10/06(土) 15:39:22.21 ID:Yeo9/Yg0
長島も荒木もどう考えても憎悪剥き出しだけどな。
そもそも撫で切りってのは憎悪や疑心暗鬼に依る物で。

418 :人間七七四年:2012/10/06(土) 16:28:46.27 ID:oBmJl3Cu
信長のやった(頭蓋骨で飲酒とか)類例は稀だけど
秀吉のやった(実子可愛さ)類例はよくあるだろう(′・_・`)?

女にちょっかい出してた兵?を、いきなりバッサリ
とかは必要悪だとは思う。

419 :人間七七四年:2012/10/06(土) 16:52:05.48 ID:5G/xRxxM
>>418
頭蓋骨で飲酒って・・・今どきどこの山岡荘八さんだよ。
薄濃にして飾っただけだろ

420 :人間七七四年:2012/10/06(土) 17:06:56.46 ID:GOpwwhHE
こうしてみると信玄はやっぱりすごいよなあ
自国の2倍もある、日本で最も険しい山が立ち並ぶ山間の攻略の難しい信濃を
山之内上杉の大軍を大破しながら、また長尾の介入がある中切り取り
同じく山間部の大国上野を上杉相手に切り取り
駿河も大国北条と交戦&今川・北条・上杉・徳川・織田の包囲網張られた中で逆転劇で切り取り
自国の1.8倍くらいはあるであろう北条領を、少ない兵力で蹂躙しまくり、撤退戦で北条の大軍を撃破
織田・徳川相手に東美濃・三河・遠州切り取り最強家康&織田トップ格の佐久間・滝川・平手・前田(兄)ら精鋭を撃破
上村合戦や東美濃攻防では信長の大軍は馬場700程度に散々翻弄されまくる始末

武田軍団は過小武将だらけだからな
織田軍3万なんて東美濃攻防・上村合戦でボロクズのように馬場や秋山3000〜5000程度に蹴散らされたし
三方が原でもトップ格の佐久間が全く歯が立たず信長より遥かに戦上手な家康もヘタレるほど実力の差があったし
信玄はおろか勝頼にも全く歯が立たなかったのが実情だし

信玄>>勝頼>>>>>家康>>>>信長


421 :人間七七四年:2012/10/06(土) 17:51:30.88 ID:oBmJl3Cu
鉄砲台頭までは、僻地の兵が強いのは当然w



>>419
茶々は良いから、マトモな反論しろ!!

422 :人間七七四年:2012/10/06(土) 18:24:25.30 ID:5YcQkc1X
>>421
じゃあ、寧々で。

423 :人間七七四年:2012/10/06(土) 18:37:29.91 ID:GOpwwhHE
>>421
信玄の侵攻先の上野・信濃・奥三河あたりってかなり僻地なんだが…

424 :人間七七四年:2012/10/06(土) 18:40:25.15 ID:4JEQG9BG
>>421
茶々もなにも、頭蓋骨で飲酒なんて戦後の小説以降にしか出てこない描写で
史料には>419の通り「酒宴の肴にした」としか出てこない
それを杯にして呑んだとか、家臣にも強要したなんて記述は全くない

425 :人間七七四年:2012/10/06(土) 19:41:29.60 ID:oBmJl3Cu
枝葉末節は飽きたから、似た様なキチガイ行為した武将出せ!!


>信玄の侵攻先の上野・信濃・奥三河あたりってかなり僻地なんだが…
昇降で足腰鍛えられた兵同士だったら、数が多いほうが勝つだろう?
信玄自身の強さって詳しくないから分からん。
そんなに素晴しい組織・戦略あったか?w

426 :人間七七四年:2012/10/06(土) 19:44:52.19 ID:5G/xRxxM
>>425
枝葉末節じゃないだろ。発狂すれば良いってもんじゃねーぞ能無し

427 :人間七七四年:2012/10/06(土) 20:00:28.44 ID:oBmJl3Cu
飲酒したかどうかが枝葉末節じゃない論拠出せよ低脳( ´,_ゝ`)
飲酒したかどうかが枝葉末節じゃない論拠出せよ低脳( ´,_ゝ`)

428 :人間七七四年:2012/10/06(土) 20:28:21.94 ID:5G/xRxxM
まさか、この馬鹿は本当に違いが判ってないんじゃ・・・どんだけ低能?

429 :人間七七四年:2012/10/07(日) 14:21:59.51 ID:63BfNeOc
頭蓋骨で荒れるとは…。徳川とはあんまり関係ないし。

家康で憎悪むきだしといえば、三河一向一揆で寺を元の姿に戻してあげたことと、
孕石元泰の切腹と、謎が残るが大賀弥四郎の一族粛清や大久保長安の一族粛清?
他は何かあったっけ?

430 :人間七七四年:2012/10/07(日) 14:39:13.50 ID:C/OPWVW0
色々と無いから発狂してるのが居るんだけどなw

431 :人間七七四年:2012/10/07(日) 15:39:18.04 ID:qY7UARvJ
酒宴のしゃれこうべ見て、織田の家臣は平気だったが、徳川の家臣は引きまくっていたんじゃなかった?

432 :人間七七四年:2012/10/07(日) 16:12:32.18 ID:C/OPWVW0
織田家臣も引いてたと思うが、
首実検と何か違いがあるのか分からん俺w

433 :人間七七四年:2012/10/07(日) 16:44:26.69 ID:CN/wuuXm
>>432
そうか〜?
織田家じゃ、酒宴の髑髏なんて日常レベルだろ。
荒木一族の処刑に北陸から呼び寄せられた人間釜煎りマニアの前田
ナチュラルボーンキラーの鬼武蔵と磔マニアの忠政兄弟
カニバリズムと餓死者鑑賞が趣味の羽柴
叡山の坊主虐殺でリピドーした明智
大物だけで、これだけマニアックな趣味嗜好の奴らがいた織田家だぜ。
野卑で俗物の三河武士がドン引きの髑髏も、こいつらにとっては
「うちの殿様の趣味は上品過ぎて、つまらん」
て内心、嘲笑ってたんじゃね。


434 :人間七七四年:2012/10/07(日) 16:49:31.05 ID:o/ss4l/M
>>431-432
そりゃ小説とかの話だな。

元ネタと思われる信長公記や織田軍記の記載では
普通に盛り上がってたようだ。

435 :人間七七四年:2012/10/07(日) 16:54:50.93 ID:aWmtwzEQ
徳川家には、信玄の釜茹での釜を打ち壊させた家臣がいたような。
信玄入道のような悪逆非道の真似を、殿にさせてはならんとか言って。

436 :人間七七四年:2012/10/07(日) 17:06:04.38 ID:o/ss4l/M
>>435
その逸話は鬼作左だな。

437 :人間七七四年:2012/10/07(日) 17:26:54.15 ID:qY7UARvJ
>>434
>そりゃ小説とかの話だな。

小説ではないが、歴史雑誌で読んだ話

438 :人間七七四年:2012/10/07(日) 19:00:30.69 ID:CN/wuuXm
>>435
作左「釜ゆでのような残酷な刑罰を反対だ。やるななら火宅一択だ!」

439 :人間七七四年:2012/10/10(水) 16:49:32.17 ID:npebd7uW
鳥居なんとかだったかの貼り付けの絵って
有名だけどあれって、頭が下なのが本当?

440 :人間七七四年:2012/10/10(水) 17:33:02.30 ID:z7mIM2D/
勝商な。なんで?


ふと思ったけど、親藩の部屋住みとか気楽で良いなw

441 :人間七七四年:2012/10/12(金) 00:54:21.79 ID:TeTakuOZ
絵を見ると髪の毛逆立っているし逆さ磔だったのかも?という説らしい

442 :人間七七四年:2012/10/12(金) 15:01:59.30 ID:6FBx/ip1
現代の漫画で人物に汗を描いてるのは暑いからではなく
戸惑いや焦りを表現してるのと同じで
当時の人だけ分かる何かの表現方法であったのだろう

443 :人間七七四年:2012/10/13(土) 11:17:44.01 ID:YYwqq2t2
次の大河は黒官らしいが、息子が東軍だから、徳川の扱いは直江のときのような惨事にはならないな


444 :人間七七四年:2012/10/13(土) 12:27:44.85 ID:rWaEozQZ
>>443
ブラック成分の多い直江を浄化しようとすると
相手を極悪人にするしか無かったしな

445 :人間七七四年:2012/10/13(土) 12:35:59.95 ID:JJKU/8LY
息子が悲惨な目に合うよ

446 :人間七七四年:2012/10/13(土) 17:32:00.61 ID:YYwqq2t2
息子って秀忠か長政のどっちの方だ?
まさか、「長政が蜂須賀正勝の娘と離婚したのは徳川のせいだ」とか言うんじゃないだろうな。

447 :人間七七四年:2012/10/14(日) 00:40:01.65 ID:yjDFmXJg
宇都宮一族皆殺しとか脚本からは外すんだろうな>クロカン
どう書いたってあれ美化すんのは無理だろ

448 :人間七七四年:2012/10/14(日) 01:12:27.42 ID:Wk4C9wIj
部下が勝手に・・・とかなんとでもできるで

449 :人間七七四年:2012/10/14(日) 02:19:21.90 ID:XWKy0Z6F
城井谷一件は、三成を諸悪の根源にして部下や家族のために涙を飲んで謀殺を決意し
苦悩するクロカン像と三成ごとき若輩者が豊臣家の天下取りに貢献した黒田家に汚名を
かぶせたと三成を憎悪する長政という展開にすれば無問題だろう。




450 :人間七七四年:2012/10/14(日) 06:35:43.35 ID:65cOsElr
結局いつもの「全部三成が悪い」のパターンじゃんそれw
なんかワンパターンというか芸が無いというか・・・w

451 :人間七七四年:2012/10/14(日) 07:35:25.93 ID:OKRohXtu
あれも後世にあれこれ付け足したような話だからなー

普通に人質を取って、叛乱したから鎮圧して処刑した程度にしとけば
悪い話にもならんだろ。

452 :人間七七四年:2012/10/14(日) 09:08:35.90 ID:65cOsElr
九戸の叛乱への処罰も割と脚色されてるんだっけ?

453 :人間七七四年:2012/10/14(日) 15:10:43.97 ID:xXlj1Irk
城井皆殺しはクロカン自身が後味悪すぎて神社建てたぐらいだから
当人も鬼畜な所業だって自覚はあったんだろう

ドラマ化するならやっぱり三成のせいにするか息子の暴走にするかしかないな

大河の家康も大阪の陣の後始末は全部秀忠のせいにされてたし

454 :人間七七四年:2012/10/14(日) 23:43:24.26 ID:BMQPKGlK
むしろ秀忠は秀頼と仲良くしたがってただろ。

向井なんとかのイメージもあるのだろうがw

455 :人間七七四年:2012/10/15(月) 00:20:22.75 ID:krLp7dhh
秀忠は、家康が健在なうちに豊臣を仕留めようと執念燃やしてたんじゃないか。
千姫が落城前に脱出してきたときも、何で生きて戻ったみたいな対応だったそうだし。

456 :人間七七四年:2012/10/15(月) 07:39:07.13 ID:5OiVsHcz
徳川家康流な独特の戦法

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/43/289_2.html

敵の首脳部にスパイを送り込むことにあった。

457 :人間七七四年:2012/10/15(月) 07:40:57.75 ID:eDzTvCWf
>>454
秀忠と秀頼って、交流すらほとんど無いような・・・

458 :人間七七四年:2012/10/15(月) 09:33:54.70 ID:8bh8B8K+
大河での話だからwww

459 :人間七七四年:2012/10/16(火) 12:16:08.91 ID:+1M49cxa
ふとおもったけど最終天下人家康だけど、彼は信長の天下統一事業に
一番早くから携った(というか無理矢理付き合わされた)大名なんだよね。
その家康が最終天下人なのは当然のようでもあり、また不思議な縁にも
感じる。

460 :人間七七四年:2012/10/16(火) 19:48:26.31 ID:4M2MmIHT
斉藤さん・・・

461 :人間七七四年:2012/10/16(火) 19:56:53.18 ID:B1AeFr8J
現当主で徳川家が途絶えるって本当?

462 :人間七七四年:2012/10/16(火) 20:11:19.59 ID:1yJ2oex4
家廣さんが廃嫡されたとしても恒孝さんの時みたいに分家から養子取るだろjk

463 :人間七七四年:2012/10/16(火) 22:43:47.93 ID:DY3QagBG
もう大河もいい加減秀吉死後の流れやり過ぎじゃないか?
主家簒奪した秀吉が悪く言われずに家康が悪く言われる原因作ってるよなぁ。

そもそも秀吉政権の話もあんまりないし・・。
まあ朝鮮出兵ってのがあるし秀次事件とか鬱になる話しかないからかな。

464 :人間七七四年:2012/10/17(水) 02:13:52.21 ID:cYqkcDMg
>>463

>主家簒奪した秀吉が悪く言われずに家康が悪く言われる原因作ってるよなぁ。

まあ秀吉も主家に対して酷い事してるけど、乗っ取りが鮮やかなのと
滅亡はさせていないからね。
後因果応報という感じで豊臣家は滅亡しちゃったからそれで帳消しな感じもする。


465 :人間七七四年:2012/10/17(水) 02:26:04.49 ID:DeXQB6iQ
豊臣政権の話を大河ドラマでするって言ってもなぁ
マジレスすると織田より豊臣政権の方が、政治史的には画期的でずっと面白いんだけど、
でもそれを大河でやっても仕方ないっていうか、誰得っていうか
大衆は、基本的にわかりやすい逸話にしか興味ないわけで
戦国板でもそうだろ?

466 :人間七七四年:2012/10/17(水) 02:52:37.36 ID:4SxpukVQ
太閤検地では六尺三寸の竿で、律令制の1段360歩から1段300歩に移行し、度量衡で、面積の単位を町段畝歩とし、京枡という統一された升を使い、
他の等級を上中下下々に区分し1段あたりの収穫である斗代こと石盛による石高制が行われ一地一作人の原則で荘園公領制が崩壊し同時に方広寺建立の名目で刀狩、そして兵農分離に人払令・・・

なーんて放送されたらそらマニアか受験生しか見ないよな…。
個人的に大河ドラマは戦国やら合戦は鶴のお吸い物状態だから近代以降の戦後とかの政治史やってほしいんだがなぁ。
上よりもっとひどいことになっちゃうな。

467 :人間七七四年:2012/10/17(水) 06:52:12.15 ID:TDv86N+K
中世は上手いことやれば太平記みたいに大ヒットするが普通は低視聴率だしなあ。
下手を打てば花の乱とか今年の清盛みたいに大爆死するし。
それ以前の時代になると、皇室絡みで色々と面倒くさいことになるし

468 :人間七七四年:2012/10/17(水) 07:06:40.54 ID:Kmj+YlmH
てか大河のネタが被災地じゃない事に憤りを感じる。

佐竹とか逝っとけば面白いのにwww

469 :人間七七四年:2012/10/17(水) 07:07:19.16 ID:45JOAjai
>>466
棹や枡は地域によってバラバラだよ。

470 :人間七七四年:2012/10/17(水) 14:39:22.51 ID:Njk+CPa0
前にはこのスレだったか秀吉の中央集権システムについての
話とかあったなぁ。
画期的な物と言う点では一致してたけどすぐに滅びたから
あまり評価できないと言う意見と、徳川に引き継がれたから
そのまま徳川の評価は秀吉の評価であるみたいな意見と
だったか。
徳川に詳しい人が原型となった秀吉システムを高く
評価してる点については参考になったもんだ。

471 :人間七七四年:2012/10/17(水) 17:08:03.32 ID:ok75wATN
ポッと出組織を改造するのが上手い徳川家だからなw



昨日TVで出てた牧野家って、聞いたこと無かったけど
神将に入って無いよな。   何だよ17神将ってwww

472 :人間七七四年:2012/10/17(水) 17:46:55.69 ID:4SxpukVQ
>>469
あれ?秀吉って升とか統一してなかったっけ?

473 :人間七七四年:2012/10/17(水) 19:41:06.92 ID:45JOAjai
>>472
定めはしたけど強要はしてない。特に検地棹はバラバラ。

家康が天正年間に関東でやった検地では棹が六尺五寸。
文禄年間の検地では六尺二寸。

輝元が天正年間にやった検地では棹が六尺五寸で一反は360歩。
慶長年間にやった検地でも棹は変わらなかったけど、一反は300歩。

そして秀吉の蔵入地でさえ六尺二寸でやったケースもある。

どうも単位の統一は目当てではなく、軍役基準となる石高を
算出するのが目的だったようで、地域毎の事情に合わせて
柔軟に対応してた模様。

474 :人間七七四年:2012/10/17(水) 21:22:47.75 ID:4SxpukVQ
>>473
不勉強でした。

475 :人間七七四年:2012/10/18(木) 01:00:52.23 ID:GWXTrsVD
家康は武田の旧臣について譜代家臣だと思っていたのかな?
一応関ヶ原後は譜代だけど、20年仕えた程度だし、豊臣系の人間よりは信用できるかどうかってレベルのような気がするんだが・・・
生まれた時代から考えて秀忠から見れば譜代だったのかもしれないが。

476 :人間七七四年:2012/10/18(木) 01:14:58.13 ID:HPKTTh44
三河人材じゃ限界あるし仕方あるまい。

477 :人間七七四年:2012/10/18(木) 02:47:13.08 ID:SxPXut1T
たしかに武田家臣で重用された人って言えば微妙かも。ほとんどひこにゃんのところにいったのかね。
中央のこというなら、信用してたしてないよりも、むしろ三河人材が豊富すぎて武田家臣が入っていけなかった気がするな。
十六神将みたいな草創期の家臣はともかく本多とか阿部とか板倉とか青山とか三河からすごい人材出すぎなんだよ。

478 :人間七七四年:2012/10/18(木) 09:06:31.06 ID:GWXTrsVD
山県昌景が家康に仕えていたらどんな地位になったんだろう?
赤備えの指揮官になるのだろうか?
とりあえず江尻で籠城、武田滅亡とともに開城、のち徳川につかえる、という設定で。


479 :人間七七四年:2012/10/18(木) 09:15:19.85 ID:FFI0lMAm
>>478
生きてたとすれば天正壬午の頃に50代半ばだから
早い時期に隠居するじゃない?

480 :人間七七四年:2012/10/18(木) 09:34:35.69 ID:SxPXut1T
本多山県さんがもっと徳川に居辛くなる。

481 :人間七七四年:2012/10/18(木) 11:02:16.09 ID:NDJe3TxI
>>471
牧野家は幕末の方が知名度高いからなぁ

482 :人間七七四年:2012/10/18(木) 17:09:17.58 ID:3p1bNabk
>>475
井伊の赤備えの扱いを見るに外人部隊という認識かと

483 :人間七七四年:2012/10/18(木) 19:59:29.65 ID:GWXTrsVD
>>479
活躍できるのは小田原攻めあたりまでだろうか?
あと江戸時代は3万石くらいの大名だろうか?

とりあえず1529年〜1605年、という設定で。

484 :人間七七四年:2012/10/18(木) 21:25:39.65 ID:a2snWy6u
>>433
信長って下戸の甘党でなかった?

>>478
そのまんま隠居なんでない?
あの当時は老化の進行が今より早くて
50過ぎたらもう一線引退だったはず。


485 :人間七七四年:2012/10/18(木) 21:34:52.50 ID:GWXTrsVD
>>484
といっても大久保忠世は小田原攻めまで活躍してるよ。
あと馬場信春は長篠の戦いの時60歳。
60歳くらいまで活躍している武将は多い。

486 :人間七七四年:2012/10/18(木) 21:38:04.94 ID:GWXTrsVD
>>480
本人が生きてたら本多山県は実現しないんじゃない?

487 :人間七七四年:2012/10/18(木) 21:57:54.88 ID:SxPXut1T
>>486
家康「なに?ふむ・・・そうか・・・。では、本多内藤・・・は正成がおるし、本多馬場じゃな!」
本多「(結局ババひいちった(´;ω;`)ブワッ)」

488 :人間七七四年:2012/10/18(木) 23:45:57.01 ID:FFI0lMAm
>>487
兎唇の武将じゃないと話が続かないんだが

489 :人間七七四年:2012/10/19(金) 00:09:05.69 ID:VfPKAnFg
>>488
まぁダジャレなんだからそんな目くじらたてないでくれよ

490 :人間七七四年:2012/10/19(金) 00:43:18.32 ID:zZVPK1PB
つか山県が徳川家に仕えていたらどんな地位になったんだろう?
個人的には四天王や大久保・鳥居らの1ランク下くらいだと思う。
まあ、信濃の国衆みたいな感じの一城主的な存在か。

とりあえず関東に移される段階で1〜2万石と予想。
関ヶ原後は3〜5万石。(このときにはたとえ生きていても隠居している可能性が高いが)

491 :人間七七四年:2012/10/19(金) 05:03:29.70 ID:VfPKAnFg
若かったら井伊の代わりに武田軍取り纏めてたかもだけど、年齢がネックだよねー。
長篠で死んだ昌次とか三枝ならどうだろうね。

てか今更すぎるけど長篠で武田軍死にすぎワロエナイ

492 :人間七七四年:2012/10/19(金) 06:03:29.67 ID:2+K3FHEG
穴山梅雪は通説の落ち武者狩りに殺された(信長公記等)ってのは嘘で
家忠日記に「梅雪は切腹した」とはっきりとある
家忠日記も信長公記も一級史料だけど、この場合三河に辿り着いた家康から直接聞いた或いは切腹を目で見た?のを家忠は書いてると思うので
家康により切腹させられたという解釈でいいかな

493 :人間七七四年:2012/10/19(金) 06:39:20.42 ID:grvUAfz7
>>492
記述が「穴山者腹切候」だからトンデモ解釈をしない限り
家康が切腹させたとするのは無理。

494 :人間七七四年:2012/10/19(金) 06:50:46.20 ID:VfPKAnFg
この場合落ち武者狩りに襲われてやむなく切腹したか
名誉を守るため切腹ということになったのを家忠が書き留めたって考えるのが自然じゃね?

495 :人間七七四年:2012/10/19(金) 06:51:52.49 ID:KgVAQI2n
狩られて死んだではかわいそうだから、狩られる前に潔く自決した
と、日記には書いておこう

496 :人間七七四年:2012/10/19(金) 08:52:35.63 ID:IN91KnB9
>>484

> あの当時は老化の進行が今より早くて
> 50過ぎたらもう一線引退だったはず。

そこから25年頑張って、終生現役だった家康は......


497 :人間七七四年:2012/10/19(金) 10:09:33.71 ID:VfPKAnFg
家康とか忠勝とか康政とか忠世とか元忠とか徳川に定年はないな。
忠次さんは定年して子供作ったけど。

498 :人間七七四年:2012/10/19(金) 13:10:05.41 ID:4NMJUxHn
>>463
秀吉と家康の決定的な違いは、
秀吉にとって織田家は身分の低い自分を取り立ててくれた恩があり、
家康にとって豊臣家は力による主従関係だけ。二人が個人レベルで仲が良かったとも思えないし。
もっとも信孝処刑は信雄も認めたゆえだから、全て秀吉が悪いとは言えないけど。

499 :人間七七四年:2012/10/19(金) 13:51:58.50 ID:4NMJUxHn
それに、家康は豊臣に15年も考える時間を与えている。
秀頼も傀儡幼児ではなく、成人として自分の意見を言える機会もあげてる。
大坂の陣では豊臣自身が没落させた信雄を旗印にしようとしたほど人材不足だったらしいが、
15年もありがなら外交の人材が育たなかったり、即席の牢人集を雇うまでの準備不足は、最後の最後まで天然だったのか。

500 :人間七七四年:2012/10/19(金) 22:54:10.17 ID:VfPKAnFg
それは家康が潰したんじゃないかw
反家康の文治派を武功派煽って関が原で倒し
武功派も福島や両加藤を封じ込めるわ黒田池田浅野は懐柔するわ藤堂は家康に心酔するわ片桐はうまいこと豊家追放に持って行くわで。

501 :人間七七四年:2012/10/19(金) 23:43:15.94 ID:0ulWKolQ
あと10年ほど秀吉が生きてりゃ、たとえ唐入りがあったとしても、
武断派が時間をかけて力を殺がれ文治に移行し、
普通に豊臣政権は続いていたんだろうけど、
寿命ばっかりはどうにもならん。天命だなぁ

502 :人間七七四年:2012/10/19(金) 23:47:42.69 ID:fmEGl+d+
ヒストリあで御連枝以外初めて知ったけど
徳川宗春の兄弟死に過ぎじゃね?
なのに暗殺説が無い、、、

503 :人間七七四年:2012/10/20(土) 07:53:04.00 ID:p8flKmpR
>>496
家康のばあい、死ぬまで跡取り問題があったからな。
「信康がいれば」と死ぬまで愚痴ったそうで。
家臣団の対立で信康を自害させた(信長の命にして)
はいいもののあとで惜しくなったんでない?

それにしても信康が死んだ時点で跡取り?が
小さい次男坊だけというのはリスクあり過ぎなんでないか。


504 :人間七七四年:2012/10/20(土) 07:58:26.89 ID:p8flKmpR
>>502
なんせ早死にが多いねあの一族は。
支藩のほうは子だくさんで幕末に大量に藩主を出してるのにな。


505 :人間七七四年:2012/10/20(土) 09:41:27.09 ID:t6s/gcUt
>>503
死ねばそれ以上悪化することはない、むしろ昇華されて美化するもんだからねえ

506 :人間七七四年:2012/10/20(土) 13:18:13.48 ID:hub4VHr9
>>500
そいつら以外の人材は育たなかったのだろうか。
徳川は四天王を遠ざけて、新しい世代の人材を育ててるのにさ

507 :人間七七四年:2012/10/20(土) 13:30:15.18 ID:prtyk/4f
>>498

秀吉と家康のそれぞれの立ち居地は違うけど主家から恩を受けた
という意味では同じだと思うけどな。
低い身分から大身に取り立ててもらった恩と
大封や官位や政権内でのズハ抜けた地位等
どちらの恩が上がというのは難しいけど、少なくと秀吉の家康厚遇が
最終的に家康に天下取り可能な力を与えたのだし。

>>499
とにかく家康が死ぬのを待ってたんだろう。





508 :人間七七四年:2012/10/20(土) 13:35:35.64 ID:pchZocik
>>506
もちろん中堅の人たちもいたよ
ただ実績の面でまだまだ無名で、名前を挙げる前に関が原で没落したから
後世に知名度がない、知られていないってだけ
徳川家の新しい世代の人たちだって、名前が挙がり始めるのは関が原以降

509 :人間七七四年:2012/10/20(土) 15:34:12.95 ID:BaNNHyYe
桶狭間うまく行かなかった場合の信長とかも悲惨だろうしなw

510 :人間七七四年:2012/10/20(土) 20:34:27.35 ID:EKiwvJDG
>>501

> 寿命ばっかりはどうにもならん。天命だなぁ

家康みたいに摂生してれば、もうちょっと長生きできたんじゃないか。


511 :人間七七四年:2012/10/20(土) 22:03:45.72 ID:cAR48cti
>>501
あのボケっぷりでは長生きした方が政権崩壊が早まったかもしれん。

512 :人間七七四年:2012/10/20(土) 22:13:55.07 ID:fUi/0ZOK
なんでボケたんだろ?
荒淫した生活でもしてたのか


513 :人間七七四年:2012/10/20(土) 22:19:26.18 ID:i/fPkQXI
過労ボケ

514 :人間七七四年:2012/10/20(土) 22:42:07.75 ID:n1Q9IuDM
所詮は野蛮人なだけw

515 :人間七七四年:2012/10/20(土) 22:56:43.44 ID:6+giC6+U
>>506
四天王の場合早世した直政以外はもう結構なお年だったしな。
康政なんか「年寄りが権力争ってんじゃねえよ滅ぶぞボケ」とか言って加増まで断って館林に引きこもってるし、

対して福島とか加藤とか若いじゃん。
直政は生きてたら幅きかせてただろうと思う。

516 :人間七七四年:2012/10/21(日) 14:51:09.70 ID:0/9uFziO
三方原の戦いで武田に敗走したとき、家康が食い逃げをして老婆に追いかけられたというエピがあるけど、
非常時だというのに、なんで茶店で暢気に食事をしようとしたんだろう。
なんで戦国時代らしく「メシよこせ(゚Д゚) ゴルァ!」と略奪をしなかったんだろ。

517 :人間七七四年:2012/10/21(日) 15:09:49.91 ID:yn2kedsM
それが事実かを先ず疑問に持て

518 :人間七七四年:2012/10/21(日) 15:45:22.77 ID:0/9uFziO
そうか、創作か。
なんだか焼き味噌エピのように事実同然のように語られてるからさ。
落人伝説みたいに、町おこしのために地域と有名人を結び付けたんだろうか。

519 :人間七七四年:2012/10/21(日) 16:06:01.52 ID:yn2kedsM
大衆は最後の勝利者に対しては、ヘタレエピソードしか興味はないからな
同じ三方ヶ原の敗走でも、家康が騎射で突破した話は興味が薄いし

520 :人間七七四年:2012/10/21(日) 17:23:05.00 ID:wo3DXCER
源氏の家系図

清和天皇→途中不明→オレ



521 :人間七七四年:2012/10/21(日) 17:56:57.04 ID:lGSVtygG
家康の旧北条領統治がどんな感じだったのか、分析した書籍ってないのかな。
強権だったのか、野に下った北条遺臣ネットワークを上手く使ったのか…
その後の天領統治に与えた影響とかないのかね。あと江戸が入府の時にどの程度の都市だったかまだ分かってないのか。

522 :人間七七四年:2012/10/21(日) 18:53:21.26 ID:ZfwaQ868
あまり研究はされてないが、基本的には北条の法令をほぼそのまま使ってる。
ちなみに駿河甲斐を取った時も今川武田の政策を踏襲
そこから徐々に変えていくんだけどすぐに幕府成立とかぶっちゃうんだよねぇ

523 :人間七七四年:2012/10/21(日) 19:24:29.22 ID:YPGxGx/b
天領の年貢が四公六民だったのは、北条氏の年貢率を承継したためみたいだし、ここをいじると一揆の元になるから慎重だったんだろうね。


524 :人間七七四年:2012/10/21(日) 19:38:26.87 ID:yn2kedsM
>>521
上級武士は低禄か陪臣が召抱え、下級武士は名主として帰村
検地は最初は緩く行ったが、その後に五割・六割増しで再検地している

525 :人間七七四年:2012/10/21(日) 20:08:52.64 ID:ZxsF/ih7
>>523
というか新領主と農民がその都度交渉になるらしいな>年貢

>>524
よく再検地できたな。検地って一度やると既得権みたいになるから
再検地(増税)するというだけで一揆の原因に。

526 :人間七七四年:2012/10/21(日) 20:20:48.04 ID:n08rj+A3
 
徳川宗家と日本の陰謀の不思議な関係

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/46/302.html

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/38/260B.html

東日本大震災からバリ島・アグン山噴火まで、

いろいろある。偶然とは思えない。


527 :人間七七四年:2012/10/21(日) 21:23:35.27 ID:yn2kedsM
>>525
最初は関東移封直後(8月頃)に領地を与えた領主自身に検地させて、
翌年の春に改めて直属の代官衆に再検地させている

どうやら戦災後のボーナスという扱い臭い

528 :人間七七四年:2012/10/21(日) 23:22:52.01 ID:CzEmkJxO
武蔵国の御所号は3ヶ所


・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国幡豆郡)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は愛知県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い

・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む

・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む


・家康入城前の江戸城主

富永直勝
三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖は源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼


万年パシリのトンキン猿w




529 :人間七七四年:2012/10/25(木) 14:51:32.84 ID:43iVbwg+
こいつ寒いなw

530 :人間七七四年:2012/10/26(金) 04:10:15.95 ID:wJxlblL8
みんなスルーしてるのに触るなよ

531 :人間七七四年:2012/10/26(金) 19:08:53.63 ID:7Ztaat4Q
源義兼の年表


1153年、父:源義康、母(源頼朝の母と姉妹):藤原季範(初代藤姓熱田大宮司)の娘(実父は藤原季範の長男:藤原範忠)の間に生まれる(出生地は京都もしくは三河)
1155年、母方の祖父(血縁上は曾祖父):藤原季範死去、父方の祖父:源義国死去
1157年、父:源義康死去
1159年、母の姉(血縁上は叔母):由良御前(源頼朝の母)死去
1160年、源義朝暗殺、源頼朝伊豆に配流
1161年、藤原範忠(実の祖父)周防国に配流
母親(頼朝の母と姉妹)の三河国額田郡乙見内の所領(父親からの化粧料)に、異母兄弟2人(源義清、源義長)と共に移り住み、三河の藤姓熱田大宮司家の庇護を受ける
1167〜1168年頃、八条院蔵人、三河国碧海郡碧海庄(三条女御領)の庄司に任じられる(碧海庄司時代、熱田神宮祭典の大宮司代理に補された)
異母兄の源義清(細川氏・山名氏の祖、室に新田義重の娘)は、三河国幡豆郡矢田(皇嘉門院(崇徳天皇中宮)領)に拠を構え、矢田義清(矢田判官代)と称する
1174年、三河国碧海郡碧海庄で長男、源義純(源姓畠山氏の祖、新田義重が養育)が生まれる(その所縁か、室町時代に畠山氏流和田氏が碧海地域の奉公衆になる)
1176年、三河国碧海郡碧海庄で次男 源義助(桃井氏の祖)が生まれる
1180年、以仁王挙兵、源義清(矢田義清)、源義長、源義兼は三河国から参戦、義清と義長は源頼政(頼政死後は木曽義仲)と、義兼は源頼朝と行動を共にする
1181年、北条時政の娘を正室に迎える
1183年、異母弟2人源義清(矢田義清)と源義長は、水島の戦いで戦死
1184年、源範頼(後に三河守)軍の一員として九州平定
1185年、上総介に推挙される
1187〜1190年頃、三河国碧海郡碧海庄内に薬師寺を建立(義純、義助の母である白拍子を菩提)、三河国額田郡乙見の真福寺に法華堂を建立(母親を菩提)
1189年、源頼朝軍の一員として奥州合戦に従軍、嫡男足利義氏(後に足利氏として初めて三河守護)誕生
1195年、東大寺で出家
1199年、死去

532 :人間七七四年:2012/10/26(金) 21:53:29.72 ID:VqW0nBsH
>みんなスルーしてるのに触るなよ
コピペ荒らしなんて、1人ぼっちで虚しくなく
(正午や夜の板活発な時間に)上げる理由に
有効活用してやれば良いんだよ。

今回はあんま意味無いけどw

533 :人間七七四年:2012/10/27(土) 15:46:42.86 ID:K8rNwTGc
源範頼(蒲冠者、三河守)の年表


1150年、父:源義朝、母:池田宿の遊女の間に産まれる

・藤姓大宮司一族が密かに京都で養育
・その後、藤原季範(初代藤姓熱田大宮司)の弟(勘解由丞季成(藤原季成))が宮司を務める蒲神明宮(遠江国蒲村、蒲御厨)で養育され、蒲冠者と呼ばれる
・乳母父は当麻貞稔(勘解由丞季成の息)夫妻、息に吾妻鏡に出てくる当麻太郎

1159年、父:源義朝暗殺、異母兄:源頼朝伊豆に配流
1161年頃、藤原範季(藤原季範の従兄弟の孫)が養父になる

・藤原実範(三河国司)→藤原季綱(三河国司)→藤原友美→藤原能兼→藤原範季
・藤原実範(三河国司)→藤原季綱(三河国司)→藤原友美→娘→源頼政→源広綱
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→由良御前→源頼朝

1180年、以仁王挙兵、遠江の甲斐源氏と行動を共にする
1183年、野木宮合戦に援軍
1184年、木曽義仲追討軍の大将として、宇治瀬田の戦い、一ノ谷の戦い
1184年、三河守に推挙される、本拠を形原城(三河国宝飯郡形原)に構える
1184、九州進軍の大将として九州平定
1185〜1187年、吉祥子(安達盛長(三河国小野田荘地頭、後に三河守護)と丹後内侍の娘)を室にする
1185〜90年、上地八幡宮(三河国額田郡上地)創建、茂松城(三河国宝飯郡茂松)築城
1193年、伊豆に幽閉、暗殺される


534 :人間七七四年:2012/10/27(土) 19:28:58.70 ID:NUe1GpSw
ココまで読んだw

535 :人間七七四年:2012/11/06(火) 14:13:20.47 ID:lwNaBJ9H
>>301
絶好調モラウは
VSヂートゥをナックルと二人がかりで待ち伏せし、煙で気配消して奇襲したら見事すべてかわされ
打ち損じるレベル。しかも相手は発なしで戦闘レベル1の兵隊蟻
自分達じゃ戦闘レベル1のヂートゥを二人がかりでも仕留められないと認めた発言だな
これにより モラウは自分の幻惑でヂートゥを翻弄して足に硬なり凝なりで打撃をいれ捕獲する芸当ができないと認めた事になる
つまりヂートゥを奇襲でも足にダメージ与える事すらできない攻防力か、
あるいはモラウはナックルより遥かに体術で劣り、自分の幻惑で翻弄して奇襲しても
攻撃を当てる事すらできないくらい遅いかどちらか。どちらにしろモラウが雑魚すぎる事に変わりはない
>>259
戦闘レベル1のヂートゥすら打ち損じるレベルで応用範囲広いとか妄想されても。
特にVSレオルでも海人にとって最強の環境である水中、知ってる能力という超幸運に見舞われながら
描写的に全くはやそうでなく体がおおきく的も大きいレオルに煙で翻弄するどころか相手の攻撃で翻弄されまくり
一発も攻撃があたらず逆に攻撃を食らいまくる始末
相手は密室にいる&自分は別空間にいて自分がはいたCO2をすわなくていい&自分の空間から相手の空間へCO2を流す事ができる
という超偶発的幸運条件だから窒息攻撃が使えただけ 。しかもレオル→状況に応じた発の多様性で勝負
モラウ→さまざまな状況に対応する能力 と圧倒的な相性の良さ。
体術…ヂートゥやレオルに殴られっぱなしで攻撃が一撃も当たらない(ヂートゥに対してはナックルと煙で不意打ち)
ヂートゥはともかくレオルなんて特別速そうには書かれていない
攻防力…メインの攻撃手段ではなく副次的攻撃手段にすぎず、富樫の設定でもセリフでも攻撃力高いという描写のないイナムラのボードで
斬られる程度、最初のヂートゥ戦でモラウ幻惑+凝でヂートゥの足を潰さず
「俺達じゃうち損じる」発言してるのだから自分の功防力じゃ不意打ちでもヂートゥも仕留められないと認めたようなもん

>>258
モラウの攻防力は間違いなく雑魚
・特別攻撃力が高いという描写も富樫の設定もなくそもそも副次的攻撃手段にすぎないイナムラのボードで斬られる程度
・オーラ量以外中堅以下のゴングーで殺されかける(モラウ汗びっしょり。ゴン『本当に殺しちゃう所だった』)
・最初のヂートゥ戦でモラウ幻惑+凝でヂートゥの足を潰せず俺たちじゃ打ち損じる発言。
・おまけに念ラモットより攻防力低いナックルでも耐えられる雑魚パンチで押されまくりのけぞりまくりモラウの体から何か飛び散る
(モラウの攻防力が高けりゃネテロの足蹴ったキルアやウボー殴ったミミズの腕みたいな描写になる)
「俺達じゃうち損じる」発言してるのだから自分の功防力じゃ不意打ちでもヂートゥも仕留められないと認めたようなもん
◎「俺達じゃ球種がわかっても撃ち損じる」発言
→自分達じゃ戦闘レベル1のヂートゥを二人がかりでも仕留められないと認めた発言だな これにより
モラウは自分の幻惑でヂートゥを翻弄して足に硬なり凝なりで打撃をいれ捕獲する芸当ができないと認めた事になる
つまりヂートゥを奇襲でも足にダメージ与える事すらできない攻防力か、 あるいはモラウはナックルより遥かに体術で劣り、自分の幻惑で翻弄して奇襲しても
攻撃を当てる事すらできないくらい遅いかどちらか。 どちらにしろモラウが雑魚すぎる事に変わりはない


536 :人間七七四年:2012/11/06(火) 14:27:38.85 ID:lwNaBJ9H
>>249
>>シュートは10秒だしなw
片足潰されて得意の中距離での腕遠隔支援&それによって作られた隙に奇襲というVSキルア
で使ったような戦法がとれなくなりガチンコ近接タイプのユピーに対して無謀な突撃をしたから劣性だっただけ
本来なら遠くから腕操作で戦ってればいいだけ。そんな圧倒的有利な条件で17秒もかかったのがユピー

ちなみに体術攻防力ともに念ラモット以下のナックルですら
あのまま逃げ回ってるか隠れてるだけで勝ち確定だったが
わけのわからん理由で最もユピーが得意とする近接戦闘で無謀に張り合おうとしたから負けそうになっただけ
本来ならナックルシュートともにユピーに100%勝てていた(シュート→腕操作&奇襲、ナックル→ハコワレ発動&逃げ回る)
そもそもナックルなんてキルアでも瞬殺可能なレベルの雑魚相手に手間取るとか雑魚すぎなので
VS護衛軍戦の描写は大して参考にならず、護衛が雑魚だったことがわかるだけ
>>モラウは3割キセル無しで 数分かせいでる
キセルとられたのはモラウの責任だし
キセルとられてもいまだしてる分の煙は発動可能だし
ユピーも途中でモラウの存在にきずいていたがあえて殺さなかっただけだし
しかもマックス状態だったVSヂートゥ一回目見る限りオーラ減ってても減ってなくてもPOPに関係するだけで
長期戦にならない限り関係ない
(VSヂートゥでナックルと二人係で煙で気配けして待ち伏せして見事打ち損じ、俺たちじゃ打ち損じる発言してる)
>>247
キセル取られたのはモラウの責任だし
VSユピーの時はナックルと二人係だろ
しかもユピーは途中で本物のモラウにきずいてたがあえて殺さなかっただけだし


537 :人間七七四年:2012/11/06(火) 14:29:11.79 ID:lwNaBJ9H
>>301
絶好調モラウは
VSヂートゥをナックルと二人がかりで待ち伏せし、煙で気配消して奇襲したら見事すべてかわされ
打ち損じるレベル。しかも相手は発なしで戦闘レベル1の兵隊蟻
自分達じゃ戦闘レベル1のヂートゥを二人がかりでも仕留められないと認めた発言だな
これにより モラウは自分の幻惑でヂートゥを翻弄して足に硬なり凝なりで打撃をいれ捕獲する芸当ができないと認めた事になる
つまりヂートゥを奇襲でも足にダメージ与える事すらできない攻防力か、
あるいはモラウはナックルより遥かに体術で劣り、自分の幻惑で翻弄して奇襲しても
攻撃を当てる事すらできないくらい遅いかどちらか。どちらにしろモラウが雑魚すぎる事に変わりはない
>>259
戦闘レベル1のヂートゥすら打ち損じるレベルで応用範囲広いとか妄想されても。
特にVSレオルでも海人にとって最強の環境である水中、知ってる能力という超幸運に見舞われながら
描写的に全くはやそうでなく体がおおきく的も大きいレオルに煙で翻弄するどころか相手の攻撃で翻弄されまくり
一発も攻撃があたらず逆に攻撃を食らいまくる始末
相手は密室にいる&自分は別空間にいて自分がはいたCO2をすわなくていい&自分の空間から相手の空間へCO2を流す事ができる
という超偶発的幸運条件だから窒息攻撃が使えただけ 。しかもレオル→状況に応じた発の多様性で勝負
モラウ→さまざまな状況に対応する能力 と圧倒的な相性の良さ。
体術…ヂートゥやレオルに殴られっぱなしで攻撃が一撃も当たらない(ヂートゥに対してはナックルと煙で不意打ち)
ヂートゥはともかくレオルなんて特別速そうには書かれていない
攻防力…メインの攻撃手段ではなく副次的攻撃手段にすぎず、富樫の設定でもセリフでも攻撃力高いという描写のないイナムラのボードで
斬られる程度、最初のヂートゥ戦でモラウ幻惑+凝でヂートゥの足を潰さず
「俺達じゃうち損じる」発言してるのだから自分の功防力じゃ不意打ちでもヂートゥも仕留められないと認めたようなもん

>>258
モラウの攻防力は間違いなく雑魚
・特別攻撃力が高いという描写も富樫の設定もなくそもそも副次的攻撃手段にすぎないイナムラのボードで斬られる程度
・オーラ量以外中堅以下のゴングーで殺されかける(モラウ汗びっしょり。ゴン『本当に殺しちゃう所だった』)
・最初のヂートゥ戦でモラウ幻惑+凝でヂートゥの足を潰せず俺たちじゃ打ち損じる発言。
・おまけに念ラモットより攻防力低いナックルでも耐えられる雑魚パンチで押されまくりのけぞりまくりモラウの体から何か飛び散る
(モラウの攻防力が高けりゃネテロの足蹴ったキルアやウボー殴ったミミズの腕みたいな描写になる)
「俺達じゃうち損じる」発言してるのだから自分の功防力じゃ不意打ちでもヂートゥも仕留められないと認めたようなもん
◎「俺達じゃ球種がわかっても撃ち損じる」発言
→自分達じゃ戦闘レベル1のヂートゥを二人がかりでも仕留められないと認めた発言だな これにより
モラウは自分の幻惑でヂートゥを翻弄して足に硬なり凝なりで打撃をいれ捕獲する芸当ができないと認めた事になる
つまりヂートゥを奇襲でも足にダメージ与える事すらできない攻防力か、 あるいはモラウはナックルより遥かに体術で劣り、自分の幻惑で翻弄して奇襲しても
攻撃を当てる事すらできないくらい遅いかどちらか。 どちらにしろモラウが雑魚すぎる事に変わりはない

538 :人間七七四年:2012/11/06(火) 19:20:22.83 ID:O42m0Vtt
5行でまとめろ低脳( ´,_ゝ`)
5行でまとめろ低脳( ´,_ゝ`)


ココまで読んだ。

539 :人間七七四年:2012/11/14(水) 18:16:07.96 ID:dHWkTcUg
似た様な話題なのに、板を分散するから
こう過疎るんだわ!!

運用部のバカめ(-_-メ)

540 :人間七七四年:2012/11/21(水) 00:35:11.97 ID:wYwhZMPY
・2ちゃん全体から人が減った
・既出のネタしかなくなった
・震災で仙台藩百姓が死んだ

廃れるのは仕方ない

541 :人間七七四年:2012/11/28(水) 20:14:25.57 ID:uDNk8JOH
過疎板乱立って、2ちゃんの広告料的には不味く無いのかな?

542 :人間七七四年:2012/11/28(水) 20:22:03.60 ID:zcQnHgy1
三戦板から戦国時代板に分かれたのが06年頃だけど
三戦板の頃より煽りや荒らしが酷くなって
結局09年頃をピークにどんどん人が減ってるんだよこの板は。

543 :人間七七四年:2012/11/29(木) 00:27:29.85 ID:Jp+1gGq7
過去ログすっ飛んでから巡回しなくなった人が多いね

544 :人間七七四年:2012/12/01(土) 19:26:52.15 ID:qIODberg
不活発スレ巡回って、暇じゃないと出来ないからなぁ。

545 :人間七七四年:2012/12/02(日) 13:29:15.63 ID:BwLR6inb
いや、規制強化されたから2ch自体に書き込みが減ったんだよ
他の板も酷く過疎ってる

546 :人間七七四年:2012/12/02(日) 17:23:53.20 ID:ym6JgJSc
まあ、このスレの場合は、百姓が津波にのまれたのが大きい。

547 :人間七七四年:2012/12/03(月) 20:03:31.31 ID:k8Dxv58s
仙台百姓死亡説ってほんまなん?
そもそも仙台百姓以外のコテもここ2〜3年見かけないが

548 :人間七七四年:2012/12/03(月) 20:36:57.93 ID:8dYjIicq
・震災からパッタリ来なく成った
・生存宣言も無い
瀕死なのは明らかだな。

おかしい人を亡くした( ´,_ゝ`)

549 :人間七七四年:2012/12/04(火) 07:35:35.79 ID:J2T9QsSm
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1330032703/199

550 :人間七七四年:2012/12/04(火) 11:23:46.42 ID:mYAL9R04
>>444
亀レスだけど、
主人公を正当化する為に敵対側を悪く表現するぐらいなら、
上杉憲政なんて最初からいなかったみたいに、スルーされる扱いの方がずっとマシだな。
でも、徳川は立場的に無視できない存在だし、仕方ないのか。
無論、あのドラマで一番の被害者は、本来の功績を無視して、愛とかわけ分からんキャラ付けされた直江自身だけど。

再来年で徳川はどう扱われるか分からないけど、
家康が主人公マンセーして、黒田が「家康が最も恐れた男」の仲間入りとか、お約束の展開だったりして。

551 :人間七七四年:2012/12/04(火) 14:00:06.77 ID:mRCteJLA
日吉、惜しい人を亡くした、その志は俺が継ぐ

552 :人間七七四年:2012/12/04(火) 23:16:15.89 ID:sixgDrOa
>>550
黒田大河は「軍師」とか言い出した時点で考証とか捨てたと見て良いな。

553 :人間七七四年:2012/12/05(水) 02:07:03.88 ID:EW2snBVF
大河で考証とか何か勘違いしてね

554 :人間七七四年:2012/12/05(水) 03:16:23.63 ID:bVdX9Pyz
家康公は根が真面目だな。自分を戒めて反省したり
武芸に勤しみ、趣味も多く、健康にも気を使ったり
贅沢もしないし、貿易もさかんに行ったりと

555 :人間七七四年:2012/12/05(水) 11:38:28.71 ID:2JcgkOpl
自分の事ばかりだな・・・

556 :人間七七四年:2012/12/05(水) 11:43:40.49 ID:+Pq2OTPE
農民保護しているじゃん

557 :人間七七四年:2012/12/05(水) 13:11:06.02 ID:4pgX4Prw
黒田の大河の考証って決まったの?

558 :人間七七四年:2012/12/05(水) 14:59:20.03 ID:Ow/zInav
考証いて意見しても予算とかスケジュールを理由に無視されるんだからいなくてもいいんじゃねw

559 :人間七七四年:2012/12/06(木) 12:27:58.00 ID:uly4B4Il
そりゃすけーぷごーとってやつさ。

560 :人間七七四年:2012/12/08(土) 01:33:20.26 ID:oqKmMtnr
普通に考証は小和田だろ
戦国大河の常連だし、黒田のまとまった研究書は小和田くらいしかない
黒田大河は「秀吉は太陽で、官兵衛はそれを支えて天下を取らせる月」というコンセプト
らしいので、基本は豊臣中心の太閤記的なストーリになるはず
家康は出番少ししかないだろうし、出てもかませ犬扱いなんじゃね

561 :人間七七四年:2012/12/08(土) 14:43:32.29 ID:4AXa70mf
オワタセンセならしょ〜しょ〜はずしても
みんな納得しちゃうからなぁ。
太閤記の黒幕は黒田だったみたいな感じかね。

562 :人間七七四年:2012/12/10(月) 12:20:25.55 ID:+xgr3EyJ
家康は我が子に冷たいと言われてるが、本当に嫌いだったんだろうか?
信康は事件後で同母妹と娘達がとばっちりを受けてなかったり、家光には信康と同じ幼名を付けさせたり、
秀康は家康お墨付で嫌われてる割には重臣達に跡継ぎにと支持されたり、
忠輝も父親を憎むなら今際の際で面会したいなんて言うか?(罪が許される最後のチャンスという思惑もあっただろうが)
子殺しは記録をうやむやして、
酷い幼名や畜生腹だから捨ててしまえはマルで、記録に残すという基準もよく分からん。
子供への態度が二重人格のようで、影武者説を信じてしまいそうだ。

563 :人間七七四年:2012/12/10(月) 16:07:49.74 ID:GYalCcg6
酷い幼名は信長も大して変わらない

564 :人間七七四年:2012/12/10(月) 16:28:20.87 ID:AWrg3wL7
子がたくさんいれば好き嫌いは普通に出てくる
「お前でも子は可愛いか」(少なくとも正史では)というのも子どもへの普通の愛情

565 :人間七七四年:2012/12/11(火) 08:33:56.29 ID:nnNXGEg4
>>562
そこら辺の逸話は、史料的に裏付けが取れないものばかりで
それを基準に判断する事自体がどうかと思うよ。

あと竹千代は嫡子につける幼名だから信康に関連づけるのは
牽強付会かと。

566 :人間七七四年:2012/12/11(火) 09:01:35.50 ID:nzatCssp
読本で福田が家光の江非実子説をまたとりあげたみたいね。
トンデモ化してきたのかな。

567 :人間七七四年:2012/12/14(金) 13:24:37.73 ID:BoWOb9M8
そういえば、同じ子沢山のマリア・テレジアも我が子を平等に扱ったわけではないらしいしね。
家康って長生きしたせいか、我が子との逸話が特に多いほうだよな。

568 :人間七七四年:2012/12/15(土) 10:50:31.00 ID:bmonbmwv
最後の方はほとんど孫だしね。

569 :人間七七四年:2012/12/15(土) 11:25:05.69 ID:NDXJWjxb
最後の方は側室が孫のような年齢だし

570 :人間七七四年:2012/12/15(土) 15:59:33.28 ID:11LQDkee
家康公生誕の聖夜には、どうお祝いしたら良いのだろうか?

571 :人間七七四年:2012/12/16(日) 08:10:31.07 ID:2kBLMZPn
ハッピー・トクガワーナ

572 :人間七七四年:2012/12/19(水) 02:09:40.86 ID:UgHiF7Mg
三方ヶ原の戦は結局家康に+になったの?戦は完敗でも一応意地は貫いた感じだが。

573 :人間七七四年:2012/12/21(金) 20:19:50.70 ID:YDjwg81I
戦国最後の勝利者だから、最終的にプラスにならなかったことはない
家康自身もしかみ像を描かせたり、プラスに転化する気満々だった

574 :人間七七四年:2012/12/24(月) 10:46:14.90 ID:ve9cyoPL
しかみ像が描かれたのって家康が死んでからだろ

575 :人間七七四年:2012/12/24(月) 10:49:11.43 ID:Zv2+7uvl
根拠は?

576 :人間七七四年:2012/12/25(火) 16:08:48.48 ID:oTf9h7QR
毎年生誕日になると書込んでる者だが、
このスレ的聖夜をどう祝うか、アドバイス欲しい!!
このスレ的聖夜をどう祝うか、アドバイス欲しい!!

577 :人間七七四年:2012/12/25(火) 23:58:05.94 ID:KKuJ/S47
日光東照宮か増上寺にお参りに行けば?

578 :人間七七四年:2012/12/26(水) 00:00:13.08 ID:Mp4HGEFS
家康公生誕おめでとう御座る。

579 :人間七七四年:2012/12/26(水) 01:32:46.37 ID:1sstrBi6
焼き味噌で乾杯

580 :人間七七四年:2012/12/26(水) 06:00:27.36 ID:3/3LovJw
まず脱糞

581 :人間七七四年:2012/12/26(水) 20:27:55.45 ID:wncZeSxi
南無東照大権現

582 :心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし:2012/12/26(水) 20:49:59.75 ID:TmMeEfK1
結局、菓子パンにホイップ塗ってお祝いした(^-^)


来年は年初の上野東照宮を、生誕日に前倒して行こうと思った。

583 :人間七七四年:2012/12/29(土) 19:41:44.03 ID:zpqmhWgU
2012年6月進研マーク模試 参加校数3481校、受験者数43万9337人

団体受験校の5教科平均偏差値 公立高校 【参考:私立高校】

留意:私立は地元ネイティブだけではない


68.0〜 【東大寺学園68.4】【甲陽学院68.2】
67.5〜 【久留米附設67.5】
67.0〜 【大阪星光67.3】【白陵67.2】
66.5〜
66.0〜 【愛光66.2】【広島学院66.1】
65.5〜
65.0〜
64.5〜
64.0〜 岡崎64.0(三河国、公立全国一位) 
63.5〜
63.0〜 刈谷63.2(三河国、公立全国二位) 青雲63.0
62.5〜 横浜翠嵐62.5 
62.0〜 札幌南62.1 岐阜62.0 富山中部62.0 
61.5〜 藤島61.8 一宮61.8  高岡61.8 仙台第一61.7 時習館61.7 岡山朝日61.7 熊本61.7 
61.0〜 姫路西61.4 宇都宮61.4 長崎西61.3 高松61.3 
60.5〜 宇都宮女子60.9 金沢泉丘60.9 大分上野丘60.9 
60.0〜 山形東60.2 水戸第一60.2 秋田60.1 札幌北60.0 修猷館60.0 土浦第一60.0
59.5〜 札幌東59.9 札幌西59.8 新潟59.8 前橋59.7 神戸59.7
59.0〜 長田59.4〜 東筑59.4 大垣北59.3 盛岡第一59.2 福岡59.0
58.5〜 富士58.9 米子東58.9 明善58.7 小倉58.6 青森58.5 静岡58.5
58.0〜 筑紫丘58.3 

団体受験なしの主な公立上位校:首都圏:日比谷、西、浦和、千葉 東海:旭丘 関西:北野、天王寺、大手前 九州:鶴丸・・

584 :人間七七四年:2013/01/08(火) 20:30:20.47 ID:E3aIyj14
あげ

585 :人間七七四年:2013/01/13(日) 21:43:45.34 ID:lqULiNmi
静岡の知事が馬鹿すぎて家康公かわいそうです(´・ω・`)

586 :人間七七四年:2013/01/14(月) 01:21:29.18 ID:f0OVIwXf
隠居城を駿府に建てたところを見ると、駿河を気に入ってたことは間違いないな。

587 :人間七七四年:2013/01/15(火) 13:52:57.23 ID:j8uR2UOS
江戸への要所を押さえる意味合いも強いだろうけどね

588 :人間七七四年:2013/01/16(水) 17:22:11.47 ID:Lv0zngOF
戦国バカの限界か?
終焉の地がなぜ駿河なのか、ヒントは源頼朝

589 :人間七七四年:2013/01/16(水) 20:00:10.25 ID:nDlINRj0
単純に静岡は気候もよくて山海の食料も
充実してる。東西の中間っぽいしいいところじゃなかったかな。

590 :人間七七四年:2013/01/16(水) 21:41:25.00 ID:DOvWAfbx
お前ら同志として情けない。

・幼少期の土地(要所なら伏見)
・江戸へも近い(監督)   こんなとこだろ?

591 :人間七七四年:2013/01/17(木) 03:56:42.66 ID:XkBbco5E
東海道の要所だろ駿府。
君の中で日本は京だけなのか?

592 :人間七七四年:2013/01/17(木) 07:52:59.53 ID:Zk++X4zX
当時の坊さんの記録では>>589と言ってたわ

593 :人間七七四年:2013/01/17(木) 16:27:10.96 ID:5THBCBXi
石川数政出奔の理由はこのスレではどうなっているの?
やる夫見た後だから、スパイ説や強硬派一喝説をとりたい

594 :人間七七四年:2013/01/17(木) 17:04:25.08 ID:S/Cn82JF
秀吉へ人質を出すかの点で孤立したため(天正13年11月19日付真田昌幸宛秀吉書状)

595 :人間七七四年:2013/01/18(金) 07:08:32.57 ID:QRCKESru
この時点で秀吉に内通していた小笠原貞慶の質を連れ出してる時点で
事前に秀吉に通謀してるし、スパイ説などは成立しないと思われ。

596 :人間七七四年:2013/01/18(金) 11:24:42.65 ID:75AAsOmS
お得意の切り崩し工作だろう
どの家にも仕掛けているし
秀吉は必ず家中の有力者を抱き込む
伊達→鬼庭
上杉→直江
佐竹→佐竹義久
宇喜多→長船
毛利→小早川
島津→伊集院
その人物を取り次ぎ役として豊臣家と密に連絡を取る事が目的だが、付家老の様に監視の役割もあったと思われる
そして直接禄を与えたり過度の褒美を与えたりするから、家中では警戒とやっかみを受けて孤立していくパターンが多い

597 :人間七七四年:2013/01/19(土) 04:24:50.83 ID:mwBzonZ9
>>594
お前は長男か。
あまりにも自分本位すぎる。

598 :人間七七四年:2013/01/19(土) 09:57:19.33 ID:fgZPmWUU
>>597
数正は秀康とともに自分の子も大坂に向かわせている

599 :人間七七四年:2013/01/19(土) 16:02:26.08 ID:EHfCOamk
仙台藩百姓やメガトンさんがいなくなりこの板も寂れたな

600 :人間七七四年:2013/01/19(土) 16:21:58.39 ID:Rdvu8U2m
お前が脳なしのせいや、反省せい

601 :人間七七四年:2013/01/19(土) 20:22:48.77 ID:VA7hiMvN
以前は秀吉ファンがウップンをはらしにくるところ
なんて言われ方もしてた。
そういうのが少ないとこみても家康というのは案外嫌われてて
秀吉が人気なんだなと感じる。
ひねくれた秀吉人気という気もするが。

602 :人間七七四年:2013/01/19(土) 20:47:17.09 ID:dFrbRPH/
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     |    ( _●_)  ミ _ (⌒)   J  ))
    彡、   |∪|  ノ
⊂⌒ヽ /    ヽノ  ヽ /⌒つ
  \ ヽ  /         ヽ /
   \_,,ノ      |、_ノ

603 :人間七七四年:2013/01/20(日) 01:39:12.11 ID:1TK7PmEB
ミクシ見てたら、家康なんてたまたま状況がラッキだったから
天下をとっただけ、みたいな人多いよ。
家康をよくいうと、束になって反論される。
軽視されてるというか戦国ブームファンが多いから
そうなってしまうんだろなとは思う。

604 :人間七七四年:2013/01/20(日) 09:21:11.90 ID:oAR/qIUe
戦国期の家康研究自体まだスタートしたばかりだけど
通説とは大分違う流れが見えてきてるしなぁ

605 :人間七七四年:2013/01/20(日) 15:14:50.74 ID:/Pa6YIU7
うちの地元の殿様は家康に改易アーンド切腹を申し付けられたけど、
それでも私は徳川が一番好きだな。

606 :人間七七四年:2013/01/21(月) 10:42:32.08 ID:IbHBl2ve
家康は評価はされても人気は出ないタイプだからな
特に日本人は家康のような人物を好まないから大衆ウケは絶対にしない
中国なら人気出そうだが

607 :人間七七四年:2013/01/21(月) 17:08:02.12 ID:9UADMrOM
>>603
2chでそういうこと言って、津波に呑まれて死んだ人いたなあ
2chでは家康の悪口微妙に言いにくくなってるかも

608 :人間七七四年:2013/01/21(月) 17:24:09.03 ID:VdBozX7j
いやアレは歴史認識と同様に
単に把握能力が低くて逃げなかっただけじゃね?w

お陰でこのスレも過疎ってしまった。

609 :人間七七四年:2013/01/21(月) 18:05:20.53 ID:yBXYWtQH
戦国期の家康研究スタートってなに?

610 :人間七七四年:2013/01/21(月) 20:09:42.44 ID:M1qczVWh
仙台百姓死亡説ってマジなん?
確かにここ二年くらい見かけないが。

611 :人間七七四年:2013/01/21(月) 23:06:15.08 ID:NtdDV1YB
>>610
津波の前日までは書き込んでいた。

612 :人間七七四年:2013/01/22(火) 14:30:48.36 ID:UNXPpVhX
>>606
別に家康公はもっと人気があるべきとまでは言わんけど、
その日本人が好む好まない人物って一体何だ?ついでに中国人好みってのも何なんだ?
中国史はあんまり詳しくなくて、人気がありそうなのは神格化されちゃった関羽ぐらいしか思いつかねーや。

613 :人間七七四年:2013/01/22(火) 15:20:49.50 ID:jnnjZPjh
まぁどっちの国も権力に抗った負け組な人たちが人気だよね

614 :人間七七四年:2013/01/23(水) 00:52:56.13 ID:Knmc83Lh
このスレだけ異常に読み込みが遅いんだけどなぜに?

615 :人間七七四年:2013/01/23(水) 06:52:21.76 ID:Nq4HDJFB
沖縄県知事の誕生日に隠された歴史

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/43/285_1.html

徳川家康の時代からの関係が浮き上がってきた。

616 :人間七七四年:2013/01/23(水) 13:13:48.39 ID:MsohCqgH
>>610-611
2011年の9月頃に仙台藩百姓の書き込み見たが成りすましだったんかな?

617 :人間七七四年:2013/01/23(水) 18:04:33.83 ID:ZPLTSH3l
探索スレまで立ったのに出てこなかったしな。

618 :人間七七四年:2013/01/24(木) 08:25:47.38 ID:bIQ2135n
>>609
一次史料に基づく研究でしょ。

619 :人間七七四年:2013/01/24(木) 10:19:03.05 ID:tdD/VWro
信長史観に基づく研究でしょ

620 :人間七七四年:2013/01/24(木) 11:46:30.40 ID:8ZoiRrG3
>>618
新発見の史料があるのならともかく
普通に専門家も多いし、スタート、
というのがよくわからないが
どこか又は誰かが始めたの?

621 :人間七七四年:2013/01/24(木) 22:00:45.64 ID:cln8QCV+
自分にもよくわからん<一次史料にもとづく、新しい(?)家康研究のスタート

日本史研究では、近年、むしろ豊臣政権の研究が
研究者の層でも、研究成果の点でも賑わってるので、
豊臣政権期なら、新史料の分析も含めて「新しい」というならよくわかるが

622 :人間七七四年:2013/01/25(金) 01:34:00.87 ID:fAJdr2mL
三河人が農民資質とか、農民(凡才)でも努力すれば天下を取れるとか、アホかw
三河以上の武士の国がどこにある、冗談は顔だけにしろよ

室町幕府 西三河の日本支配構造

【奉公衆】
・奉公衆(ほうこうしゅう)は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数

・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏
二番番頭 桃井氏
三番番頭 上野氏
四番番頭 石垣氏(畠山氏)
五番番頭 大館氏

三河国の奉公衆一覧(全53家)

【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)

【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田

【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部

【三河源氏】
足助、水野

【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永

【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)

【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下

【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、松平、丸山、三浦、大和

623 :人間七七四年:2013/01/25(金) 01:57:52.48 ID:fAJdr2mL
家康は三河に居たら、吾妻鏡を読む事すらなかっただろう

この発想はなんなん?無文化の農村と思い込んでいるんかいな

足利将軍の遺髪、仏像の頭部で保存か
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20121113-OYT8T00500.htm?from=yolsp


>南北朝時代の資料「園城寺文書」では、3代、義満の後見役として知られる武将・細川頼之が1368年、同寺に送った書状があり、そこでは「源頼朝や足利尊氏の先例にならって、義詮の遺髪を納めた地蔵菩薩像を園城寺に奉納した」

>源頼朝や足利尊氏の先例

細川頼之は何故知っていたのだろうか、三河生まれの頼之は実物をみているからだろう


滝山寺
http://takisanji.net/jihou_hou_seikan.html

>聖観音は頼朝の等身大で顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めたという


三河は源氏関連の史跡だらけ、間抜けも大概にしておけ

624 :人間七七四年:2013/01/25(金) 08:38:38.37 ID:ASx27AZm
>>620
家康の戦国期研究って江戸期編纂物の引用ばかりで全然進んでなかったんだぜ。

625 :人間七七四年:2013/01/25(金) 08:59:20.03 ID:kipMWcs/
平野明夫氏とかか。ここで名前がよくあがる本多さんはまああれだな

626 :人間七七四年:2013/01/25(金) 10:00:38.46 ID:ggFTAbso
>>624
へー、どうもんとかを家康研究と
思ってるのかと。
秀吉は山本たちが始めてるね。刀狩とか総無事令とか
取次ぎとかそういうのだけど、主語が誰か、でモメてたなぁ。

627 :人間七七四年:2013/01/25(金) 17:56:17.40 ID:/heQKR4Y
家康って粗食・腹八分を心がけ鷹狩りとか運動も欠かさなかったのに
なんであんなに太ったわけ?
自分で褌を締められなかったなんて話もあるけど。

628 :人間七七四年:2013/01/25(金) 23:06:05.36 ID:ASx27AZm
>>625
その前はせいぜい新行紀一くらいだったしね。

>>626
惣無事「令」は、竹井英文が氏政宛て家康書状の年代否定を
ひっくり返したから法令としては存在しないという流れに行ってるね。

629 :人間七七四年:2013/01/26(土) 10:15:38.63 ID:f4FXBF8j
>>627
粗食っていっても、接待を受ける事もあるだろうしな

630 :人間七七四年:2013/01/26(土) 13:22:07.11 ID:TzEA4+Iz
>>629
囲碁仲間の商人が白米食っているのを見て苦言を呈したり
(その商人は「いや、あれは豆腐の粕をかけて食っていたのです」と言い訳した)
麦飯の下に白米を隠した飯を出されたら怒ったりという話があるくらいだから、
接待で豪勢な食事を出されたら食わずに苦言を呈しそうなものだが。

631 :人間七七四年:2013/01/26(土) 15:20:05.70 ID:HQHVFxGD
>>630
自分の家臣ならともかく余所にまで文句つけんわな。

632 :人間七七四年:2013/01/26(土) 17:21:12.24 ID:tzMcnfGA
デブは遺伝だろ?現代みたいにダイエット食品とかないししょうがない。デブであれだけ長生きできたのは儲けもの

633 :人間七七四年:2013/01/26(土) 18:04:47.70 ID:SnVzzfrO
粗末な食事でも効率よく吸収するのが日本人。普段の粗食で吸収効率どupした所にたまに豪勢なモノを食べると…

634 :人間七七四年:2013/01/26(土) 18:47:26.92 ID:vk7FjUpB
>>631
天下人になった家康にとっては
日本全体が家臣みたいなもんでしょ?

635 :人間七七四年:2013/01/26(土) 19:10:52.36 ID:vk7FjUpB
>>632
遺伝?
父親の広忠や息子の秀忠がデブだったなんて記録無いけど。

636 :人間七七四年:2013/01/26(土) 19:12:07.60 ID:rO+/i1mK
家康公に唯一欠けてるのは、
そういうやる気関係だと思うのだが
「身内より忠臣を大事にする」とかで無い
物理的な優遇なんてあるの?

637 :人間七七四年:2013/01/26(土) 20:26:38.65 ID:HQHVFxGD
>>634
天下人になった後は接待受ける身分じゃないだろ

638 :人間七七四年:2013/01/26(土) 20:47:34.82 ID:Gk3WVjuO
>>635
広忠は、暗殺されて若死にしたからデブるひまなし。
それに遺伝といったって、子孫全部がデブるわけではない。

639 :人間七七四年:2013/01/26(土) 21:15:34.02 ID:gwtf0DDr
>>635
デブは母方の遺伝も考えられる。お大の方の肖像画は結構ふくよかだったような。

640 :人間七七四年:2013/01/26(土) 21:43:28.02 ID:tzMcnfGA
>>635
遺伝の要素が大きいだろってこと。粗食が本当ならそれしかない。母親の於大の方やその親の水野なんとか、広忠の父清康はデブじゃないか。孫が祖父母に似る隔世遺伝さ

641 :人間七七四年:2013/01/26(土) 22:05:59.02 ID:/v0C0Qdg
>>622
他の国についても教えてくれ

642 :人間七七四年:2013/01/26(土) 22:12:35.39 ID:HQHVFxGD
粗食と栄養価は別の話だと思うがな

643 :人間七七四年:2013/01/27(日) 01:24:57.35 ID:VIAr/wYl
為政者として民衆が贅沢するのを嫌うのは当然だから、それに沿った発言をしただけだろ
自分も質素な生活をするかどうかはまた別の問題

644 :人間七七四年:2013/01/27(日) 08:29:28.17 ID:sdLgtpR5
>>643
何をわけのわからんことを。
家康が嫌ったのは「民衆」じゃなくて「武士」が贅沢で惰弱な生活をすることだぞ?
周りの者にも常々言ってるし、自分も質実剛健な生活を実践してる。

ただ、一切金を使わないってわけじゃなくて、必要な出費は惜しまない人でもある。

645 :人間七七四年:2013/01/27(日) 11:02:24.65 ID:VIAr/wYl
何をお目出度いことを

自分は食欲・性欲解放して肥満し子沢山でも、
「百姓共は生かさぬよう殺さぬよう」と民衆の生活をコントロールするのが為政者というもの

646 :人間七七四年:2013/01/27(日) 15:19:01.40 ID:q9RiH0dv
>>644
いや、既出なように囲碁仲間の商人に対しても贅沢をたしなめている。

647 :人間七七四年:2013/01/27(日) 16:16:18.50 ID:nTSTvRBV
安土の接待の時のメニュー凄いけど、内心「イラッ」としてたんかね

648 :人間七七四年:2013/01/27(日) 16:56:16.72 ID:vrd24oLa
相撲取り型の筋肉メインの太り方でしょ

649 :人間七七四年:2013/01/27(日) 17:16:35.47 ID:o/vPHaY2
家臣民衆が毎月程度の贅沢すると
どうして徳川家に良く無いの(′・_・`)?

650 :人間七七四年:2013/01/27(日) 21:14:19.58 ID:9vaiCkqQ
>>647
接待の名目で普段は口にできない御馳走が食えるから嬉しかったと思う

651 :人間七七四年:2013/01/27(日) 21:56:04.40 ID:1bD9mnUb
食が細るのは老いると同義でもあるからなぁ。
家康の場合、健康の為の食事であって暴飲暴食とは違うような。


性欲に関しては、まぁ好色は否定しないがw
前田を挟むように子の領地(越前、越後)を配したり
天下普請で東海道の要地名古屋に城を築く口実にしたりと、子を実用的な使い方している。

秀忠の系統は、家康の死後ちょうど100年で断絶。
それ以降スペアになったのが、家康が60過ぎて作った子の系統だから決して無駄ではなかった。
ひたすら子作りしてたのは、秀吉の失敗(秀次事件)を意識してたのだろう。

652 :人間七七四年:2013/01/27(日) 23:37:18.79 ID:kkTeKU72
家康公は、オットセイの性器とか輸入して、自分で精力剤こさえて使ってたからな。
年取ってからは、自分の楽しみというより、子孫繁栄のためだったろうな。

653 :人間七七四年:2013/01/28(月) 01:12:45.15 ID:4urvDOU/
>>628
そうなの?
令としての存在も重要だけど
その意味合いは高く評価する人たちも多いような。
これは秀吉だけど。
家康の初期の法令の話としてはどうなんだろう。

654 :人間七七四年:2013/01/28(月) 02:28:50.80 ID:rsjS1l0U
>>653
「惣無事」と言う枠組みは認められてるけど
「令」を主張してる人はもういない状態。

家康としても初期は太閤様御置目の如く
と称して先例を重視はしてるな

655 :人間七七四年:2013/01/28(月) 02:30:42.06 ID:0PVLucCG
>>651-652
大抵、政権が揺らぐ時って当主の早死or無嗣→跡目争いだから
長生きした上で、将来の反乱の芽を摘む(大阪の陣)、跡目を明確に決める(秀忠の次は家光)
武家・公家・僧侶、天皇家にまで法度を定める。
最後の数年でここまでこなした家康は凄いわ

家斉の子作りとかは、厳格な定信の躾からの反動&他にすることが無い
だろうけど

656 :人間七七四年:2013/01/28(月) 02:57:50.88 ID:4urvDOU/
>>654
秀吉でもそういうことなんだね。
個々の書状の総体ってことか。

>>655
最後の方はお家存続のためにすべてを考えるんだが
それがことごとく大正解、大成功ってのをすごいと思うわな。
だから結局どういう流れになっても家康さえいたら
現代まで似たような歴史だとは思うが
アカ系はメチャ反発するよね。
個人の能力じゃなくて歴史の必然だって。

657 :人間七七四年:2013/01/28(月) 18:07:22.22 ID:k3QgtDHp
>>627
秀吉の治世になり戦に出なくなったら途端に太り始めたらしい
鷹狩りってそんなに運動するんだっけ?
秀吉主宰の仮想茶会では家康は太った体で源義経に扮したところ
女たちの笑いものになったという。

658 :人間七七四年:2013/01/28(月) 21:47:25.00 ID:sIVhovmW
>>657
そういうのは全て逸話レベル
確実なのは家康は老齢でも運動能力が高かったこと

659 :人間七七四年:2013/01/29(火) 01:29:53.87 ID:D4man38X
褌を自分でしめられないほど肥満していたのは逸話レベルではなく事実w

660 :人間七七四年:2013/01/29(火) 05:41:15.07 ID:GR4J4Q8f
体格の話は謁見した外人が残した記録が割と正確。

661 :人間七七四年:2013/01/29(火) 09:38:01.34 ID:PbGeVrVH
知り合いに学生時代はガリガリだったのに、就職して酒を飲みはじめたらブクブクになったのがいるw

662 :人間七七四年:2013/01/29(火) 09:49:52.09 ID:9VyuoArg
>>659
それも逸話なのだが

663 :人間七七四年:2013/01/29(火) 13:34:26.11 ID:7pG7FQcY
当時の人は身長が低いから(150〜160cm位)、
食生活が改善されると横に太りだす傾向が強い
家康は有名だから逸話がたくさん残ってるだけ

664 :人間七七四年:2013/01/29(火) 15:02:50.57 ID:z21uwTgg
>>627
秀忠の肖像画のひとつに、なんとなく親父と体型が似てるのがあったから、太りやすい家系なのか思ってる。

665 :人間七七四年:2013/01/29(火) 23:45:26.01 ID:eHJO+c9r
先祖が豊田から岡崎に進出し、自身が関東に幕府開府は頼朝(父方皆殺し、母方優遇)と同じ
永井直勝の苗字を変えさせる程、源氏と三河を知り尽くしていた家康


◆源頼朝◆父方:源義朝、河内源氏  母方:由良御前、藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、愛知県岡崎市)


■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、愛知県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(愛知県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(愛知県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券、皇室に寄進する
・季兼は、三河国額田郡(愛知県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(愛知県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(愛知県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を産む

666 :人間七七四年:2013/01/30(水) 00:24:39.87 ID:MFNtCQEk
>>661
うわ〜、48キロからすぐに70キロになった自分だ・・

667 :人間七七四年:2013/01/30(水) 16:42:44.32 ID:vjsXrwuL
家康以外に肥満していたことを揶揄的に描かれている戦国武将は
龍造寺隆信や今川義元(ねつ造の可能性有)、それに秀頼か。

668 :人間七七四年:2013/01/30(水) 23:43:14.95 ID:P1kK0dwY
斉藤義龍とか

669 :人間七七四年:2013/01/31(木) 00:35:03.16 ID:P/w6x0Rd
義龍は肥満というより巨漢の偉丈夫扱いでは?

670 :人間七七四年:2013/01/31(木) 20:04:43.45 ID:LOjdClt2
正直豊臣家には優秀な家臣がいなかったのが
滅亡の要因のひとつ
あの大きな大坂城に秀頼親子が居続けたらどうなるか考えたら分かるのに…
このことを指摘した大名は多い
淀殿は三法師が13万石の大名に収まってしまったことに激怒していたらしい
こんなことなら織田家の血筋のわが子に天下人にと思ってもおかしくない

信長が健在ならわがままで癇癪持ちの淀殿は
すぐに滅ばされいたこだろう
家康は15年もよく辛抱したと思う
最後はいつまで経っても家臣になってくれないから
我慢しきれず豊臣家を滅ぼしたと思う…

671 :人間七七四年:2013/01/31(木) 22:12:01.63 ID:AlFj+xsG
>>670

> 淀殿は三法師が13万石の大名に収まってしまったことに激怒していたらしい
> こんなことなら織田家の血筋のわが子に天下人にと思ってもおかしくない

家光も、同じ濃さの織田家の血筋なんだがな。

672 :人間七七四年:2013/01/31(木) 23:22:59.86 ID:39+r6Txq
つーか、いまどき淀殿のせいにするのは時代遅れだろ。

673 :人間七七四年:2013/02/01(金) 05:53:51.33 ID:99vptk7f
だわなぁ。
滅ぼされた側の要因なんてなんとでもあげられるけど
要は家康に目をつけられた時点でアウト。
なんだけど、家康は豊臣のマイナスにつけこんだだけで
運がよかっただけ、豊臣の側の理由をタラレバ的に
あげて、こうなってたら滅ぼされなかった、なんて論も
多いもんな。
家康が健在な限りどうなっても滅んでたような
流れが中心だろうけど。

674 :人間七七四年:2013/02/01(金) 08:19:35.26 ID:fRviJctu
似たり寄ったり

675 :人間七七四年:2013/02/01(金) 09:34:30.69 ID:6cSJSAkh
結果から過程を決めつけるのは愚かすぎる。
家康がー淀殿がーとか極論すぎて話にならん

676 :人間七七四年:2013/02/01(金) 09:36:37.97 ID:ZlKYPBuS
織田の血が出たのかなという感はある

677 :人間七七四年:2013/02/01(金) 12:18:02.64 ID:dpbX1MRe
淀殿って、有楽や信雄のようにさっさと逃げれば良かった思うのに、
秀頼が主戦派を選んで、淀殿もやむなく付き合ったのかな。

678 :人間七七四年:2013/02/01(金) 14:04:19.89 ID:O4tEcZrE
大阪城が落ちた時の金地院崇伝の日記に、秀頼や淀や侍女達が倉にいて降伏したいと言ってきたけど徳川側は、倉に向かって鉄砲を撃って自害を促した。って書いてある

家康は自分の寿命があるうちに、どーしても綺麗サッパリとケリをつけたみたいだしな。逃げるとしたら関係が悪化する前あたり?

679 :人間七七四年:2013/02/01(金) 14:47:27.60 ID:JJwmDNN9
>>678
豊臣の天下を続かせる上策はないものでござるか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1329023073/

680 :人間七七四年:2013/02/01(金) 15:40:04.37 ID:6cSJSAkh
>>678
ケリがどうこう以前に、武力叛乱を鎮圧された後の助命は期待しちゃ駄目だと思うな。
まあ淀殿が助かる道があるとすれば、戦になる前に人質に出しておけば良かったかと。

681 :人間七七四年:2013/02/01(金) 16:38:56.79 ID:ZlKYPBuS
且元の提案を蹴った時点でもうどうしようもない

682 :人間七七四年:2013/02/01(金) 17:58:29.40 ID:hWPx5E9e
引き受けてに有力なのが居ないしねぇ、浅井は滅んでるし織田はおまけ状態だし

683 :人間七七四年:2013/02/01(金) 19:01:25.00 ID:7Mctx3Nq
幕閣の老中たちが淀殿が利家夫人の芳春院のように
江戸になるべく早く人質になっていれば
滅ぼされることもなかったと言ったとか…
そういう意味っでは高台院や芳春院は賢い

妹の常高院や叔父の織田有楽斉が秀頼 淀殿親子に
コ川家と上手くいくよう何度も説得したけどそれも失敗してしまった
常高院は落城寸前まで大坂城にいた
崇源院 常高院 織田有楽斉 千姫は家族運が不運だと思う
崇源院が養源院を立て直して家族の一族を弔ったのは泣ける…

684 :人間七七四年:2013/02/01(金) 20:32:50.81 ID:ZlKYPBuS
冬の陣の講和交渉でで淀殿が人質になる替りに牢人達のための加増を求めるなど
虫が良いにも程がある

685 :人間七七四年:2013/02/02(土) 01:15:56.59 ID:B8jLx34L
何故名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」 

尾張の歴史

◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。

■藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
■藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼

◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。

◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国幡豆郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国幡豆郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。

◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。

◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。

686 :人間七七四年:2013/02/02(土) 14:06:01.95 ID:3pFdjGoc
徳川に改姓って何か実利あったの?松平ばっかでうざかったとか?

687 :人間七七四年:2013/02/02(土) 14:54:01.31 ID:NAZeXtiQ
三河守に叙任されるために必要だった。

688 :人間七七四年:2013/02/02(土) 16:54:41.51 ID:jBZjh14n
三河守叙任のために必要な従五位下に叙爵されるためにはそれなりの家の出身でなければならなかった

689 :人間七七四年:2013/02/02(土) 17:29:11.60 ID:3pFdjGoc
う〜む、よく分からん。
松平も一応、藤原・源が祖先とあるけどこれじゃダメなの?
松平で位が高い人いるけど、これは江戸時代以降のこと?

690 :人間七七四年:2013/02/02(土) 17:54:10.69 ID:NAZeXtiQ
>>689
駄目。

691 :人間七七四年:2013/02/03(日) 11:39:35.08 ID:BxObmr94
松平家も比較的新しい家なのに謎が多いな

692 :人間七七四年:2013/02/03(日) 14:04:58.18 ID:U6TpDHhC
同族派閥組織グル共謀利益他人支配多勢に無勢企策計謀根回し癒着濡衣詐欺詐偽虚偽欺き騙し離間計策引抜き削弱弱体計策
個々潰移権謀術数偽計詭計奸計人間言動意図目的狙い心理言動術踏み台出し抜き裏切り蹴落とし奴隷鉄砲玉人間操作コントロール
口裏合わせ情報掌握的確攻撃邪魔妨害自己中利己主義私利私欲独占欲殺し成り済まし略奪虐殺資産乗っ取り漁夫の利同士討ち
何事も巧者勝ち

693 :人間七七四年:2013/02/04(月) 08:56:43.38 ID:v1/C2kXi
wikiだと信光は和泉守なんだよな、松平は官位を貰っているのが多い
松平を土豪扱いは基本的におかしい

694 :人間七七四年:2013/02/04(月) 09:17:43.98 ID:9bZ63nk7
>>689
それと、自分が一族を率いる、みたいな
代名詞になるからね。
この時点で遠い先の結果論を見越してたとかじゃなくて
人質とか過去の清算とかそういう意味もあったんだろう。
あくまで建前は叙任のためなんだろうけど。

695 :人間七七四年:2013/02/04(月) 14:11:43.98 ID:QoSWzaIc
>>678
御輿にされるギリギリ直前に逃げ切って、血を残すことができた信雄パネェ

696 :人間七七四年:2013/02/04(月) 17:03:31.07 ID:s+HEDMlo
>>693
それ正式な官位?

697 :人間七七四年:2013/02/04(月) 17:05:36.80 ID:tpRMJ55o
逃げ足の速さは父譲り

698 :人間七七四年:2013/02/04(月) 18:36:11.77 ID:qHoMIkR7
>>693
位階が伝わってないということはゲフンゲフン

699 :人間七七四年:2013/02/04(月) 21:11:19.76 ID:v1/C2kXi
従五位下、貴族だわな

700 :人間七七四年:2013/02/04(月) 22:03:18.19 ID:qHoMIkR7
あ、マジで従五位下に叙爵されてるのか。ホントかどうか知らんが

701 :人間七七四年:2013/02/04(月) 23:27:40.03 ID:tdKiUg1O
>>693
自称じゃ意味が無い。当時の本物は細川氏だろ。

702 :人間七七四年:2013/02/05(火) 00:33:03.80 ID:GllR5OVx
>>701
それ守護じゃね?まあ伊勢被官とはいえ三河の豪族が従五位を貰えるとは思わないが

703 :人間七七四年:2013/02/05(火) 08:28:19.17 ID:SGFPHxt+
鎌倉時代に足助氏が佐渡守で昇殿していただろうが

704 :人間七七四年:2013/02/05(火) 08:43:16.70 ID:SGFPHxt+
伊勢氏とか、そんなに畏まるもんじゃないだろう
三河と伊勢氏は平安時代からの腐れ縁なんだからよ


藤原俊経(初代伊勢氏伊勢俊継の父)

鎌倉前期の武士、足利氏被官。『滝山寺縁起』に肥前々司藤原俊経(法名願仏)と見える人で、
足利氏被官伊勢氏の先祖とみられる。
弟相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は滝山寺僧侶であった。滝山寺に持仏堂を建て、古市場御油畠などを寄進した


伊勢俊継(初代伊勢氏)

鎌倉中期の武士で足利氏被官。『滝山寺縁起』に伊勢前司藤原俊継とある人で、
肥前前司俊経の子。
滝山寺に足利義氏追善のため檀那として法華堂を造営し、田畠3町8段をこの堂に寄進した。
また碧海荘青野・宇祢部の料田畠も足利(斯波)家氏に働きかけて寄進させた。そのほか滝山寺の諸造営にかかわって
財政的な援助を惜しまなかったのは、叔父の円辰や従兄弟の増恵が滝山寺僧侶であったからであろう。


古市場つーのは豊田市にある古市場、松平に近いわな
伊勢氏は元々三河出身で、三河で足利氏と知り合ったワケだな

705 :人間七七四年:2013/02/05(火) 16:52:02.55 ID:bJ2YLRH0
三河は上国、和泉は下国だから扱いが違うんじゃね?

706 :人間七七四年:2013/02/06(水) 07:46:06.80 ID:zXoO/JfU
加茂郡
中条氏
足助氏

額田郡
松平氏
高氏
大平氏
粟生氏

碧海郡
尾張足利氏(斯波氏)

幡豆郡
三河足利氏(吉良氏)
一色氏

宝飯郡
星野氏
関口氏

設楽郡
設楽氏
千秋氏

八名郡
安達氏


三河で官位を持っていたの
まだまだいそうだが、よーさんおるがな

707 :人間七七四年:2013/02/06(水) 08:14:16.17 ID:5fqtHZgc
必要なのは由緒だろ。
松平は成り上がりだし。

708 :人間七七四年:2013/02/07(木) 15:13:56.83 ID:5vxyjaeZ
それなりに裏が取れていたから、一色氏から嫁が入っただろ
ちなみに、世良田頼氏は嫁が足利義氏(三河守護)の娘で、一時期、三河守護代を務めた(義氏は陸奥守になって、急遽関東に戻った)らしいから、三河出身の初代伊勢氏伊勢俊継とも顔見知りだわな


三河は不思議

709 :人間七七四年:2013/02/07(木) 23:28:21.34 ID:5RLMnxCV
>>699
確かに分類上は貴族にはなるけど、殿上人の方が良いかなと。
正直、貴族というからには三位以上の公卿じゃないとね。

710 :人間七七四年:2013/02/08(金) 10:35:58.60 ID:Wtciglvq
貴族なんて日本の戦国期に無い概念を持ち出されてもな

711 :人間七七四年:2013/02/08(金) 23:47:36.55 ID:UAX+qizF
1400年代初期は戦国時代ではありませんよ

松平和泉守源信光

712 :人間七七四年:2013/02/09(土) 10:09:15.07 ID:+LwKwR4F
いや、貴族なんて中世には存在しない概念ではないか

713 :人間七七四年:2013/02/10(日) 00:17:17.09 ID:NcMsQOqQ
それは貴族と言う言葉なかったと言うだけの話で
官位、とりわけ昇殿出来る位を持った一族が特別視されていた事は間違いない

714 :人間七七四年:2013/02/10(日) 09:11:42.09 ID:ZEoHDr0y
それは貴族じゃなくて別のものだな

715 :人間七七四年:2013/02/10(日) 12:40:04.11 ID:6FHoEn7F
京都に出仕して、弟が将軍義教の正室(日野裏松家)の家人であった、和泉守従5位下、嫁は一色氏の松平和泉守源信光
下流貴族ですな

三河の親分は足利将軍家、しかも万人恐怖足利義教時代に活躍したやり手
神のお告げで建てた万松寺も、源氏ゆかりの滝山寺の寺領内だった

716 :人間七七四年:2013/02/10(日) 22:47:27.15 ID:2iPbIZZt
「人気歴史小説や歴史ドラマの影響は大きい、龍馬がこれだけ人気なのも司馬遼太郎のおかげ」
と言われる。
山岡荘八の『徳川家康』は『龍馬がゆく』に負けないメジャー歴史小説で
高視聴率取った大河『徳川家康』もその世界観に沿った作品だったのに、
世間的に家康=狸オヤジのイメージが微動だにしないのは何故?

717 :人間七七四年:2013/02/10(日) 22:51:08.57 ID:wcN5SoXa
顔が似ているから

718 :人間七七四年:2013/02/10(日) 23:10:19.70 ID:NcMsQOqQ
どうしても主家裏切りの事実があるから、人格面で評価される事は永遠にないかと
逆の発想で松永や宇喜多のような腹黒キャラで売った方が成功すると思う
信長が奇人キャラで逆に人気を上げたように

719 :人間七七四年:2013/02/10(日) 23:10:51.01 ID:RaiuZqTb
>>716
山岡の家康は長杉、オリジナルで全26巻もある。
消防から厨房のころに通して読んだが、年を食うとその気力が出ない。

720 :人間七七四年:2013/02/11(月) 00:13:42.23 ID:IT3m9cke
>>716
司馬の家康観が家康=狸親父だったのが大体の原因だと思ってる
司馬の小説は読みやすいし面白いからかなりの人に読まれただろうし

>>718
家康は良くも悪くも常識的なキャラの方が一番それっぽいと思うわ。売れるかどうかは別としてだが

721 :人間七七四年:2013/02/11(月) 00:57:33.49 ID:FGYpKSfi
>>718
一般的に持たれてるイメージでは
主家裏切りではないでしょ。
むしろ、友情を裏切った、人の誠意を踏みにじった、ような捉えられ方と思う。

722 :人間七七四年:2013/02/11(月) 12:47:02.36 ID:yMQkPhP6
関白秀吉なんて現代で言っても
黒人紛い総理秘書か何かが、超絶大恩人の総理や子孫を
蹴落としまくりしてる様なもんだろう?

そんなの何したって国民感情的には賞賛されるほどだと思うけどなぁ(′・_・`)?



ムカついたら即解雇とか、社内に愛人・身内幹部作りまくりとか
そんなクズ組織が良いと思えるバカ国民多過ぎるw

723 :人間七七四年:2013/02/11(月) 13:11:38.72 ID:ieP7HHmu
日本語でタノム

724 :人間七七四年:2013/02/11(月) 19:12:58.64 ID:BZ4+siR6
和泉守従五位下、松平和泉守源信光(1404〜1488)

嫁は一色氏の娘
政所執事伊勢氏の被官、京都に出仕
弟が将軍義教の正室(日野裏松家)の家人


万松寺(愛知県岡崎市滝町松谷30) 滝山寺寺領内
1440年、夢のお告げに従い、曹洞宗の僧侶であった龍沢和尚に請願して七堂伽藍様式の寺を創建
本尊の台座に、慈応山万松寺本尊 永享十二年 松平和泉守源信光


滝山寺年表
1140年  藤原季範(源頼朝の祖父)、夫婦で滝山寺内に蓮華寺造営
1151年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、滝山寺の2度目の本堂を建替
1201年  寛伝(源頼朝の従兄弟、藤原範忠の息)頼朝公の3回忌に惣持禅院を創建。本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩
1222年  足利義氏(3代目足利氏当主)、滝山寺の3度目の本堂を建替
1255年  足利義継(初代奥州吉良氏) 故足利義氏(3代目足利氏当主)の法華堂造営
1257年  足利頼氏(5代目足利氏当主)、一切経蔵の経会料所造営、阿知波郷を寄進
1284年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、故足利家時(6代目足利氏当主)の如法堂造営
1301年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、大門屋敷を寄進
1300年代 足利義満(3代目足利将軍)、滝山寺の3度目の本堂を建替

725 :人間七七四年:2013/02/11(月) 19:26:19.42 ID:BZ4+siR6
和泉守従五位下、松平和泉守源信光(1404〜1488)

嫁は一色氏の娘
政所執事伊勢氏の被官、京都に出仕
弟が将軍義教の正室(日野裏松家)の家人


万松寺(愛知県岡崎市滝町松谷30) 滝山寺寺領内
1440年、夢のお告げに従い、曹洞宗の僧侶であった龍沢和尚に請願して七堂伽藍様式の寺を創建
本尊の台座に、慈応山万松寺本尊 永享十二年 松平和泉守源信光


滝山寺年表
1140年  藤原季範(源頼朝の祖父)、夫婦で蓮華寺造営
1151年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、滝山寺の2度目の本堂を建替
1201年  寛伝(源頼朝の従兄弟、藤原範忠の息)頼朝公の3回忌に惣持禅院を創建。本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩
1222年  足利義氏(3代目足利氏当主)、滝山寺の3度目の本堂を建替
1255年  足利義継(初代奥州吉良氏) 故足利義氏(3代目足利氏当主)の法華堂造営
1257年  足利頼氏(5代目足利氏当主)、一切経蔵の経会料所造営、阿知波郷を寄進
1284年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、故足利家時(6代目足利氏当主)の如法堂造営
1301年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、大門屋敷を寄進
1300年代 足利義満(3代目足利将軍)、滝山寺の4度目の本堂を建替

726 :人間七七四年:2013/02/12(火) 12:57:25.96 ID:B3aoZXa8
松平和泉守源信光(1404〜1488)
・和泉守、左京亮、従五位下
・室は一色氏の娘
・政所執事伊勢氏の被官、京都に出仕
・弟が将軍足利義教の正室(日野裏松家)の被官

万松寺(愛知県岡崎市滝町松谷30) 滝山寺寺領内
1440年、夢のお告げに従い、曹洞宗の僧侶であった龍沢和尚に請願して七堂伽藍様式の寺を創建
本尊の台座に、慈応山万松寺本尊 永享十二年 松平和泉守源信光


滝山寺(愛知県岡崎市滝町山籠107)年表
1140年  藤原季範(源頼朝の祖父)、夫婦で蓮華寺造営、仏性灯油料として額田郡恵那河内郷を寄進
1151年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、滝山寺の2度目の本堂を建替
1159年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、大檀那として滝山寺の四至を定める
1201年  寛伝(源頼朝の従兄弟、藤原範忠の息)頼朝公の3回忌に惣持禅院を創建。本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩
1222年  足利義氏(3代目足利氏当主)、滝山寺の3度目の本堂を建替
1226年  高階惟行(大平惟行)、坂上惟伴と連署で額田郡阿知波郷の田8反を惣持禅院二寄進、高階惟行(大平惟行)は高階惟長(源頼朝家来、三河国菅生郷郷司)の孫
1255年  足利義継(初代奥州吉良氏) 故足利義氏(3代目足利氏当主)の法華堂造営、初代伊勢氏伊勢俊継と初代斯波氏足利家氏所領を寄進
1257年  足利頼氏(5代目足利氏当主)、一切経蔵の経会料所造営、阿知波郷を寄進
1284年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、故足利家時(6代目足利氏当主)の如法堂造営
1301年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、大門屋敷を寄進
1330年代 貞円(高師泰・高師直の弟)が大勧進
1380年代 足利義満(3代目足利将軍)、滝山寺の4度目の本堂を建替
1440年  松平和泉守源信光、万松寺を創建


足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表
1362年  天恩寺(愛知県岡崎市)創建、足利尊氏遺言の寺、4代目将軍足利義持の祈願所
1369年  御馬城(愛知県豊川市)築城を管領細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
1370年  甘泉寺(愛知県新城市)創建か?御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進
1380年代 永源寺(愛知県岡崎市)を管領斯波義将が創建、これを支持し将軍家安泰を祈願、三河国碧海荘は斯波氏代々の墓所がある所
1388年  富士山遊覧、矢作宿(「愛知県岡崎市)に宿泊
1390年  管領細川頼之、屋敷跡に蓮性院(愛知県岡崎市)を創建
1397年  永源寺(愛知県岡崎市)に、ちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
1399年  六名堤(愛知県岡崎市)を乙川に造営、下流の下和田郷が水不足に陥り、領主京極高詮(侍所頭人、近江守護、佐々木道誉の孫)から苦情が入る
1404年  松平和泉守源信光が生まれる

727 :人間七七四年:2013/02/12(火) 13:01:57.46 ID:B3aoZXa8
松平和泉守源信光(1404〜1488)
・和泉守、左京亮、従五位下
・室は一色氏の娘
・政所執事伊勢氏の被官、京都に出仕
・弟が将軍足利義教の正室(日野裏松家)の被官

万松寺(愛知県岡崎市滝町松谷30) 滝山寺寺領内
1440年、夢のお告げに従い、曹洞宗の僧侶であった龍沢和尚に請願して七堂伽藍様式の寺を創建
本尊の台座に、慈応山万松寺本尊 永享十二年 松平和泉守源信光


滝山寺(愛知県岡崎市滝町山籠107)年表
1140年  藤原季範(源頼朝の祖父)、夫婦で蓮華寺造営、仏性灯油料として額田郡恵那河内郷を寄進
1151年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、滝山寺の2度目の本堂を建替
1159年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、大檀那として滝山寺の四至を定める
1201年  寛伝(源頼朝の従兄弟、藤原範忠の息)頼朝公の3回忌に惣持禅院を創建。本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩
1222年  足利義氏(3代目足利氏当主)、滝山寺の3度目の本堂を建替
1226年  高階惟行(大平惟行)、坂上惟伴と連署で額田郡阿知波郷の田8反を惣持禅院二寄進、高階惟行(大平惟行)は高階惟長(源頼朝家来、三河国菅生郷郷司)の孫
1255年  足利義継(初代奥州吉良氏) 故足利義氏(3代目足利氏当主)の法華堂造営、初代伊勢氏伊勢俊継と初代斯波氏足利家氏所領を寄進
1257年  足利頼氏(5代目足利氏当主)、一切経蔵の経会料所造営、阿知波郷を寄進
1284年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、故足利家時(6代目足利氏当主)の如法堂造営
1301年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、大門屋敷を寄進
1330年代 貞円(高師泰・高師直の弟)が大勧進
1380年代 足利義満(3代目足利将軍)、滝山寺の4度目の本堂を建替
1440年  松平和泉守源信光、万松寺を創建


足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表
1362年  天恩寺(愛知県岡崎市)創建、足利尊氏遺言の寺、4代目将軍足利義持の祈願所
1369年  御馬城(愛知県豊川市)築城を管領細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
1370年  甘泉寺(愛知県新城市)創建か?御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進
1380年代 永源寺(愛知県岡崎市)を管領斯波義将が創建、これを支持し将軍家安泰を祈願、三河国碧海荘は斯波氏代々の墓所がある所
1388年  富士山遊覧、矢作宿(「愛知県岡崎市)に宿泊
1390年  管領細川頼之、屋敷跡に蓮性院(愛知県岡崎市)を創建
1397年  永源寺(愛知県岡崎市)に、ちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
1399年  乙川(愛知県岡崎市)に六名堤造営を、管領畠山基国に命ずる、下流の下和田郷が水不足に陥り、領主京極高詮(侍所頭人、近江守護、佐々木道誉の孫)から苦情が入る
1404年  松平和泉守源信光が生まれる

728 :人間七七四年:2013/02/12(火) 13:44:34.60 ID:778B5toy
別に松平氏は今川氏の分家でも被官でもないんだから裏切りってのもな。
従属してたのは20年そこらなんだし。

729 :人間七七四年:2013/02/12(火) 14:45:57.76 ID:B3aoZXa8
松平和泉守源信光(1404〜1488)
・和泉守、左京亮、従五位下
・室は一色氏の娘
・政所執事伊勢氏の被官、京都に出仕
・弟が将軍足利義教の正室(日野裏松家)の被官

万松寺(愛知県岡崎市滝町松谷30) 滝山寺寺領内
1440年、夢のお告げに従い、曹洞宗の僧侶であった龍沢和尚に請願して七堂伽藍様式の寺を創建
本尊の台座に、慈応山万松寺本尊 永享十二年 松平和泉守源信光


滝山寺(愛知県岡崎市滝町山籠107)年表
1140年  藤原季範(源頼朝の祖父)、夫婦で蓮華寺造営、仏性灯油料として額田郡恵那河内郷(愛知県岡崎市米河内)を寄進
1151年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、滝山寺の2度目の本堂を建替
1159年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、大檀那として滝山寺の四至を定める
1201年  寛伝(源頼朝の従兄弟、藤原範忠の息)頼朝公の3回忌に惣持禅院を創建。本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩
1222年  足利義氏(3代目足利氏当主)、滝山寺の3度目の本堂を建替
1226年  高階惟行(大平惟行)、坂上惟伴と連署で額田郡阿知波郷(愛知県岡崎市阿知波)の田8反を惣持禅院二寄進、高階惟行(大平惟行)は高階惟長(源頼朝家来、三河国菅生郷郷司)の孫
1230年代 藤原俊経(初代伊勢氏伊勢俊継の父)持仏堂を造営、古市場御油畠(愛知県豊田市古市場)を寄進
1255年  足利義継(初代奥州吉良氏)、故足利義氏(3代目足利氏当主)の法華堂造営、初代伊勢氏伊勢俊継は田畠3町3段、初代斯波氏足利家氏は碧海荘の所領を寄進
1257年  足利頼氏(5代目足利氏当主)、一切経蔵の経会料所造営、額田郡阿知波郷(愛知県岡崎市阿知波)の所領を寄進
1284年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、故足利家時(6代目足利氏当主)の如法堂造営
1301年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、大門屋敷を寄進
1330年代 貞円(高師泰・高師直の弟)が大勧進
1380年代 足利義満(3代目足利将軍)、滝山寺の4度目の本堂を建替
1440年  松平和泉守源信光、万松寺を創建


足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表
1358年  伊勢貞継の屋敷で生まれる
1360年  大島義高(新田義高)が三河守護になる(新田義貞→
1362年  天恩寺(愛知県岡崎市)創建、足利尊氏遺言の寺、4代目将軍足利義持の祈願所
1369年  御馬城(愛知県豊川市)築城を管領細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
1370年  甘泉寺(愛知県新城市)創建か?御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進
1379年  伊勢貞継を政所執事に任ずる
1380年代 管領斯波義将が、永源寺(愛知県岡崎市)を創建、これを支持し将軍家安泰を祈願、三河国碧海荘は斯波氏代々の墓所がある所
1388年  富士山遊覧、矢作宿(「愛知県岡崎市)に宿泊
1390年  管領細川頼之が、屋敷跡に蓮性院(愛知県岡崎市)を創建
1391年  伊勢貞行(伊勢貞継の孫)が御料所山中郷の代官に任ずる、法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
1397年  永源寺(愛知県岡崎市)に、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
1399年  管領畠山基国に乙川(愛知県岡崎市)の六名堤造営を命ずる、下流の下和田郷が水不足に陥り、領主京極高詮(侍所頭人、近江守護、佐々木道誉の孫)から苦情が入る
1404年  松平和泉守源信光が生まれる

730 :人間七七四年:2013/02/12(火) 15:13:18.64 ID:B3aoZXa8
松平和泉守源信光(1404〜1488)
・和泉守、左京亮、従五位下
・室は一色氏の娘
・政所執事伊勢氏の被官、京都に出仕
・弟が将軍足利義教の正室(日野裏松家)の被官

万松寺(愛知県岡崎市滝町松谷30) 滝山寺寺領内
1440年、夢のお告げに従い、曹洞宗の僧侶であった龍沢和尚に請願して七堂伽藍様式の寺を創建
本尊の台座に、慈応山万松寺本尊 永享十二年 松平和泉守源信光


滝山寺(愛知県岡崎市滝町山籠107)年表
1140年  藤原季範(源頼朝の祖父)、夫婦(夫人は源行遠の娘)で蓮華寺造営、仏性灯油料として額田郡恵那河内郷(愛知県岡崎市米河内)を寄進
1151年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、滝山寺の2度目の本堂を建替
1159年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、大檀那として滝山寺の四至を定める
1201年  寛伝(源頼朝の従兄弟、藤原範忠の息)頼朝公の3回忌に惣持禅院を創建。本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩
1222年  足利義氏(3代目足利氏当主)、滝山寺の3度目の本堂を建替
1226年  高階惟行(大平惟行)、坂上惟伴と連署で額田郡阿知波郷(愛知県岡崎市阿知波)の田8反を惣持禅院に寄進、惟行は高階惟長(源頼朝家来、三河国菅生郷郷司)の孫
1230年代 藤原俊経(初代伊勢氏・伊勢俊継の父)持仏堂を造営、古市場御油畠(愛知県豊田市古市場)を寄進、弟の相模法橋円辰とその子の大進法眼増恵も滝山寺僧侶
1255年  足利義継(初代奥州吉良氏)、故足利義氏(3代目足利氏当主)の法華堂造営、初代伊勢氏・伊勢俊継は田畠3町3段、初代斯波氏・足利家氏は碧海荘の所領を寄進
1257年  足利頼氏(5代目足利氏当主)、一切経蔵の経会料所造営、額田郡阿知波郷(愛知県岡崎市阿知波)の所領を寄進
1284年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、故足利家時(6代目足利氏当主)の如法堂造営
1301年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、大門屋敷を寄進
1330年代 貞円(高師泰・高師直の弟)が大勧進として僧侶
1380年代 足利義満(3代目足利将軍)、滝山寺の4度目の本堂を建替
1440年  松平和泉守源信光、万松寺を創建


足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表
1358年  伊勢貞継の屋敷で生まれる
1360年  大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
1362年  天恩寺(愛知県岡崎市)創建、足利尊氏遺言の寺、4代目将軍足利義持の祈願所
1369年  御馬城(愛知県豊川市)築城を管領細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
1370年  甘泉寺(愛知県新城市)創建か?御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進
1379年  伊勢貞継を政所執事に任ずる
1380年代 管領斯波義将が、永源寺(愛知県岡崎市)を創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を祈願、三河国碧海郡碧海荘は斯波氏代々の墓所がある所
1388年  富士山遊覧、矢作宿(「愛知県岡崎市)に宿泊
1390年  管領細川頼之が、屋敷跡に蓮性院(愛知県岡崎市)を創建
1391年  伊勢貞行(伊勢貞継の孫)が御料所山中郷の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
1397年  永源寺(愛知県岡崎市)に、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
1399年  管領畠山基国に乙川(愛知県岡崎市)の六名堤造営を命ずる、下流の下和田郷が水不足に陥り、領主京極高詮(侍所頭人、近江守護、佐々木道誉の孫)から苦情が入る
1404年  松平和泉守源信光が生まれる

731 :人間七七四年:2013/02/12(火) 16:11:17.19 ID:B3aoZXa8
足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表

1358年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)の屋敷で生まれる
1360年  大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
1362年  天恩寺(愛知県岡崎市)創建、足利尊氏遺言の寺、4代目将軍足利義持の祈願所
1368年  管領・細川頼之を烏帽子親として元服
1369年  御馬城(愛知県豊川市)築城を管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
1370年  甘泉寺(愛知県新城市)創建か?御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進
1379年  管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)、伊勢貞継を政所執事に任ずる、一色範光を三河守護に任ずる、 中条満秀(義満偏諱、弟も義満偏諱、三河国高橋荘地頭)義満と共に供奉
1380年代 管領斯波義将が、永源寺(愛知県岡崎市)創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を同時に祈願、三河国碧海郡碧海荘は斯波氏代々の墓所がある所
1388年  富士山遊覧、矢作宿(「愛知県岡崎市)に宿泊、 一色詮範を三河守護に任ずる
1390年  管領・細川頼之が、屋敷跡に蓮性院(愛知県岡崎市)を創建
1391年  伊勢貞行(伊勢貞継の孫)が御料所山中郷の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
1392年  細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われた
1394年  出家
1397年  永源寺(愛知県岡崎市)に、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
1399年  管領・畠山基国に乙川(愛知県岡崎市)の六名堤造営を命ずる、下流の下和田郷が水不足に陥り、領主京極高詮(侍所頭人、近江守護、佐々木道誉の孫)から苦情が入る
1404年  松平和泉守源信光が生まれる
1406年  一色満範(義満偏諱)を三河守護に任ずる
1408年  死去

732 :人間七七四年:2013/02/12(火) 17:05:11.22 ID:ejz5lyYO
>>728
今川じゃなくて豊臣の話っぽい気がする

733 :人間七七四年:2013/02/12(火) 17:29:45.75 ID:B3aoZXa8
足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表


1358年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)の屋敷で生まれる
1360年  大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
1368年  管領・細川頼之を烏帽子親として元服
1368年  天恩寺(愛知県岡崎市)創建、永源寺2世弥天永釈開創、足利尊氏遺言の寺、4代目将軍足利義持の祈願所
1369年  御馬城(愛知県豊川市)築城を管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
1370年  甘泉寺(愛知県新城市)創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進
1379年  管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)
1379年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)を政所執事に任ずる
1379年  一色範光を三河守護に任ずる
1379年  中条満秀(義満偏諱、弟も義満偏諱、三河国高橋荘地頭)義満と共に供奉
1380年代 管領・斯波義将が、永源寺(愛知県岡崎市)創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願、三河国碧海郡碧海荘は斯波氏代々の墓所がある所
1382年  源信氏(細川一族か?)義満誕生日祈祷の為、額田郡片寄郷(愛知県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進
1388年  富士山遊覧、矢作宿(愛知県岡崎市)に宿泊
1388年  一色詮範を三河守護に任ずる
1390年  管領・細川頼之が、屋敷跡に蓮性院(愛知県岡崎市)を創建
1391年  伊勢貞行(伊勢貞継の孫)が御料所山中郷の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
1392年  細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
1394年  出家
1397年  永源寺(愛知県岡崎市)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
1399年  管領・畠山基国に乙川(愛知県岡崎市)の六名堤造営を命ずる、下流の下和田郷が水不足に陥り、領主京極高詮(侍所頭人、近江守護、佐々木道誉の孫)から苦情が入る
1399年  高一族菩提の為に建てられた深恩院(総持寺の前身、愛知県岡崎市)へ比志賀郷(高一族の旧領)を寄進する
1404年  松平和泉守源信光が生まれる
1406年  一色満範(義満偏諱)を三河守護に任ずる
1408年  死去

734 :人間七七四年:2013/02/12(火) 17:33:39.53 ID:/fNR1Zax
>日本語でタノム
>>722 は信長と秀吉の現代版話だ。

735 :人間七七四年:2013/02/12(火) 18:03:05.22 ID:B3aoZXa8
足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表


1351年  高師直・高師泰他高一族8人が摂津国武庫川で殺害される
1351年  仁木義長が三河守護になる
1357年頃 明阿(父・高師泰、夫・高師冬(高師直養子)、兄・高師世)が、一族を菩提する為、菅生郷(愛知県岡崎市)に深恩院(総持寺の前身)を創建、住持は兄・高師世の娘
1358年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)の屋敷で生まれる
1360年  大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
1368年  管領・細川頼之を烏帽子親として元服
1368年  天恩寺(愛知県岡崎市)創建、永源寺2世弥天永釈開創、足利尊氏遺言の寺、4代目将軍足利義持の祈願所
1369年  御馬城(愛知県豊川市)築城を管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
1370年  甘泉寺(愛知県新城市)創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進
1379年  管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)
1379年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)を政所執事に任ずる
1379年  一色範光を三河守護に任ずる
1379年  中条満秀(義満偏諱、弟も義満偏諱、三河国高橋荘地頭)義満と共に供奉
1380年代 管領・斯波義将が、永源寺(愛知県岡崎市)創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願、三河国碧海郡碧海荘は斯波氏代々の墓所がある所
1382年  源信氏(細川一族か?)義満誕生日祈祷の為、額田郡片寄郷(愛知県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進
1388年  富士山遊覧、矢作宿(愛知県岡崎市)に宿泊
1388年  一色詮範を三河守護に任ずる
1390年  管領・細川頼之が、屋敷跡に蓮性院(愛知県岡崎市)を創建
1391年  伊勢貞行(伊勢貞継の孫)が御料所山中郷の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
1392年  細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
1394年  出家
1397年  永源寺(愛知県岡崎市)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
1399年  管領・畠山基国に乙川(愛知県岡崎市)の六名堤造営を命ずる、下流の下和田郷が水不足に陥り、領主京極高詮(侍所頭人、近江守護、佐々木道誉の孫)から苦情が入る
1399年  高一族菩提の為に建てられた深恩院(総持寺の前身、愛知県岡崎市)へ比志賀郷(高一族の旧領)を寄進する
1404年  松平和泉守源信光が生まれる
1406年  一色満範(義満偏諱)を三河守護に任ずる
1408年  死去

736 :人間七七四年:2013/02/12(火) 18:28:32.12 ID:B3aoZXa8
足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表


1351年  高師泰・高師直他高一族8人が摂津国武庫川で殺害される
1351年  仁木義長が三河守護になる
1357年頃 明阿(父・高師泰、夫・高師冬(高師直養子))が一族を菩提する為、高氏の本拠であった菅生郷(愛知県岡崎市)に深恩院(総持寺の前身)を創建、住持は兄・高師世の娘
1358年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)の屋敷で生まれる
1360年  大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
1368年  管領・細川頼之を烏帽子親として元服
1368年  天恩寺(愛知県岡崎市)創建、永源寺2世弥天永釈開創、足利尊氏遺言の寺、4代目将軍足利義持の祈願所
1369年  御馬城(愛知県豊川市)築城を管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
1370年  甘泉寺(愛知県新城市)創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進
1379年  管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)
1379年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)を政所執事に任ずる
1379年  一色範光を三河守護に任ずる
1379年  中条満秀(義満偏諱、弟も義満偏諱、三河国高橋荘地頭)義満と共に供奉
1380年代 管領・斯波義将が、永源寺(愛知県岡崎市)創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願、三河国碧海郡碧海荘は斯波氏代々の墓所がある所
1380年代 滝山寺の4度目の本堂を建替
1382年  源信氏(細川一族か?)が義満誕生日祈祷の為、額田郡片寄郷(愛知県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進
1388年  富士山遊覧、矢作宿(愛知県岡崎市)に宿泊
1388年  一色詮範を三河守護に任ずる
1390年  管領・細川頼之が、屋敷跡に蓮性院(愛知県岡崎市)を創建
1391年  伊勢貞行(伊勢貞継の孫)を御料所額田郡山中郷(愛知県岡崎市)の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
1392年  細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
1394年  出家
1397年  永源寺(愛知県岡崎市)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
1399年  管領・畠山基国に乙川(愛知県岡崎市)の六名堤造営を命ずる、下流の下和田郷が水不足に陥り、領主京極高詮(侍所頭人、近江守護、佐々木道誉の孫)から苦情が入る
1399年  高一族菩提の為に建てられた深恩院(総持寺の前身、愛知県岡崎市)へ比志賀郷(高一族の旧領)を寄進する
1404年  松平和泉守源信光が生まれる
1406年  一色満範(義満偏諱)を三河守護に任ずる
1408年  死去

737 :人間七七四年:2013/02/12(火) 22:34:29.70 ID:B3aoZXa8


738 :人間七七四年:2013/02/12(火) 22:37:22.12 ID:B3aoZXa8
松平和泉守源信光(1404〜1488)
・和泉守、左京亮、従五位下
・室は一色氏の娘
・政所執事伊勢氏の被官、京都に出仕
・弟(実の従兄弟)が将軍足利義教の正室(日野裏松家)の被官

万松寺(愛知県岡崎市滝町松谷30) 滝山寺寺領内
1440年、夢のお告げに従い、曹洞宗の僧侶であった龍沢和尚に請願して七堂伽藍様式の寺を創建
本尊の台座に、慈応山万松寺本尊 永享十二年 松平和泉守源信光


滝山寺(愛知県岡崎市滝町山籠107)年表
1140年  藤原季範(源頼朝の祖父)、夫婦(夫人は源行遠の娘)で蓮華寺造営、仏性灯油料として額田郡恵那河内郷(愛知県岡崎市米河内)を寄進
1151年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、滝山寺の2度目の本堂を建替
1159年  藤原範忠(源頼朝の母の兄)、大檀那として滝山寺の四至を定める
1201年  寛伝(源頼朝の従兄弟、藤原範忠の息)頼朝公の3回忌に惣持禅院を創建。本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩
1222年  足利義氏(3代目足利氏当主)、滝山寺の3度目の本堂を建替
1226年  高階惟行(大平惟行)、坂上惟伴と連署で額田郡阿知波郷(愛知県岡崎市阿知波)の田8反を惣持禅院に寄進、惟行は高階惟長(源頼朝家来、三河国菅生郷郷司)の孫
1230年代 藤原俊経(初代伊勢氏・伊勢俊継の父)法名願仏、持仏堂を造営、古市場御油畠(愛知県豊田市古市場)を寄進、弟の相模法橋円辰とその子の大進法眼増恵も滝山寺僧侶
1255年  足利義継(初代奥州吉良氏)、故足利義氏(3代目足利氏当主)の法華堂造営、初代伊勢氏・伊勢俊継は田畠3町3段、初代斯波氏・足利家氏は碧海荘の所領を寄進
1257年  足利頼氏(5代目足利氏当主)、一切経蔵の経会料所造営、額田郡阿知波郷(愛知県岡崎市阿知波)の所領を寄進
1284年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、故足利家時(6代目足利氏当主)の如法堂造営
1301年  足利貞氏(7代目足利氏当主)、正観坊跡大門屋敷大門屋敷(愛知県岡崎市)を寄進
1330年代 貞円(高師泰・高師直の弟)が大勧進として僧侶
1380年代 足利義満(3代目足利将軍)、滝山寺の4度目の本堂を建替
1440年  松平和泉守源信光、万松寺を創建

739 :人間七七四年:2013/02/12(火) 22:47:43.82 ID:B3aoZXa8
足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表


1351年  高師泰・高師直他高一族8人が摂津国武庫川で殺害される
1351年  仁木義長(兄の仁木頼章は幕府執事)が三河守護になる
1357年頃 明阿(父・高師泰、夫・高師冬(高師直養子))が一族を菩提する為、高一族の本拠であった菅生郷(愛知県岡崎市)に深恩院(総持寺の前身)を創建、住持は兄・高師世の娘
1358年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫、烏帽子親は足利貞氏(足利貞氏の父))の屋敷で生まれる
1360年  大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
1368年  管領・細川頼之を烏帽子親として元服
1368年  天恩寺(愛知県岡崎市)創建、永源寺2世弥天永釈開創、足利尊氏遺言の寺、4代目将軍足利義持の祈願所
1369年  御馬城(愛知県豊川市)築城を管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
1370年  甘泉寺(愛知県新城市)創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進
1379年  管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)
1379年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)を政所執事に任ずる
1379年  一色範光(侍所頭人、若狭守護、、尾張国知多郡・海東郡の分郡守護)を三河守護に任ずる
1379年  中条満秀(義満偏諱、弟も義満偏諱、三河国高橋荘地頭)義満と共に供奉
1380年代 管領・斯波義将が、永源寺(愛知県岡崎市)創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願、三河国碧海郡碧海荘は斯波氏代々の墓所がある所
1380年代 滝山寺(愛知県岡崎市)の4度目の本堂を建替
1382年  源信氏(細川一族か?)が義満誕生日祈祷の為、額田郡片寄郷(愛知県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進
1388年  富士山遊覧、矢作宿(愛知県岡崎市)に宿泊
1388年  一色詮範を三河守護に任ずる
1390年  管領・細川頼之が、屋敷跡に蓮性院(愛知県岡崎市)を創建
1391年  伊勢貞行(伊勢貞継の孫)を御料所額田郡山中郷(愛知県岡崎市)の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
1392年  細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
1394年  出家
1397年  永源寺(愛知県岡崎市)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
1399年  管領・畠山基国に乙川(愛知県岡崎市)の六名堤造営を命ずる、下流の下和田郷が水不足に陥り、領主京極高詮(侍所頭人、近江守護、佐々木道誉の孫)から苦情が入る
1399年  高一族菩提の為に建てられた深恩院(総持寺の前身、愛知県岡崎市)へ額田郡比志賀郷(高一族の旧領、愛知県岡崎市)を寄進する
1404年  松平和泉守源信光が生まれる
1406年  一色満範(義満偏諱、若狭守護、丹後守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
1408年  死去

740 :人間七七四年:2013/02/13(水) 12:28:58.88 ID:bpcx9goE
足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表


1351年  高師泰・高師直他高一族8人が摂津国武庫川で殺害される
1351年  仁木義長(兄の仁木頼章は幕府執事(管領の前身))が三河守護になる
1357年頃 明阿(父・高師泰、夫・高師冬(高師直養子))が、高一族の本拠であった菅生郷(愛知県岡崎市)に一族を菩提する深恩院(総持寺の前身)を創建、住持は兄・高師世の娘
1358年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫、烏帽子親は足利貞氏(足利貞氏の父))の屋敷で生まれる
1360年  大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
1368年  管領・細川頼之を烏帽子親として元服
1368年  天恩寺(愛知県岡崎市)創建、永源寺2世弥天永釈開創、足利尊氏遺言の寺、4代目将軍足利義持の祈願所
1369年  御馬城(愛知県豊川市)築城を管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
1370年  甘泉寺(愛知県新城市)創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進
1379年  管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)
1379年  伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫、烏帽子親は足利貞氏(足利貞氏の父))を政所執事に任ずる
1379年  一色範光(侍所頭人、若狭守護、、尾張国知多郡・海東郡の分郡守護)を三河守護に任ずる
1379年  中条満秀(義満偏諱、弟も義満偏諱、三河国高橋荘地頭)義満と共に供奉
1380年代 管領・斯波義将が、永源寺(愛知県岡崎市)創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願、三河国碧海郡碧海荘(愛知県岡崎市)は斯波氏先祖代々の墓所がある所
1380年代 滝山寺(愛知県岡崎市)の4度目の本堂を建替
1382年  源信氏(細川一族か?)が義満誕生日祈祷の為、額田郡片寄郷(愛知県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進
1388年  富士山遊覧、矢作宿(愛知県岡崎市)に宿泊
1388年  一色詮範(侍所頭人、若狭守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
1390年  管領・細川頼之が、屋敷跡に蓮性院(愛知県岡崎市)を創建
1391年  伊勢貞行(伊勢貞継の孫)を御料所額田郡山中郷(愛知県岡崎市)の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
1392年  細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
1394年  出家
1397年  永源寺(愛知県岡崎市)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
1399年  管領・畠山基国に乙川(愛知県岡崎市)の六名堤造営を命ずる、下流の下和田郷が水不足に陥り、領主・京極高詮(侍所頭人、近江他6ヶ国守護)から苦情が入る
1399年  高一族菩提の為に建てられた深恩院(総持寺の前身、愛知県岡崎市)へ額田郡比志賀郷(高一族の旧領、愛知県岡崎市)を寄進する
1404年  松平和泉守源信光が生まれる
1406年  一色満範(義満偏諱、侍所頭人、若狭守護、丹後守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
1408年  死去

741 :人間七七四年:2013/02/13(水) 14:10:37.58 ID:mTfcDwPX
>>718
ウホッな守銭奴
「裏切りイクナイ!」

ラストボス
「主君の家を没落させた挙句、その子供を殺すとは言語道断だぎゃ」

耳たぶが長い中国人
「人を裏切った挙句、他所の領土も強引に奪い、家系図まで改竄するとは、なんという悪人じゃ。
そのような人間が小説の主人公に選ばれるとは、やはり倭人とは蛮人よの」

742 :人間七七四年:2013/02/13(水) 21:43:11.65 ID:qQR7EQwP
>>732
豊臣氏の名代として上杉を討ちに行ったら、石田も挙兵した。
家康の強制ではなく、諸将の方から「豊臣氏の為に」という事で自発的に家康に従って石田方を破った。
戦後の論功行賞も豊臣氏公認として行った。
ここまでは不義理ではなく、むしろ義理は果たしているはず。

慶長5年、長年関白不在だったので五摂家・九条兼孝を関白に推戴し、就任させた。
7歳の秀頼に関白は無理だし、これ以上関白不在を長引かせる訳にも行かない。

朝廷から征夷大将軍に任命された。
これは別に豊臣氏にお伺いを立てる必要も、就任を断る理由もない。
武家としては立場上、徳川氏>豊臣氏となった。
朝廷の官位も家康>秀頼になっている。

秀吉に対しては官職の上下で従っていただけで、武家としての主従ではない。
秀頼に対しては家康の方が官位も上だし、武家としても命令できる立場にある訳で。

743 :人間七七四年:2013/02/13(水) 22:31:59.75 ID:G8SyQPkr
この手の反論が返ってくるのもあきたな
あらしがわくのもわかるなあ

744 :人間七七四年:2013/02/14(木) 07:39:26.29 ID:WC/L/AsV
まあ司馬史観、徳川史観、皇国史観は史実を正しく見ようとするのを妨げるからな

745 :人間七七四年:2013/02/14(木) 09:08:05.00 ID:dbKnhLbq
>>742
ちゃんと秀吉と秀頼に臣従し忠誠を誓う誓紙を出しているのにそんな理屈は通用しない
そんな屁理屈が通用するならこの世に裏切り者も不忠者も一人もいない事になるわ

746 :人間七七四年:2013/02/14(木) 09:40:16.13 ID:WPYqEyQM
武家関白制というのが、よく分からんのだが、諸侯が関白の家礼になってると考えるべきなのか?

747 :人間七七四年:2013/02/14(木) 09:47:38.53 ID:KTRqB4ae
>>745
豊臣政権がしっかりしているという前提あってのものかと

748 :人間七七四年:2013/02/14(木) 09:49:02.17 ID:KTRqB4ae
>>744
徳川史観より山岡史観と云うべきかと

749 :人間七七四年:2013/02/14(木) 09:57:22.22 ID:I2R0rnbJ
当主が幼少だったから簒奪された。ただそれだけだな。

750 :人間七七四年:2013/02/14(木) 11:10:03.00 ID:pGm9sy58
サルが秀次自爆したから空気読んだだけじゃね?w

751 :人間七七四年:2013/02/14(木) 13:04:29.17 ID:62xjH+B3
>>749
織田家と同じ。
猿が、朝廷の権威を利用して、織田家家臣の立場を脱して天下人になったのと同じことを、家康は将軍になってやっただけ。

752 :人間七七四年:2013/02/14(木) 13:55:37.14 ID:54W3CgMe
>>750
むしろ自爆しなかったから家康も苦労した
普通は放置したまま死んで御家騒動で潰れるパターンなのに、秀吉は徹底的に御家騒動の芽を摘んで死んだ
官職や知行の乱発、無理な海外出兵など失政の多かった晩年の中で
秀次事件は評価できる点だろう

753 :人間七七四年:2013/02/14(木) 14:11:51.00 ID:g+mnjIBP
秀次の粛清(本人と男子)はいいが、妻妾、女子を河原で惨殺するのは、良くないだろう。

754 :人間七七四年:2013/02/14(木) 14:13:25.41 ID:2yy8nkX4
>>745
バカかお前。
征夷大将軍拝命までは秀頼に形式上臣従してた。
朝廷は家康を武家の棟梁と認め、家康に刃向かう勢力を討伐する権限を与えた訳だ。
その時点で、そんなもん死文化されてんだよ。
個人と個人の文書より国家制度である朝廷の役職・権限の方が優先されるに決まっているだろう。
>>746
違う。
秀吉は最初、藤原氏(近衛氏)の猶子になって関白になろうとした。
しかし、それでは余りにも体面が悪いので「豊臣朝臣」という新姓を賜った上での公家関白の一人なんだよ。
徳川家康が源朝臣家康と公式な場・文書で名乗るのと同じ。

755 :人間七七四年:2013/02/14(木) 15:15:46.59 ID:9orClnD1
>>752
秀次事件は、政権運営に大名を巻き込むことになった画期だったからな
豊臣政権の存続と言う点では致命傷だと思う。

756 :人間七七四年:2013/02/14(木) 16:14:45.13 ID:cAnRNfJ+
秀次事件で豊臣を見限った大名は最上義光と藤堂高虎以外にもたくさんいたんだろうな。行動を起こさなかっただけで。

757 :人間七七四年:2013/02/14(木) 16:31:39.62 ID:4Jke0KCb
>>752
秀頼派・秀次派に分かれたとしたら両方倒さないと完全に徳川の時代にはならない
秀吉が秀次派を粛清しておいてくれたので、秀頼派を倒すだけで済んだともいえる

758 :人間七七四年:2013/02/14(木) 16:40:46.53 ID:MxNAfLHJ
豊臣崩壊の原因は武功派連中が利にばかり目がくらんで家康に篭絡された奸臣ばかりだった事。
三成は豊臣蔵入り地を維持・増加し大名の領地やら削ったり諸大名同士が接触したりするのを一貫して
反対してきた豊臣の忠義の武将だが豊臣の事ではなく自分の権益領土ばかりに執着する馬鹿な武功派連中が
三成を執拗に追い落とそうとしたせいで豊臣家は崩壊
大阪の陣でも秀頼を見捨て後に改易された馬鹿ども。

759 :人間七七四年:2013/02/14(木) 17:03:30.53 ID:TY3lp1Pj
信長秀吉の話は他所でやれ
万年パシリの尾張猿は絡み付くなよ

760 :人間七七四年:2013/02/14(木) 17:07:29.33 ID:9orClnD1
>>758
武功派vs吏僚派とか豊臣恩顧を狙っての改易とか
古典的にも程があるだろw

761 :人間七七四年:2013/02/14(木) 17:13:04.40 ID:MxNAfLHJ
>>760
でも武功派の馬鹿な連中は三成を狙って暗殺しようとしたり
家康が私婚禁止を破って行ったのを弾劾した三成ら吏僚派から守るため
伏見付近に大集合して実力で豊臣の訴追から排除して奉行衆を謝罪させたり
執拗に追い落とそうとしたり関が原でもやる気まんまんで先陣で突撃したり美濃攻撃したりしてるし

762 :人間七七四年:2013/02/14(木) 17:43:07.05 ID:KTRqB4ae
>>758
正義を行えば世界の半分を怒らせる

三成、引いては豊臣政権が正義と信じていたのは
当時でも少数派だとは思うがな

763 :人間七七四年:2013/02/14(木) 18:17:34.12 ID:9orClnD1
>>761
七将による襲撃は蔚山問題のこじれ。三成の暗殺などは目当てではなく
長盛も襲撃の対象になってる。

家康私婚問題の時に、利家と家康の元に大名が軍勢を集めて対立したと
いうのは講談や軍記もの創作で史実ではない。

関ヶ原の時点では完全に敵対してるんだから、先陣切るのは当然だな。
むしろ三成相手に手加減する根拠がない。

764 :人間七七四年:2013/02/14(木) 18:54:44.84 ID:4Jke0KCb
関ヶ原前の家康の立場は目茶目茶苦しかったし、実際小早川の裏切りで辛うじて勝ったようなものだから、
武断派の諸将が利に目がくらんだとか家康に篭絡されたということはありえない
彼らの多くが西軍に就けば家康を倒せるのは自明だから

そうではなく秀吉の後継としての三成を否定して、
まだ家康のほうがましだから支持するという意志の表明だろう

765 :人間七七四年:2013/02/14(木) 19:06:41.24 ID:MxNAfLHJ
武功派の馬鹿共は蔚山問題で三成にたてついたり暗殺しようとしたり
私婚問題でも家康を弾劾しないどころか家康を軍団で保護するめちゃくちゃな奸臣。
こんな馬鹿がいる家ではどこの大名でも滅ぶ。
あと関が原では秀秋の離反前から押しまくってたと島津の記録にはある。

766 :人間七七四年:2013/02/14(木) 20:18:57.17 ID:KTRqB4ae
>>765
西軍にも関わらず生き残った島津家の言い分だよ
話半分でもまだ足りない

767 :人間七七四年:2013/02/14(木) 22:36:07.39 ID:hs0dH5P9
てか秀次が粛清されて無かったら
豊臣家のお家騒動なんて起きなく無いか?

幼児相手に成人が負けた事例なんてあるのか?
世継ぎを無理やり粛清とか、秀吉以外誰か賛成してたのか?w

768 :人間七七四年:2013/02/14(木) 22:39:06.63 ID:MxNAfLHJ
信長の美濃侵攻は幼君相手に負けまくったな
幼児ではないが

769 :人間七七四年:2013/02/14(木) 22:49:23.42 ID:TY3lp1Pj
みゃ〜みゃ〜煩い尾張猿
出ていけ、万年パシリの田吾作

770 :人間七七四年:2013/02/15(金) 10:02:36.29 ID:TIKvAwby
>>768
相続時に数えで14だから若年ではあるけど幼年と言うほどでは無いね

771 :人間七七四年:2013/02/15(金) 10:49:57.24 ID:2rjTau0y
>>758
三成本人の性格や能力には何も文句は言わないが、豊臣への忠義ってのだけが一番理解できないな。
唐入り前の秀吉なら忠誠を尽くすかもしれんが、
その後の豊臣の為に犠牲になったものがあまりにも大きすぎるんだよ。
正直、もう付いて行けんよ。前野長康のようになりたくないしな。
自分だったら、大谷吉継のように家康に接近するな。

772 :人間七七四年:2013/02/15(金) 12:29:02.81 ID:Pd5+14BM
>>770
義龍が死んだのは龍興12の時だろ
龍興12歳1561年5月義龍の死去を聞いて急いで出陣するも敗走。さらに続けて墨俣攻防で信清の弟討死。
龍興14歳1563年新加納を進撃してきた信長を撃退。
龍興15歳1564年稲葉山を安藤と竹中に占領される。
龍興16歳1565年9月龍興三千で信長を直接討ちにきたら加治田を見捨てて信長逃亡。
龍興17歳1566年4月各務野へ信長がやってきたので龍興も新加納に出て決戦の姿勢を見せたら信長逃亡。

773 :人間七七四年:2013/02/15(金) 12:30:59.50 ID:HqcbXK2J
えーか、尾張猿は出ていけよ

774 :↑名古屋の叔父そっくりな口調:2013/02/15(金) 12:44:57.87 ID:/L9PxkTS
ところがそれが元ネタ通りの内紛に成ると、
あっさり居城とられてるよなwww

775 :人間七七四年:2013/02/15(金) 14:47:18.18 ID:V1UjWa5D
>>771
秀吉の手足となって秀吉の政策を進めてきた三成
突然、頭がなくなって梯子を外されたらどうするか?

節操のなさは問わないとしても、家康に近づけば武断派の連中に徹底的にいじめられるなw

776 :人間七七四年:2013/02/15(金) 16:58:55.64 ID:MJv+KRPW
>>772
最初の頃の信長は今川など他にも敵を抱えた状況
さらに勝ち戦を抜いた羅列じゃないかそれ

777 :人間七七四年:2013/02/15(金) 17:41:44.68 ID:Pd5+14BM
義龍在世中の斎藤は浅井と戦っていて、
六角義治が斎藤と協調しようとするのを、
土岐氏に配慮する六角義賢が、
同盟不成立にさせたりと西側が不安定だったから、
斎藤は南下なんて考えてない。
義龍は信長同様に内政や国内整備や宗教統治政策をまったくやらずに放置した道三の悪政から、
改革を押し進めていたから、
尾張を内乱状態にさせて信長を封じつつ、
宗教統制を改革中に急死。

778 :人間七七四年:2013/02/16(土) 07:21:07.90 ID:xxfBOTXE
>>771
いや、そもそも豊臣への忠義なんてものが
三成にあったかどうかは疑問が残るんじゃないかな。

建前はともかく、自身が公儀を掌握する為に豊臣政権の
枠組みとか壊して無茶苦茶してるし

779 :人間七七四年:2013/02/16(土) 10:36:45.51 ID:9tIbgLs6
三成は他大名の領地問題やら家康の専横に対して一貫して豊臣蔵入り地維持or増加&徳川派閥拡大阻止&他大名の倉入り地削減など
豊臣のために動きまくってるが
武功派連中は好き嫌いで三成を敵と見定め、家康にまんまと利用された上に秀頼成人後も豊臣を見事見捨てて徳川の犬になりさがっている

780 :人間七七四年:2013/02/16(土) 10:37:43.67 ID:9tIbgLs6
東軍には三成憎しの武功派と家康が外交や婚姻で懐柔した伊達・蜂須賀などが付いたのに対して
西軍には上杉・毛利・宇喜多や5奉行のほかの連中・さらに畿内・西国の諸将が多く付いている
三成襲撃事件後三成が失脚し、家康は「天下殿」という世評を受け、
その後に暗殺計画の企て摘発により前田利長・浅野・細川を屈服させ相当な権力を確立したと思われた後ですら
これだけ多くの味方が三成には付いたという事は諸侯は内心では家康のやり方は無茶苦茶で豊臣政権をあからさまに犯すやり方をしてると考えた証拠だろう
実際三成は蔚山城攻防での論考交渉の際や島津家倉入り地加増問題など
一貫して豊臣の倉入り地の維持・諸大名の倉入り地や石高増加反対や家康と諸大名との会合を糾問したりと
豊臣家のために動いているのに対し家康は五大老の許可なく私婚で諸大名取り込んだり島津の倉いり地問題や庄内の乱の協力などで積極的に
諸大名を取り込み豊臣家のためなどではなく自勢力拡大・専横を行っているのは明らかで
その証拠に三成襲撃事件後三成が失脚し、家康は「天下殿」という世評を受け、
その後に暗殺計画の企て摘発により前田利長・浅野・細川を屈服させ相当な権力を確立したと思われた後ですら
これだけ多くの味方が三成には付いている
むしろ東軍についた諸大名の方が三成憎しの個人的感情やらで凝り固まっているにすぎずまとまっていたとする根拠がない
西軍の敗因はあくまで毛利家の美濃口への援軍要請無視・優先順位低く要害の構えられた伊勢方面軍編成による戦力分散
・毛利一族が総大将にかかわらず不戦・毛利輝元出陣なし・小早川の離反と
毛利のあまりのヘタレぶりで負けただけにすぎない

781 :人間七七四年:2013/02/16(土) 10:38:25.57 ID:9tIbgLs6
大義名分なんて家康側にははなからなさすぎる
禁止された私婚をどうどうと執り行うどころかそれに対する大老連署での詰問に対し軍事力行使で奉行衆を逆に謝らせ
この後前田利家など大老、奉行衆と家康との確執はぬきがたくなり細川忠興はそれを仲介する
家康の暗殺計画が奉行衆らによって企てられ家康は向島に城を移す
利家が死亡し、今度は武功派7将によって三成襲撃計画が起こり、家康は公儀にのっとり武力行使をやめさせる
石田三成襲撃事件本質が蔚山篭城戦をめぐるものであるとわかる(3/19 5大老連署状)
この問題の解決により家康は「天下殿」という世評を受ける(多聞院日記)
そのような中9月に大阪へ家康が赴いた際、暗殺計画があることを増田より告げられる。前田・浅野・大野らが首謀
この一件より家康は伏見より大阪西の丸へ移り天守閣を築造して、自らが秀頼と並び立つ立場であると天下に誇示する
家康は先の暗殺計画の謀議者の摘発に乗り出し土方・大野を配流処分とし
浅野は奉行職を解任し国許へ蟄居とする
また加賀前田家や細川忠興にも追求の手を伸ばし利長の挙兵反乱の疑いを詰問し
10/3西の丸に諸将を収集し北陸討伐令を出す。細川は家康へ恭順の意を示し家康に誓詞を出しさらにその三男忠利を江戸に送り人質とする
前田は弁明するが母芳春院を江戸に送る事を求められる
このように家康は自分のやる事は詰問されても自力で排除し奉行衆を屈服させようとし
他者の行いは徹底的に詰問して敵対勢力を一つ一つ潰すやり方で無理矢理豊臣家を崩壊させた張本人
豊臣が滅ばないためには家康に大封与えない事が一番
秀吉に恭順した時点でもってた三河遠州駿河信濃佐久諏訪伊那と甲斐の100万石程度にとどめるか
信濃3郡と甲斐を無理矢理没収するのが一番手っ取り早い解決方法
島津など他大名にも接触しまくり恩を売りまくり
はっきりいって徳川方には大儀名分も糞もあったものじゃなく
無理やり無茶苦茶なやり方で豊臣家を崩壊させたにすぎん

782 :人間七七四年:2013/02/16(土) 11:17:15.71 ID:0bdc0o/Q
秀吉独裁が前提の豊臣政権を運営するには家康が同じ立場に就く必要がある

783 :人間七七四年:2013/02/16(土) 13:35:28.67 ID:lv610PgM
家康を、内大臣、五大老筆頭にし、秀頼と千姫の婚約を決めたのは、ほかならぬ秀吉。
秀吉の死亡時に、政権を担える存在が家康しかいなかったということだろう。

784 :人間七七四年:2013/02/16(土) 15:39:07.75 ID:B7WR8Ce1
>>780-781
スクロールの関係で数行しか読んでないから
5行でまとめて欲しいが
超絶主筋を蹴落とした成上がりの兄弟サルと
同じ様な事しただけだけどなw

785 :人間七七四年:2013/02/16(土) 15:51:49.85 ID:MuIMlCFX
>>780-781
秀吉が一旦天下を統一してしまったから、
無理やりにでもそれを潰すしかなかったのはその通り

仙台藩百姓亡き後、がんばってこのスレを盛り上げてねw

786 :人間七七四年:2013/02/16(土) 17:39:43.92 ID:z4cjBfiV
さて、万年不況、万年パシリ、尾張の田舎猿
さっさと尾張名古屋共和国(笑)で独立しろよ
ノロノロするな


ご自慢の金のシャチホコ(笑)は、常にトゥルントゥルンにしておけ

みゃ〜みゃ〜無駄口叩かず、全身全霊感謝の気持ちを込めて、シッカリ磨けよ

787 :人間七七四年:2013/02/16(土) 21:58:46.29 ID:X5rIiXHy
>仙台藩百姓亡き後、がんばってこのスレを盛り上げてねw
俺も期待してるぞ>>780-781

788 :人間七七四年:2013/02/17(日) 04:01:05.48 ID:kEqzQPDc
三成憎し。豊臣家のため。
古典文学的でいいよね。ロマンがある。

789 :人間七七四年:2013/02/17(日) 08:20:28.91 ID:0WYQ2YLP
秀吉は織田家を滅ぼしていないけど、家康は豊臣家を滅ぼした。

よって家康は悪。

790 :人間七七四年:2013/02/17(日) 08:42:26.51 ID:oPjBGjvA
見なさい
これが善悪史観です

791 :人間七七四年:2013/02/17(日) 09:28:30.38 ID:LxtLiJ4M
あからさまな釣りにひっかかるのは善悪を超えてあほ

792 :人間七七四年:2013/02/17(日) 10:02:50.93 ID:P1ut4JZ+
敢えて書くなら、織田氏の嫡流(信忠)を滅ぼしたのは光秀。
信忠の嫡子は未定だったが、家臣達の妥協案で側室腹の三法師が後継となった。
そんな経緯で当主になった幼君には誰も家臣は付いて来ず、
他の傍流で危険な奴は秀吉に処分され、秀吉の脅威にならない奴は残った。

豊臣氏の嫡流(秀頼、国松?)を滅ぼしたのは家康。
ただ、家康も将軍就任後〜二条城会見までは豊臣との共存を図っていた。
家康が死ぬまで豊臣は大人しくしておくべきだったな。
豊臣氏の傍流(秀次と秀保)を滅ぼしたのは、秀吉。
秀次が処分しなければ豊臣政権は続いてただろうし、秀次が死んでも
秀保(本当に病死かもしれんが)を処分しなければ徳川政権でも傍流は一大名として残れたかもしれない。
縁戚の木下氏は残ってるし。
秀吉自身が豊臣家の土台を崩してしまったようなもんだな。

793 :人間七七四年:2013/02/17(日) 11:58:29.40 ID:SQqLZsk+
さて、万年不況、万年パシリ、名古屋の田舎猿
さっさと尾張名古屋共和国(笑)で独立しろよ
ノロノロするな


ご自慢の金のシャチホコ(笑)は、常にトゥルントゥルンにしておけ

みゃ〜みゃ〜無駄口叩かず、全身全霊感謝の気持ちを込めて、シッカリ磨けよ

794 :人間七七四年:2013/02/17(日) 15:40:27.30 ID:04/yDBxd
逆に豊臣潰さなかったら、天下泰平は無かったよな。

国民の9割は徳川支持だわw

795 :人間七七四年:2013/02/18(月) 01:30:13.95 ID:pSZs23r9
いや、泰平だったし
庶民にしてみれば誰が天下人になろうと大差ない
家康の野心で余計な戦起こされて大迷惑

796 :人間七七四年:2013/02/18(月) 03:16:38.21 ID:NqY+osY0
だから客観的に見て家康が野心を持っている限り泰平とはいえないということだ

797 :人間七七四年:2013/02/18(月) 04:12:55.46 ID:3BdDvOHl
せやな、豊臣にはもう力が無かったからねぇ

798 :人間七七四年:2013/02/18(月) 06:10:13.71 ID:fco8Fw2w
>>795
こういうバカって、原爆無くて降参する勇気湧かないほうが
良かったとか言い出すんだろうな(;¬_¬)
今ごろお前の生活保護費が出ないほど貧困国だったのにwww

799 :人間七七四年:2013/02/18(月) 11:42:42.96 ID:eWF9Voca
>>795
た…泰平・・・???

■豊臣姓下賜以後の歩み
天正13年 紀州征伐、四国征伐、越中征伐
天正14年 紀伊国一揆
天正14年〜15年 九州征伐
天正15年 肥後国人一揆
天正18年 小田原征伐、奥州仕置、葛西大崎一揆、和賀・稗貫一揆、仙北一揆
天正19年 九戸政実の乱
天正20年(文禄元年)〜 慶長3年 文禄・慶長の役

800 :人間七七四年:2013/02/18(月) 12:04:05.26 ID:eX5DgbYk
コピペかと思ったけど、
さすがに単発一揆まで入れるのは卑怯だろw

801 :人間七七四年:2013/02/18(月) 12:40:07.39 ID:MMm8AWLu
>>800
リストには単発の一揆はひとつも無いぞ。
征伐後の歪みが招いたものばかりだ。

802 :人間七七四年:2013/02/18(月) 13:11:23.94 ID:eX5DgbYk
残党の戦いなのになんで一揆なの?

803 :人間七七四年:2013/02/18(月) 13:31:52.73 ID:QEVRWymS
お前大丈夫か?

804 :人間七七四年:2013/02/18(月) 14:01:41.88 ID:MMm8AWLu
一揆が何か判ってないんじゃ・・・

805 :人間七七四年:2013/02/18(月) 18:19:46.77 ID:NqY+osY0
ていうか泰平は秀吉の天下統一後の話だろ
家康が自分を犠牲にして豊臣を支えれば別だが、
そこまでする義理はないし、統治者として自分のほうが優れていると信じていたので無理

806 :人間七七四年:2013/02/18(月) 18:57:44.20 ID:byZyNTa4
秀吉の天下統一後って・・・血みどろの唐入りなんだけど

807 :人間七七四年:2013/02/18(月) 20:51:53.76 ID:Rt4yoekr
天下統一後の国内でも
秀次一族と功臣達の大虐殺があったしな

808 :人間七七四年:2013/02/19(火) 04:01:16.44 ID:zf7uLHpE
藤木史観ってかいまだに飢饉一覧出して
日本がいかに悲惨な国かを主張するせんせって
いるんだよね。
同じように部分だけ取り出して自分理論を
述べまくるのも多いからなぁ。

809 :人間七七四年:2013/02/19(火) 06:36:16.57 ID:UCrLU+aF
泰平くんはそろそろ現実を見た方が良いな

810 :人間七七四年:2013/02/19(火) 14:29:37.24 ID:B3vyhNG8
>>778
一応西軍の総大将は毛利輝元だけどさ……、
ドラマや小説とかで、三成が家康や利家とか大大名と同列扱いになっていて、
「三成こそ秀吉の意志を引き継ぐ者」みたいになっちゃってるのには疑問があるな。
他の大大名や秀吉の縁戚を押し退けるのはちょっと突っ走りすぎじゃないかとか、
なんでそのエネルギーを秀吉が自ら滅亡フラグを立てるときに使わんのだとか。
豊臣への忠義以外にも、なにか守りたいものがあったんじゃないかとか思うな。
真偽はタイムマシンで確認するしかないけどさ。

811 :人間七七四年:2013/02/19(火) 15:57:17.59 ID:3nifdYVc
そういう話だと、秀吉縁戚で最大なるものは家康だし
遺言で政治を託されたのも家康だからねぇ

812 :人間七七四年:2013/02/21(木) 07:05:03.16 ID:9xq63c3j
>>810
たぶん石田は自分が場の中心になれないと気が済まないタイプなんだよ。
お前さんの周りにもそういうの居ただろ?
「うぜー、出てくんなカス」と思っていても、実力者の威があるので黙っていたけど
その実力者が死んだから襲撃事件が起きた、と。
で、自分が嫌われてるのを自覚してるから今度は毛利を立てておいて
政権の実権は俺が握る。って感じだったんじゃないのか。

損得利害を度外視してでも●したくなるような大嫌いな相手がいて、発作的に挙兵してしまった
って可能性もあるけど、石田はそういうキレ方をするタイプではないと思う。
実際に●すかどうかは別として。

813 :人間七七四年:2013/02/21(木) 07:11:51.95 ID:eqDDpVrm
三成は上杉が潰されたら復権の目が無くなるから挙兵しただけだろろ

814 :人間七七四年:2013/02/21(木) 07:14:51.28 ID:9xq63c3j
自分が場の中心になれないと気が済まないタイプ
ってのは、大抵は「組織を良くする」ことよりも「組織内で自分の力を伸ばす」のを優先するから。

それ言い出したら家康も秀吉死後〜関が原まで同じような事してたけど
三成が家康より良い政権運営、良い国家運営してくれるとは到底思えないから
まぁ家康が勝って良かったんだろうなと。

815 :人間七七四年:2013/02/21(木) 07:23:21.13 ID:9xq63c3j
>>813
だろうね。
石田の場合、「豊臣家の為」ではなく「自分の復権の為」というのが大きいように見える。
上杉は秀吉に取り立てられた大名でもないし。

少なくとも、吉川や東軍の諸将、細川・京極あたりの地理的に西軍に付いてもおかしくないのに
東軍に付いた人達には、そう見えたんだろう。
島津・長宗我部も最初は徳川に付きたかったらしいし。
小山にいた人達は否が応でも東軍参加は実質的に半強制だったろうけど。

816 :人間七七四年:2013/02/21(木) 08:34:37.59 ID:eqDDpVrm
>>815
細川は江戸に人質も送ってるし、西軍の挙兵時点でターゲットに
されてるから無理だろう。

吉川広家は、東軍と繋ぎをとりつつ、情勢に応じて毛利の利益に
なるよう動いてるだけだな。決起から敗亡に至るまでの書状では
家康の表記が「内府→家康→内府」と揺れてるのが特徴的。

817 :人間七七四年:2013/02/21(木) 09:35:08.12 ID:j8hML5oy
細川は、秀次事件のときに家康に世話になってるから、家康に付くだろうう。
それに、あそこの家は、時の流れを読むのに敏感だ。
義昭、光秀を捨てて、信長、秀吉に付いている。

818 :人間七七四年:2013/02/21(木) 13:22:23.27 ID:FkALWTwt
毛利の利益とか西軍の総大将として家康軍を総軍で攻めて瞬殺するのが一番利益になるだろ
広家みたいなどっちつかずの日和見が一番不利益
仮にも総大将なんだから西軍として最も巨大な軍団もつ毛利家を関が原で何もせず崩壊させただけだし
そのせいで大厳封くらうとか情けなさ過ぎる

819 :人間七七四年:2013/02/21(木) 13:39:06.59 ID:Ekw1Flg6
そもそも毛利が関ヶ原で巨大な軍団を動員できていたのかが大いに疑問。

元々、文禄・慶長の役でも3万の軍役を満たせてなかったし、九州や四国に
ちょっかいかけてた事を考えると果たしてどの程度の動員が出来ていたのやら

820 :人間七七四年:2013/02/22(金) 10:22:30.81 ID:ZDa+osXO
毛利は総大将軍なのだから三成に命令されるいわれはないし
むしろ本来なら三成が毛利の命令に従わなければいけないはずだが
三成は兵を集める時だけ平身低頭でその後は大将気取りで好き勝手始めたからね
大垣を放棄して関ヶ原で戦うのだって三成が勝手に決めたことで毛利の許可など取っていない
広家の独断内通ばかり言われるが現地の毛利軍自体に三成に対する強烈な不信感があったのは間違いない
やる気満々の毛利軍を広家一人で半日ずっと足止めするという話には普通に考えて無理があるし
関ヶ原の毛利軍そのものにやる気がなかったと考えるのが自然だろう

821 :人間七七四年:2013/02/22(金) 12:38:45.87 ID:igcopKmO
三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

822 :人間七七四年:2013/02/22(金) 12:40:53.60 ID:igcopKmO
マイナスするならそいつらより輝元だろ(すでに低い評価だが)
輝元なんてあんだけ圧倒的大軍と総大将の肩書きがありながら何もできず大厳封食らって
吉川小早川断絶とか情けなさ過ぎる
輝元の場合対宇喜多や南条の攻防も雑魚だから低評価するには申し分ない実績

関が原をおこしてしまった時点で西軍の負けは確定しているように語り結果三成は無能とののしるやからがいるが
それはあくまで結果論としかいいようがない
関が原会戦時の三成人数書立や慶長見聞集、真田文書を見ると西軍は畿内だけで18万も集まり
小早川や朽木らの離反を差しいても単純に東軍の兵力を圧倒している
これでは兵力的に考えても陣地でも東軍を粉砕する兵力として十分すぎる
負けたのは総大将であり戦局を決定できる大軍を有しながら大坂に居座り何もせず改易された輝元や
軍勢派遣を止めたとされる吉川や秀元ら毛利一族のせいとしかいいようがない

東軍には三成憎しの武功派と家康が外交や婚姻で懐柔した伊達・蜂須賀などが付いたのに対して
西軍には上杉・毛利・宇喜多や5奉行のほかの連中・さらに畿内・西国の諸将が多く付いている
三成襲撃事件後三成が失脚し、家康は「天下殿」という世評を受け、
その後に暗殺計画の企て摘発により前田利長・浅野・細川を屈服させ相当な権力を確立したと思われた後ですら
これだけ多くの味方が三成には付いたという事は諸侯は内心では家康のやり方は無茶苦茶で豊臣政権をあからさまに犯すやり方をしてると考えた証拠だろう
ただ総大将としての三成の地位は家康に対抗できるものでなく、毛利輝元も総大将引き受けながら何もせず大厳封食らうヘタレぶりで
西軍は木っ端微塵になった。
東軍には三成憎しの武功派と家康が外交や婚姻で懐柔した伊達・蜂須賀などが付いたのに対して
西軍には上杉・毛利・宇喜多や5奉行のほかの連中・さらに畿内・西国の諸将が多く付いている
三成襲撃事件後三成が失脚し、家康は「天下殿」という世評を受け、
その後に暗殺計画の企て摘発により前田利長・浅野・細川を屈服させ相当な権力を確立したと思われた後ですら
これだけ多くの味方が三成には付いたという事は諸侯は内心では家康のやり方は無茶苦茶で豊臣政権をあからさまに犯すやり方をしてると考えた証拠だろう
実際三成は蔚山城攻防での論考交渉の際や島津家倉入り地加増問題など
一貫して豊臣の倉入り地の維持・諸大名の倉入り地や石高増加反対や家康と諸大名との会合を糾問したりと
豊臣家のために動いているのに対し家康は五大老の許可なく私婚で諸大名取り込んだり島津の倉いり地問題や庄内の乱の協力などで積極的に
諸大名を取り込み豊臣家のためなどではなく自勢力拡大・専横を行っているのは明らかで
その証拠に三成襲撃事件後三成が失脚し、家康は「天下殿」という世評を受け、
その後に暗殺計画の企て摘発により前田利長・浅野・細川を屈服させ相当な権力を確立したと思われた後ですら
これだけ多くの味方が三成には付いている
むしろ東軍についた諸大名の方が三成憎しの個人的感情やらで凝り固まっているにすぎずまとまっていたとする根拠がない
西軍の敗因はあくまで毛利家の美濃口への援軍要請無視・優先順位低く要害の構えられた伊勢方面軍編成による戦力分散
・毛利一族が総大将にかかわらず不戦・毛利輝元出陣なし・小早川の離反と
毛利のあまりのヘタレぶりで負けただけにすぎない

823 :人間七七四年:2013/02/22(金) 12:42:18.58 ID:igcopKmO
正則の弟の福島高晴が長島へ籠城してる中で西軍の毛利軍は鍋島隊を長島への備えに配置して攻めずに関が原へ急行してる。
関が原を無視して、長島城を落として尾張国に雪崩れ込み背後を襲う戦略をつかわなかったのは
それだけ長島城が堅固だったと言うことだろうけどそもそもなら、なんで伊勢攻略軍なんて編成したんだよって話だよな。
素直に、岐阜城を策源地に尾張に攻め込んでれば良かったじゃんwってもんで。
やっぱり毛利ってのは戦略眼がまるで無い。

>>大垣を放棄して関ヶ原で戦うのだって三成が勝手に決めたことで毛利の許可など取っていない

その関が原でどうして戦う事になったのか考えてみろよ
東軍が尾張口に来たときに輝元が散々美濃口の防衛要請無視したり大垣篭城組の後詰要請無視して
伊勢湾だの四国だのどうでもいいところに兵チラシまくった結果だろうが
大体石田なんて大きな軍団持ってないしほとんど毛利一族のどうこうで決まるたたかいじゃねぇか
持ってた地位と軍団の規模無視して無理矢理捏造擁護で輝元擁護してんじゃねぇよクズ

824 :人間七七四年:2013/02/22(金) 13:17:53.18 ID:cs0wlrF5
だがはスルーで

825 :人間七七四年:2013/02/22(金) 13:56:45.76 ID:0ruliLgv
過疎って無きゃ10行以上普通読まないからw

826 :人間七七四年:2013/02/22(金) 14:03:05.95 ID:CPcCunm1
>>821
同意
西軍敗北の責任は90%輝元にあると思う
総大将であり最も中核的大軍を動かせる立場にありながら
伊勢湾やら四国やらどうでもいい所に軍送りまくって
奉行衆らの援軍要請無視し続けたあげく美濃口の突破を許し
本戦でも戦局決定できる圧倒的大軍持ちながら何もせず西軍は大敗する要因つくり大厳封

はっきり言って総大将がここまでクズだとどんな武将や大軍でも勝ちようがない

827 :人間七七四年:2013/02/22(金) 17:00:01.26 ID:uSsVpLhu
よく知らないが関が原の戦闘自体は
短時間というわりに西軍にも裏切りとかなければ
十分勝機があったんじゃないの?
配置は西軍有利だったとかいうし
それで負けてるんだからかえって情けない
というのかもしれないが。

828 :人間七七四年:2013/02/22(金) 17:54:53.83 ID:KVpNq6KE
一般的に描かれる関ヶ原の戦いは、軍記物や黒田家譜をベースにして
参謀本部が作り上げたものだしな。

実際は合戦の経過については史料も乏しく不明な点ばかりだ。

829 :人間七七四年:2013/02/22(金) 18:45:04.13 ID:i52bnB+l
>>827
そもそも裏切りがなければあんな配置の中に東軍が入っていくはずはないw

830 :人間七七四年:2013/02/23(土) 08:54:35.43 ID:MiqgGMlo
家康は主君である豊臣家を滅ぼした悪人。

秀吉は主君の織田家を滅ぼしてはいない。

831 :人間七七四年:2013/02/23(土) 10:19:08.84 ID:qSqoL5rh
信雄をいちゃもんつけて攻め込んだりいちゃもんつけて改易したり
信孝を攻めたり殺したり織田当主としてまつりあげた秀信に実権帰さず自分の物にしたり
滅ぼしたみたいなもんじゃん

832 :人間七七四年:2013/02/23(土) 10:34:49.32 ID:ucDIo8fE
将来の禍根を絶つ、という意味で豊臣の宗家の血筋を滅ぼすのは最高権力者なら当然だろう。
豊臣の分家なら残れたかもしれないけどね。
それを滅ぼしたのは誰だっけ?

833 :人間七七四年:2013/02/23(土) 11:09:08.59 ID:wNJplbrM
煽り耐性ゼロやな
ガキかよ

834 :人間七七四年:2013/02/23(土) 11:23:18.71 ID:ObINYalb
長文じゃ無いなら良い暇潰しに活用出来るじゃんw

835 :人間七七四年:2013/02/23(土) 12:12:29.45 ID:MiqgGMlo
清盛の頼朝達に対する例もあるから、直系を絶やすのもわからないではないが、孔明の劉禅に対したように、主家のバックアップになってれば、悪人どころかヒーローとも言える。

836 :人間七七四年:2013/02/23(土) 12:22:58.69 ID:MiqgGMlo
そうそう。

私は煽ってるつもりは無く、家康と頼朝が大嫌いなので、意見が聞きたいだけです。

結果煽りになるなら申し訳ない。スルー願います。

837 :人間七七四年:2013/02/23(土) 13:39:59.23 ID:ucDIo8fE
>>835
孔明は劉備に引き上げて貰った立場だけど、家康はどう見ても違うだろw
清盛の失敗(仇の子を助命して後に命取りになる)、頼朝の失敗(一族を粛清しすぎで後に乗っ取られる)
尊氏の失敗から相当学んできたんだろ。
秀頼の政権になったら、それこそ足利政権の二の舞になる予感がする。
戦乱の時代を終わらせたという意味ではヒーローだなw
>>836
嫌いな奴だからこそ、そいつの側に立って考える事が必要なんじゃありませんか。
孫子的な意味でな。
アンチ、大嫌いで思考停止してる奴は中高生のレベルかなと。
酷いのになると、そういうのがテロリストになる。

838 :人間七七四年:2013/02/23(土) 14:15:32.52 ID:ObINYalb
伏見城の戦いって、徳川全勢力から捨て駒集めたの?
それとも譜代数家だけから集めたの?

839 :人間七七四年:2013/02/23(土) 14:29:05.80 ID:Y/+/V44h
明治維新、文明開化が成功したのも、江戸時代の安定下に、経済が発展し、インフラが整備され、庶民にまで文化が行き渡った(識字率向上)から。
今の日本があるのは、家康公のおかげ。

840 :人間七七四年:2013/02/23(土) 14:45:53.47 ID:dhQT+eJC
>>838
伏見に在番してた連中だけ。
譜代だと鳥居元忠、内藤家長、松平家忠、松平近正あたりか

841 :人間七七四年:2013/02/23(土) 15:10:02.88 ID:5Q5+xKwy
>>838
捨て駒もなにも、自分が京を離れれば石田が挙兵するから云々ってのが創作

842 :人間七七四年:2013/02/23(土) 15:13:35.95 ID:RmRTiJrC
>>836
煽る気満々だろw

主家を滅ぼしたかどうかだけで善悪を決めるのは了見狭すぎ

843 :人間七七四年:2013/02/23(土) 17:17:32.82 ID:ObINYalb
つまり在番連中は致死率50%とかで
ちょい加増とかだったの?

844 :人間七七四年:2013/02/23(土) 17:19:36.32 ID:dhQT+eJC
基本的には知行が倍になってるな。
深溝松平は加増はこそ無かったが本領へ復帰。

845 :人間七七四年:2013/02/23(土) 17:26:47.42 ID:WPbZedza
>>839
家康路線は織豊路線を踏襲しただけのように見えますが(大陸進出を除いて)。

846 :人間七七四年:2013/02/23(土) 18:06:41.27 ID:Y/+/V44h
織豊になかった、長期安定政権の礎を作ったところが偉大。
外征をしないことも、安定の要因だったんだろうね。

847 :人間七七四年:2013/02/23(土) 18:08:49.32 ID:dhQT+eJC
織豊をいっしょにしてる時点で理解できてないんじゃ?

848 :人間七七四年:2013/02/24(日) 00:27:45.63 ID:OVnBwjH/
>>826
仮にも総大将たる輝元が全方向作戦を決定したんだから三成側も従うべきだろ
俺の考えは違うと東進して勝手に決戦をされたら軍が崩壊してしまう
東軍の場合は武断派大名を含めてきちんと家康の指示を受けてから美濃を攻めたし
自分が到着するまで待てと家康から指示を受けたら守っているわけで
本来ならこれが軍隊として当然の体制なんだよ
西軍敗北の責任は軍律意識の低い三成ら文治派大名にある
総大将を兵を集めるための看板程度に考えて好き勝手をやられたら輝元の能力に関係なく勝機はなかった

849 :人間七七四年:2013/02/24(日) 01:45:09.54 ID:FV8rEN3n
そりゃ偉大だわな。
現在銃と麻薬がないのは家康様のおかげって
ぐらいだもんな。

850 :人間七七四年:2013/02/24(日) 04:06:38.99 ID:ftIMSN6X
>>848
そもそも美濃口が攻められてるのに伊勢湾やら四国やらどうでもいい所ばかり軍分散させたり
長島が堅城であり攻められず迎撃部隊置いてるだけにもかかわらず伊勢方面軍なんて設置したり
織田秀信ら西軍方美濃諸侯が攻められて石田らは必死に救おうとしてるのに奉行衆からの援軍要請無視しまくって
伊勢湾で海賊行為やったりと輝元の全方面作戦が糞すぎるので三成方としては普通に味方(美濃の諸将)の救援は当たり前だろ
9/15に戦う事になった経緯も美濃口の突破、ひいては美濃戦線での西軍の援軍の数の少なさによるものだし
戦力の集中という軍事の基本的観点すらかけている輝元が糞としかいいようがない
しかも関が原本戦でも石田方の陣地・迎撃態勢はなかなかよく毛利一族がまともに出撃したら負けるはずがない状況だし
本戦での敗戦といいそこにいたる経緯といい輝元やら毛利一族が糞すぎたせいで三成ら西軍諸侯は被害を蒙ったとしかいいようがない

851 :人間七七四年:2013/02/24(日) 05:36:01.69 ID:DtIedtaz
>基本的には知行が倍になってるな。
>外征をしないことも、安定の要因だったんだろうね。
たった1〜2万石の為に、致死率50%でも働く譜代が多かった徳川家と
ガンガン加増しないと離れる成上がり子飼いの違いかw

852 :人間七七四年:2013/02/24(日) 07:37:37.62 ID:s+s61lTM
譜代数が違うだけの話だな。

853 :人間七七四年:2013/02/24(日) 08:34:08.75 ID:Fp9XIVUL
石高は成立過程の違いだろ

854 :人間七七四年:2013/02/24(日) 09:12:52.05 ID:s+s61lTM
>>850
毛利家の参戦目的は自国領土の拡大と瀬戸内海易の獲得だし。
その目的から乖離した畿内戦闘に、積極的に参加する必要なんかないわけ。

毛利領土は関ヶ原直後が史上最大。目的に忠実に活動してるわな。
家康が関東から出ず、長期戦化してれば毛利のシナリオ通り。

そんな毛利を盟主に仰がざるを得ない西軍は、最初から勝てるはずもないわけ。

855 :人間七七四年:2013/02/24(日) 11:18:01.30 ID:OVnBwjH/
>>850
上杉の抑えとして秀康を置いた以外は全てを西進に専念できた東軍と違い
西軍の場合は畿内にさえ西軍に属さない城も多く戦力の東進への集中は不可能だった
だいたい美濃陥落だって織田秀信が篭城せず勝手に突撃したせいであり
その尻拭いで各拠点攻略を放棄していたら軍が混乱して体制が保てなくなる
関ヶ原で三成がどんな迎撃態勢を取ろうが大津方面の援軍も待たず勝手に大垣を放棄しては
三成の独断専行に毛利がついていけなくなるのは当たり前だろ
本来三成は指揮官でもなんでもなく総大将毛利の指揮に服さなければいけない存在なんだよ
それを無視してやりたい放題する奴がいたら例え総大将が毛利でなくても勝つことは出来ない
唯一毛利の失敗と呼べることは何故現場の大名の大半が三成を嫌っていたのかを真剣に考えなかったことだ

856 :人間七七四年:2013/02/24(日) 11:56:27.47 ID:b2R9w1z/
40年前、厨房の頃、歴史のテストで、関ヶ原の西軍の大将を毛利輝元と書いて、×つけられて抗議したがダメだった。苦い思いで。

857 :人間七七四年:2013/02/24(日) 14:41:15.29 ID:nhv/sTpl
>>830
似たような書き込みばっかで家康公もモテモテだ。

>>836
頼朝嫌いって、おみゃーさんが好きなのは誰?まさか勝手に自滅した義経じゃないよね。
判官贔屓なら足利尊氏も嫌いなんだね?
それなら後醍醐天皇のことが好きなんだね?

858 :人間七七四年:2013/02/24(日) 15:22:30.53 ID:f1EvKiMU
毛利は天下を狙うなという元就の教えを守ったのかもしれないが、
それなら最初から西軍に加わるべきではなかったな

もしかして天下取れるかもと色気出して中途半端に加わった結果、
三成に利用され、家康に減封され、いい所なし

859 :人間七七四年:2013/02/24(日) 16:24:59.71 ID:ftIMSN6X
>>854
だから総大将にもかかわらず軍分散してどうでもいい所攻めて本決戦で軍ろくに動かさず敗北する毛利が糞すぎるといってるわけで。
大体自分が総大将にもかかわらず東軍との本決戦に敗れれば自国の領域拡大も瀬戸内海の利権も糞もないわけで。
あと関が原直後には毛利の厳封が決まってるのに厳封確定になった時点で厳封する事が決まった領域を一時的に持ってた事をもって「領土は最大」などとはいわん
あと8/10石田←佐竹書状で「輝元は家康が到着したら三万を召し連れて出陣する」と書いており西軍方は家康との本決戦にあたって総大将であり最も巨大な軍団を持ってた輝元を
主力として東軍を迎撃しようと考えていたが当の輝元が再三に渡る石田ら西軍の援軍要請を無視しまくって本決戦で敗れる理由となったわけ。
>>855
>>西軍の場合は畿内にさえ西軍に属さない城も多く戦力の東進への集中は不可能だった
お前史料ろくに見てないだろ 真田文書・慶長見聞集・石田三成人数書立の三つの記録とも西軍は畿内方面だけで18万もの大軍が存在し
中でも毛利一族は4万五千(このうち一万は輝元息藤四郎殿に付置三万は輝元自身が率いると書いてる)さらに小早川8000が加われば
西軍の戦局を決定的にできる兵力が十分ある
>>だいたい美濃陥落だって織田秀信が篭城せず勝手に突撃したせいであり
三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない
>>その尻拭いで各拠点攻略を放棄していたら軍が混乱して体制が保てなくなる
意味不明
東軍が美濃口に切りかかって次々に西軍方拠点を突き崩し家康や秀忠らも尾張方面に出兵する中なぜ
伊勢湾やら四国やらどうでもいい所を攻めるのが優先で本決戦が後回しなんだ?
>>関ヶ原で三成がどんな迎撃態勢を取ろうが大津方面の援軍も待たず勝手に大垣を放棄しては
三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

860 :人間七七四年:2013/02/24(日) 16:30:46.65 ID:Fp9XIVUL
>>858
あの時期、あの情勢で西軍に勝ち目ありと見込んだ
輝元の判断は決しておかしなものではないと思う。

上杉による徳川勢の拘束、人質と秀頼を握って
出征した諸将を調略で崩せると思ってたんだろう。

普通に考えれば、上杉が最上領に乱入して徳川勢が
フリーになるとか、人質がサッパリ効力を発揮しないとか
ビックリするほど西軍にツキが無い流れだったし

861 :人間七七四年:2013/02/24(日) 16:37:04.58 ID:VZh2Kryj
西軍で最も不運だったのは輝元が規格外のクズだった点
あれだけの大チャンス無駄にして大厳封くらうとか今川氏真とかを遥かに凌駕するヘタレっぷり。

862 :人間七七四年:2013/02/24(日) 20:18:07.39 ID:Fp9XIVUL
厳封くんはそろそろ誤字に気づいた方が良いよ
文体も同じだし馬鹿丸出し

863 :人間七七四年:2013/02/25(月) 00:15:26.11 ID:awuZXERJ
>>859
関ヶ原が長期化すれば、毛利の作戦は至極真っ当だよ。
結果的に短期集結で敗北したから自国領域の拡大に結びつかなかっただけ。
長期化すれば拡大領域はそのまま毛利の最大領域。
毛利や上杉にとってベストシナリオは、勝敗つかずズルズル進行する事。

家康と同じく、毛利・上杉も本心は豊臣のためになんぞ戦っていない。
毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。

864 :人間七七四年:2013/02/25(月) 00:26:08.50 ID:eDgFKAwG
>>863
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

865 :人間七七四年:2013/02/25(月) 00:47:45.01 ID:awuZXERJ
>>864
援軍要請無視?戦力分散?
西軍総大将として家康と堂々戦うつもりならキミの言う通りだろうな。
そもそもそんなつもりがないんだから仕方ない。
戦中は家康との直接対決は避け、負けても戦後交渉で領土保全図ろうとしたわけ。
普通の脳味噌の人間ならわかることだな。

毛利を一方の総大将として捉えようとするから

866 :人間七七四年:2013/02/25(月) 00:49:59.47 ID:awuZXERJ

毛利を一方の総大将として捉えようとするから、「毛利がクズ」みたいな
抽象的・観念的なお話になっちゃうわけね。
もっと大人の分析をしないと。

867 :人間七七四年:2013/02/25(月) 00:53:14.57 ID:eDgFKAwG
>>西軍総大将として家康と堂々戦うつもりならキミの言う通りだろうな。
>>そもそもそんなつもりがないんだから仕方ない。
根拠は?
そもそも西軍総大将になれば東軍の大将である家康とぶつかるなんてわかりきった話だし
なんでそもそも西軍大将なんて引き受けたんだって話だわな
大体西軍の総大将でありまた最も巨大な軍団持った毛利当主がそんな事してたらはじめから負けるなんてわかりきった話だし
負けたら当然厳封か改易になるから領土拡大も瀬戸内の権益も糞もない

868 :人間七七四年:2013/02/25(月) 01:14:18.05 ID:awuZXERJ
理由
・領国周辺への積極進出
・畿内での消極性(援軍要請無視、戦力分散)
・家康との直接対決回避
・関ヶ原本戦終了直後の領土保全交渉

キミは、因と果が転倒してるんだよ。
これらの事実があるから、毛利は東軍と本気で戦うつもりがなかったと言える。
総大将としてあるべき姿を毛利に押しつけ、上記結果を以てクズとするのは、
因と果が転倒していると言わざるを得ない。

869 :人間七七四年:2013/02/25(月) 01:18:13.97 ID:ssUGRRC1
濃尾方面での膠着を考慮すると伊勢はどうでもいいとこじゃないぞな

870 :人間七七四年:2013/02/25(月) 01:32:47.54 ID:eDgFKAwG
>>868
全く理由になっていない
俺はその理由をもって輝元はクズだと主張してるわけ。
>>869
伊勢を積極的に侵攻できるならともかく海上を荒らしまわったり、伊勢長島に押さえを置いただけで攻めず
無駄に戦力を分散しただけとしかいいようがない

871 :人間七七四年:2013/02/25(月) 01:33:28.63 ID:0yiXwCsH
正則の弟の福島高晴が長島へ籠城してる中で西軍の毛利軍は鍋島隊を長島への備えに配置して攻めずに関が原へ急行してる。
関が原を無視して、長島城を落として尾張国に雪崩れ込み背後を襲う戦略をつかわなかったのは
それだけ長島城が堅固だったと言うことだろうけどそもそもなら、なんで伊勢攻略軍なんて編成したんだよって話だよな。
素直に、岐阜城を策源地に尾張に攻め込んでれば良かったじゃんwってもんで。
やっぱり毛利ってのは戦略眼がまるで無い。

872 :人間七七四年:2013/02/25(月) 01:38:51.73 ID:awuZXERJ
>>870
つまり、キミは因果転倒している事を認めるわけね。
お疲れ様でした。

873 :人間七七四年:2013/02/25(月) 02:36:01.14 ID:RR7eaJj2
輝元の失態は「関ヶ原で西軍がたった一日で完膚なきまでに叩き潰されることを予測できなかったこと」だが、
それができたら祖父の元就を超えるんじゃないだろうか

874 :人間七七四年:2013/02/25(月) 02:47:59.27 ID:eDgFKAwG
総大将であり最も巨大な軍勢持つ者が出てこなけりゃどんな軍でも敗れるだろ
こんなクズが指揮官じゃどうしようもない

875 :人間七七四年:2013/02/25(月) 02:50:43.86 ID:0yiXwCsH
>>373
お前は本当に頭が悪いね。一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

876 :人間七七四年:2013/02/25(月) 02:51:14.33 ID:eDgFKAwG
輝元なんてあんだけ圧倒的大軍と総大将の肩書きがありながら何もできず大厳封食らって
吉川小早川断絶とか情けなさ過ぎる
輝元の場合対宇喜多や南条の攻防も雑魚だから低評価するには申し分ない実績

関が原をおこしてしまった時点で西軍の負けは確定しているように語り結果三成は無能とののしるやからがいるが
それはあくまで結果論としかいいようがない
関が原会戦時の三成人数書立や慶長見聞集、真田文書を見ると西軍は畿内だけで18万も集まり
小早川や朽木らの離反を差しいても単純に東軍の兵力を圧倒している
これでは兵力的に考えても陣地でも東軍を粉砕する兵力として十分すぎる
負けたのは総大将であり戦局を決定できる大軍を有しながら大坂に居座り何もせず改易された輝元や
軍勢派遣を止めたとされる吉川や秀元ら毛利一族のせいとしかいいようがない

東軍には三成憎しの武功派と家康が外交や婚姻で懐柔した伊達・蜂須賀などが付いたのに対して
西軍には上杉・毛利・宇喜多や5奉行のほかの連中・さらに畿内・西国の諸将が多く付いている
三成襲撃事件後三成が失脚し、家康は「天下殿」という世評を受け、
その後に暗殺計画の企て摘発により前田利長・浅野・細川を屈服させ相当な権力を確立したと思われた後ですら
これだけ多くの味方が三成には付いたという事は諸侯は内心では家康のやり方は無茶苦茶で豊臣政権をあからさまに犯すやり方をしてると考えた証拠だろう
ただ総大将としての三成の地位は家康に対抗できるものでなく、毛利輝元も総大将引き受けながら何もせず大厳封食らうヘタレぶりで
西軍は木っ端微塵になった。
東軍には三成憎しの武功派と家康が外交や婚姻で懐柔した伊達・蜂須賀などが付いたのに対して
西軍には上杉・毛利・宇喜多や5奉行のほかの連中・さらに畿内・西国の諸将が多く付いている
三成襲撃事件後三成が失脚し、家康は「天下殿」という世評を受け、
その後に暗殺計画の企て摘発により前田利長・浅野・細川を屈服させ相当な権力を確立したと思われた後ですら
これだけ多くの味方が三成には付いたという事は諸侯は内心では家康のやり方は無茶苦茶で豊臣政権をあからさまに犯すやり方をしてると考えた証拠だろう
実際三成は蔚山城攻防での論考交渉の際や島津家倉入り地加増問題など
一貫して豊臣の倉入り地の維持・諸大名の倉入り地や石高増加反対や家康と諸大名との会合を糾問したりと
豊臣家のために動いているのに対し家康は五大老の許可なく私婚で諸大名取り込んだり島津の倉いり地問題や庄内の乱の協力などで積極的に
諸大名を取り込み豊臣家のためなどではなく自勢力拡大・専横を行っているのは明らかで
その証拠に三成襲撃事件後三成が失脚し、家康は「天下殿」という世評を受け、
その後に暗殺計画の企て摘発により前田利長・浅野・細川を屈服させ相当な権力を確立したと思われた後ですら
これだけ多くの味方が三成には付いている
むしろ東軍についた諸大名の方が三成憎しの個人的感情やらで凝り固まっているにすぎずまとまっていたとする根拠がない
西軍の敗因はあくまで毛利家の美濃口への援軍要請無視・優先順位低く要害の構えられた伊勢方面軍編成による戦力分散
・毛利一族が総大将にかかわらず不戦・毛利輝元出陣なし・小早川の離反と
毛利のあまりのヘタレぶりで負けただけにすぎない

877 :人間七七四年:2013/02/25(月) 02:56:50.07 ID:dAZU7GsC
コピペ馬鹿

878 :人間七七四年:2013/02/25(月) 10:24:25.13 ID:DwgtOsy9
元々西軍は濃尾で決戦しようと目論んだ訳じゃなくて、ガッチリと公儀を乗っ取った上で
関東へは翌年辺りに侵攻しようと目論んでた。

ただ・・・結果としては豊臣公儀を乗っ取ったのに、武力が及ぶ範囲以外では
諸侯が味方に付かなかったので破滅してしまった。

879 :人間七七四年:2013/02/25(月) 12:03:51.57 ID:6A3uJenX
一日で敗れる状況を作ったのは三成だな
どんなに大軍だろうが真正面から潰し合えば一日で決着することを関ヶ原は証明した
三成が家康の作戦にまんまと引っかかってそういう状況が出現した
輝元も三成がこんなに馬鹿だとは思っていなかっただろう
三成は自分を過大評価して家康に楯突いたため、結局家康を益するようなことばかりやった
だからのちに家康は自分が天下を取れたのは三成のお陰だと回顧した

880 :人間七七四年:2013/02/25(月) 12:18:20.22 ID:KD7CFpLG
だからわざと本隊を真田にぶつけたんだろうと見てる(σ^▽^)σ

881 :人間七七四年:2013/02/25(月) 13:14:47.81 ID:dkRg87i6
仙台藩百姓への供養だ、3.11に向けて盛り上げよう。

882 :人間七七四年:2013/02/25(月) 14:03:49.35 ID:eDgFKAwG
>>879
お前は本当に頭が悪いね。一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

883 :人間七七四年:2013/02/25(月) 14:04:57.99 ID:0yiXwCsH
同意
西軍敗北の責任は90%輝元にあると思う
総大将であり最も中核的大軍を動かせる立場にありながら
伊勢湾やら四国やらどうでもいい所に軍送りまくって
奉行衆らの援軍要請無視し続けたあげく美濃口の突破を許し
本戦でも戦局決定できる圧倒的大軍持ちながら何もせず西軍は大敗する要因つくり大厳封

はっきり言って総大将がここまでクズだとどんな武将や大軍でも勝ちようがない

884 :人間七七四年:2013/02/25(月) 23:27:06.40 ID:Q2p5yEoA
そもそも西軍は勝つべきではなかったので、戦犯なんてどうでもいい

885 :人間七七四年:2013/02/25(月) 23:48:28.34 ID:0yiXwCsH
例の結果論脳のアホが三成をアホみたいに叩いて輝元を無理矢理擁護してるからね

886 :人間七七四年:2013/02/25(月) 23:53:21.96 ID:ssUGRRC1
東の戦線を安パイにしちゃった佐竹が悪い

887 :人間七七四年:2013/02/26(火) 00:47:09.77 ID:Vdko+bMU
毛利は西軍総大将といえども、石田等奉行連中とは同床異夢だしな。
当然石田もバカではないから、そんな事はわかった上で毛利を担いだわけで。
東軍との組織力の違いが決定的な敗因だろうな。

888 :人間七七四年:2013/02/26(火) 09:37:22.26 ID:bqLX8a6L
結局リーダーシップが無かっただけじゃね?

889 :人間七七四年:2013/02/26(火) 11:04:20.51 ID:aAmrEDF3
>>886
それはむしろ上杉のせいだな。佐竹が単独で侵攻するのは無理。

肝心の上杉が関東へ兵を出さず、しかも最上攻めを始めたんで
動けなくなった。

890 :人間七七四年:2013/02/26(火) 11:10:21.33 ID:0Xg9AIT8
伊達最上放置して南下しても越後や出羽やら陸奥から襲撃くらって終了

891 :人間七七四年:2013/02/26(火) 14:28:50.96 ID:zhEvEOli
>>883
畿内各地や背後の四国を制圧して防御を固める戦略は西軍全体で決めた正当な戦略であり毛利の独断ではない
伊勢湾や四国がどうでもいいとは三成がそう思っただけで西軍全体の意思ではない
むしろ関ヶ原での短期決戦こそ三成が勝手にやった暴走に過ぎない
美濃口を突破されたら三成が大垣城に篭城して捨て石となり時間を稼ぐのが正当な任務だった
三成がきちんと時間稼ぎをしていれば大津方面軍をはじめ各地の軍が駆けつける余裕ができ何の問題もなかったのに
自分で家康を倒して一刻も早く政権に返り咲きたいと我欲にかられた三成は大垣城の守備を放棄し大将を気取って短期決戦を独断で実行し西軍の戦略を破綻させた
だいたい援軍要請というが他の軍だって遊んでいるわけじゃないのだから三成に言われるがまま簡単にあちこち行くことはできないし三成はそもそも西軍の司令官でもなんでもない
君は関ヶ原を本戦と言っているが間違いであり関ヶ原自体が西軍の戦略からかけ離れた三成の我欲の産物でしかないんだよ
三成が独善的なクズであることは朝鮮の時から武断派から指摘されており関ヶ原によって指摘の正しさが証明された

892 :人間七七四年:2013/02/26(火) 14:32:59.51 ID:8T5X4rIs
じゃあきちんと西軍に付かなかった伊達が悪いということで

893 :人間七七四年:2013/02/26(火) 14:58:04.50 ID:AmjUj9af
ID:zhEvEOli

894 :人間七七四年:2013/02/26(火) 14:58:38.77 ID:0Xg9AIT8
今日の馬鹿のIDだな

895 :人間七七四年:2013/02/26(火) 15:56:02.46 ID:aAmrEDF3
馬鹿IDと言うか、だがの一人芝居だろう

896 :人間七七四年:2013/02/26(火) 17:35:00.98 ID:Bb9W9Kit
というか負けた責任を互いに擦り付け合っているだけだし

大将の器でない輝元とリーダーとしての人望のない三成にふさわしい見苦しさというべきか

897 :人間七七四年:2013/02/27(水) 01:57:57.72 ID:R0dApKf0
火事場泥棒的な領土拡大が主目的の毛利・上杉。
長期混迷がベストシナリオである以上、
西軍のために真剣に動くはずもないわな。
計算外だったのは、家康の西上で短期決着してしまった事。
両家の速攻土下座が共通しているのは偶然ではない。

898 :人間七七四年:2013/02/27(水) 06:04:31.41 ID:8HAq6Cc6
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

899 :人間七七四年:2013/02/27(水) 06:08:27.39 ID:L+8AtH8c
西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

900 :人間七七四年:2013/02/27(水) 06:09:03.54 ID:8HAq6Cc6
一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

901 :人間七七四年:2013/02/27(水) 08:15:07.13 ID:EExa3lTv
>>899
そう言われると確かにそうだよなw

902 :人間七七四年:2013/02/27(水) 09:45:56.95 ID:vwFC7TfY
「厳」封くん・・・

903 :人間七七四年:2013/02/27(水) 10:46:18.36 ID:wR8hz+AV
東軍だって徳川本体を預かる秀忠が真田に足止めくらって参戦できなかったんだから似たような状況だな
お互いそれで相手には勝てそうだと読んだからこそ戦ったんだろ

こうしていれば勝てたのにということは後から考えればいくらでもあるし、
与えられた条件の中で最善を尽くすのが指揮官というもの

敗軍の将、兵を語らずという言葉は三成厨には高尚すぎるな

904 :人間七七四年:2013/02/27(水) 21:10:19.58 ID:AdaU9EAq
秀忠が本当に徳川本隊だったのかと言うと、経緯から見てもそれは違うなぁとしか

905 :人間七七四年:2013/02/28(木) 01:31:49.09 ID:KPU5Ye3o
島津六千は、小西の四千と同じく二番備えだったのか

906 :人間七七四年:2013/02/28(木) 10:50:10.84 ID:GUH1MaMB
島津六千って・・・・何処の仮想戦記だよ

907 :人間七七四年:2013/02/28(木) 12:18:08.45 ID:BAnLxvFk
三成人数書立・真田文書・慶長見聞集で6000で共通してるし
義弘書状でも在国の兵力を全てこちらに呼び寄せるとかいてるのに
1000以下だの捏造する馬鹿は死ね

908 :人間七七四年:2013/02/28(木) 12:19:10.00 ID:+GH9cbk1
島津が寡兵とかただの講談だしね
司馬小説とかに毒されすぎてるんだろうが

909 :人間七七四年:2013/02/28(木) 13:08:29.60 ID:GUH1MaMB
島津家文書スルーとか馬鹿だろ

910 :人間七七四年:2013/02/28(木) 13:46:08.81 ID:+GH9cbk1
実際は6000どころか1万くらいいたんじゃね
国力から考えればそのくらい余裕だろうし朝鮮出兵でも確かそのくらいしてたし

911 :人間七七四年:2013/02/28(木) 13:48:40.44 ID:BAnLxvFk
水俣城攻防でも115000の大軍動員したし耳川の戦いも最近の研究では4万以上いたとされてるしな

912 :人間七七四年:2013/02/28(木) 16:41:02.13 ID:a6yB/qXy
三成人数書立と真田文書というのは同一のもんでしょ。
わざわざ別物のようにいわんでも
それにそれに記載の島津軍の兵数は5000でしょ。

913 :人間七七四年:2013/02/28(木) 17:00:34.99 ID:BAnLxvFk
兵力を捏造しまくるのは島津のお家芸だからな
薩摩は28万石もあり周辺国の国力を圧倒してるのに寡兵で勝ったとか妄言デッチ上げてるし

914 :人間七七四年:2013/02/28(木) 17:52:02.66 ID:niEL0nse
要は輝元か三成かどっちが敗戦直接責任か
ということかな。
監督が悪いか選手が悪いか、ってとこで
視点の違いだわなぁ。
ただよそのスレでもいるが明らかに結果見て
語ってるのは多い。
こういう時は初歩的にタラレバにすると
わかりやすい時があって
もし三成が勝ってれば別に輝元はどうでもいいわけかな。
負けたから輝元がヘタレとかなるわけで
勝ってた時に同じように輝元が勝因となるかどうか。
このあたりを考えると自分が結果や選手重視になってる
ということがよくわかるんだけどな。

915 :人間七七四年:2013/02/28(木) 18:03:41.24 ID:+GH9cbk1
輝元は勝つには十分すぎる兵力と総大将の立場で負けたからなあ
西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大減封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

916 :人間七七四年:2013/02/28(木) 19:26:22.81 ID:89Prow9T
>>912
ツーマンセルのかまってちゃんっぽいから
スルーした方が良さそうだよ

917 :人間七七四年:2013/03/01(金) 00:59:14.33 ID:JG2g82Za
火事場泥棒的な領土拡大が主目的の毛利・上杉。
なので両家にとっては長期混迷がベストシナリオ。
西軍のために真剣に動くはずもない。
毛利が悪いも何もない。地域領主の思考から抜け出せず、
そもそも主目的が違うんだから。

そんな毛利を総大将に担がざるを得なかった西軍が必敗だっただけの話。
三成の見通しの甘さだな。

918 :人間七七四年:2013/03/01(金) 02:16:24.24 ID:qiUvhgyq
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

919 :人間七七四年:2013/03/01(金) 02:16:53.65 ID:qiUvhgyq
お前は本当に頭が悪いね。一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

920 :人間七七四年:2013/03/01(金) 08:05:59.62 ID:f9LJnmvt
おーい、だがよー、小早川からはとっくに毛利本家の家臣は引き上げて、豊臣家親族大名として扱われてるぞ?
寝返り交渉も戦後処理も毛利本家とは完全に区別されてるしな。

921 :人間七七四年:2013/03/01(金) 10:21:53.62 ID:G7Gh5bir
秀秋に嫁いでた輝元養女も、慶長4年の時点で離縁してるしな
つーか、だがに正論説いても無駄でしょ

922 :人間七七四年:2013/03/01(金) 10:51:44.09 ID:r9r6XihZ
元は一つの家なんだし普通に輝元の責任だろ
何にせ総大将であり最も巨大の軍団もってて戦局決定できる立場にありながら
糞戦略と糞判断で西軍を壊滅に追いやった事実は変わらないわけで。

923 :人間七七四年:2013/03/01(金) 11:27:06.55 ID:vrU/eNPj
吉川はどうなんだよw

924 :人間七七四年:2013/03/01(金) 13:18:35.16 ID:G7Gh5bir
広家は、家康が美濃に出た時点でまったく勝ち目が無いと判断して和睦した。
毛利重臣である福原広俊にも同意を取り付けてるから独断でもない

925 :人間七七四年:2013/03/01(金) 17:18:16.04 ID:3dyzNBjN
岐阜城陥落の時点で西軍にはオワタ感が漂い始めたとか

926 :人間七七四年:2013/03/01(金) 18:11:11.01 ID:KuPPdILk
どうやら輝元一人の責任ではないという結論になりそうだな

927 :人間七七四年:2013/03/01(金) 18:12:50.32 ID:tBwddQdW
21世紀もグダグダな西軍www

928 :人間七七四年:2013/03/01(金) 18:15:44.20 ID:VDtVKRIK
むしろ岐阜陥落の後が謎だな。西軍はあちこちから美濃へ兵力を集結させたのに
なんで東軍先鋒へ攻めかからなかったのか。

929 :人間七七四年:2013/03/01(金) 19:03:03.36 ID:26ORVz8H
大津方面軍をはじめ兵力がまだ集結し終わっていないのに総大将の命令を貰わず攻めかかる奴がいるか
本来なら大垣城に篭城して時間稼ぎをしつつ兵力の集結を待つ戦略だったが
三成が暴走して大垣城の守備を放棄してしまった
これにより西軍は大混乱に陥りほとんどの大名は戦える状態ではなくなった

930 :人間七七四年:2013/03/01(金) 19:29:50.68 ID:qiUvhgyq
アホ元なんて岐阜攻められてる時に援軍要請無視しまくってたし
美濃落とされてからも相変わらずどうでもいい伊勢湾荒らし回ってた馬鹿だし
こんなアホにはさすがに付き合いきれんだろ
あそこで迎撃しなけりゃぐいぐい押し込まれて美濃みたいに離反だらけになってアボーンだろ
関が原の本戦だって毛利一族がもうちょいマシな采配みせてりゃ負けるはずもない戦闘状況だったわけで。

大老という立場であり圧倒的大軍出せる国力持つ毛利の主君がこんなクズだとは三成ら西軍諸侯は思いもよらなかった事だろう
そういう意味で三成らは不運だったといえる

931 :人間七七四年:2013/03/01(金) 19:33:55.42 ID:r9r6XihZ
毛利輝元ってぶっちゃけ今川氏真とかよりも遥かに馬鹿だと思う
流石に氏真でも兵力の集中とか敵軍の本陣の殲滅など軍事の基本くらいはわかってるだろうし

932 :人間七七四年:2013/03/01(金) 20:01:08.59 ID:tBwddQdW
常時そうだったワケでも無いんだろ?
ハメられてたんだよw

933 :人間七七四年:2013/03/01(金) 21:33:35.66 ID:Y9Csxtgm
毛利の主目的が自領の拡大と瀬戸内海易の確保である以上、
畿内における消極戦略には全く違和感ない。
実際、関ヶ原終戦間際が毛利家の史上最大版図。
毛利家の主戦場では戦略通りに事が進んでいる。

例えば自領が全く拡大していなければ、確かに輝元は無能。
または、家康のように自領は守備に徹し、
畿内に戦力を集中してあの様なら、確かに糞戦略だと言える。

934 :人間七七四年:2013/03/01(金) 22:53:25.16 ID:qiUvhgyq
だから総大将にもかかわらず軍分散してどうでもいい所攻めて本決戦で軍ろくに動かさず敗北する毛利が糞すぎるといってるわけで。
大体自分が総大将にもかかわらず東軍との本決戦に敗れれば自国の領域拡大も瀬戸内海の利権も糞もないわけで。
あと関が原直後には毛利の厳封が決まってるのに厳封確定になった時点で厳封する事が決まった領域を一時的に持ってた事をもって「領土は最大」などとはいわん
あと8/10石田←佐竹書状で「輝元は家康が到着したら三万を召し連れて出陣する」と書いており西軍方は家康との本決戦にあたって総大将であり最も巨大な軍団を持ってた輝元を
主力として東軍を迎撃しようと考えていたが当の輝元が再三に渡る石田ら西軍の援軍要請を無視しまくって本決戦で敗れる理由となったわけ。

935 :人間七七四年:2013/03/01(金) 22:54:46.08 ID:qiUvhgyq
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

936 :人間七七四年:2013/03/01(金) 22:55:26.50 ID:r9r6XihZ
輝元は勝つには十分すぎる兵力と総大将の立場で負けたからなあ
西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大減封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

937 :人間七七四年:2013/03/01(金) 22:56:02.01 ID:qiUvhgyq
輝元は勝つには十分すぎる兵力と総大将の立場で負けたからなあ
西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大減封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

938 :人間七七四年:2013/03/01(金) 22:57:11.33 ID:r9r6XihZ
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

939 :人間七七四年:2013/03/01(金) 22:58:20.09 ID:qiUvhgyq
正則の弟の福島高晴が長島へ籠城してる中で西軍の毛利軍は鍋島隊を長島への備えに配置して攻めずに関が原へ急行してる。
関が原を無視して、長島城を落として尾張国に雪崩れ込み背後を襲う戦略をつかわなかったのは
それだけ長島城が堅固だったと言うことだろうけどそもそもなら、なんで伊勢攻略軍なんて編成したんだよって話だよな。
素直に、岐阜城を策源地に尾張に攻め込んでれば良かったじゃんwってもんで。
やっぱり毛利ってのは戦略眼がまるで無い。

940 :人間七七四年:2013/03/01(金) 23:00:57.78 ID:r9r6XihZ
ID:Y9Csxtgm
馬鹿毛利厨のID

941 :人間七七四年:2013/03/01(金) 23:10:38.98 ID:3dyzNBjN
ところでなんでこいつら家康スレで延々輝元叩いてるの……

942 :人間七七四年:2013/03/01(金) 23:45:32.55 ID:Y9Csxtgm
関ヶ原が長期混迷化すれば、毛利の思惑通り。
主目的である自領の拡大に邁進出来る。
畿内の戦いなど、本気で取り組む必要なし。

しかし家康との差は正にここで、国政レベルの思考を持つ家康は、
短期決戦による権力集中を実現したわけ。
家康は毛利のような自領拡大行為は行っていない。
そんなわけで、短期決戦にまんまとハマった三成は愚かだね。

943 :人間七七四年:2013/03/02(土) 00:17:48.35 ID:pbnTV6VZ
だから総大将にもかかわらず軍分散してどうでもいい所攻めて本決戦で軍ろくに動かさず敗北する毛利が糞すぎるといってるわけで。
大体自分が総大将にもかかわらず東軍との本決戦に敗れれば自国の領域拡大も瀬戸内海の利権も糞もないわけで。
あと関が原直後には毛利の厳封が決まってるのに厳封確定になった時点で厳封する事が決まった領域を一時的に持ってた事をもって「領土は最大」などとはいわん
あと8/10石田←佐竹書状で「輝元は家康が到着したら三万を召し連れて出陣する」と書いており西軍方は家康との本決戦にあたって総大将であり最も巨大な軍団を持ってた輝元を
主力として東軍を迎撃しようと考えていたが当の輝元が再三に渡る石田ら西軍の援軍要請を無視しまくって本決戦で敗れる理由となったわけ。

944 :人間七七四年:2013/03/02(土) 00:18:23.00 ID:pbnTV6VZ
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

945 :人間七七四年:2013/03/02(土) 00:19:35.25 ID:6JD6LR1w
輝元は勝つには十分すぎる兵力と総大将の立場で負けたからなあ
西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大減封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

946 :人間七七四年:2013/03/02(土) 00:58:52.87 ID:n32sNjkK
四国侵食が本命って常識だよな?

947 :人間七七四年:2013/03/02(土) 06:43:29.16 ID:VJ9AFEpr
この長文バカって、毎回同じことしか書いて無いよな?

2回目以降は5行でまとめれば、俺も読むのに、、、

948 :人間七七四年:2013/03/02(土) 10:28:49.38 ID:n32sNjkK
大坂城奪還を最終目的とした東軍と異なり、毛利家と西軍の方向性が異なっているのが敗因。

結局、短期決戦でも長期混迷でも豊臣家のためにはならないわけ。

挙兵した三成って、豊臣家にとっては禍でしかなかったって事。

949 :人間七七四年:2013/03/02(土) 12:43:23.27 ID:pbnTV6VZ
結局毛利アホ元がクズすぎたせいで負けただけなのが西軍
序盤の攻防といい美濃救援といい関が原本戦といい毛利がもう少しマシな当主と一族なら負けるわけがない状況と兵力で負けたのは
ただ単に美濃救援要請も無視しまくり伊勢湾やら四国やらどうでもいい所に兵分散し
本決戦だというのに戦場に現れないどころか秀元は東軍の後ろつけば負けるわけがない状態で何もせず西軍の敗戦を見過ごし
大減封食らったアホ 
今川氏真でも兵力の集中や敵の本陣・総大将の撃破という基本くらいはわかってるだろうに
今川氏真以下の馬鹿が輝元

950 :人間七七四年:2013/03/02(土) 12:45:41.63 ID:6JD6LR1w
輝元みたいなアホの思う通り関が原で決戦せずすごすご東軍見過ごしてたら
美濃口の攻防みたいにどんどん押し込まれて畿内が離反だらけになって即瞬殺されてただろうな
そういう意味で三成らの判断(関が原での会戦)は正しかったわけで。
秀元とか毛利一族の連中が馬鹿じゃなきゃ絶対勝ててた戦だし

951 :人間七七四年:2013/03/02(土) 19:22:18.07 ID:VJ9AFEpr
スレ違いついでに、桜田門外の変って
どうして井伊直弼は「精鋭」を護衛にしなかったの?

自らを捨て石にでもしたかったの?

952 :人間七七四年:2013/03/02(土) 19:58:50.27 ID:O3mirMag
輝元さんの思惑と三成の戦略が一致してなかった。
輝元さんも多少甘かったかも知れないが、上杉征伐の動員を利用して急きょ結成された西軍の限界だよ。
長期戦を前提にすればなおさら。三成さんの話はそれ以上とくに語ることもないでしょう。

953 :人間七七四年:2013/03/02(土) 20:43:58.53 ID:pbnTV6VZ
輝元にそもそも戦略なんてないだろ
適当に場当たり的に弱そうなところ攻めてるだけ。敵の殲滅したり戦力を集中させたり基本がわかってないから
伊勢湾やら四国やらどうでもいい所攻めたし美濃口の防衛なんて状況的に絶対やらなきゃいけない事を行わず
美濃を離反だらけにしてぐいぐい東軍に押し込ませ
長島が堅固で攻められないにもかかわらず長島侵攻軍なんて結成して案の条攻められず押さえを残す始末
おまけに関が原本戦では毛利アホ元やその一族は総大将にもかかわらず全く使い物にならず西軍は大敗し毛利一族はあわや改易の大失態
あれだけの圧倒的大軍と戦局決定できるチャンスなのに馬鹿な判断を繰り返しむざむざ台無しにするとか馬鹿すぎてどうしようもない

954 :人間七七四年:2013/03/02(土) 22:13:31.74 ID:O8pc4a/A
輝元が家康のように、関ヶ原の先に天下人を見据えてたら>>953の言う通りかもね。
しかし毛利家の国策は、自領の拡大と瀬戸内海易の確保。
畿内方面は二の次なわけ。

戦略レベルの話で観念的な輝元批判をしたところで説得力はない。
毛利家は国策として四国方面への領土拡張を志向していた。

955 :人間七七四年:2013/03/02(土) 22:15:16.03 ID:pbnTV6VZ
だから総大将にもかかわらず軍分散してどうでもいい所攻めて本決戦で軍ろくに動かさず敗北する毛利が糞すぎるといってるわけで。
大体自分が総大将にもかかわらず東軍との本決戦に敗れれば自国の領域拡大も瀬戸内海の利権も糞もないわけで。
あと関が原直後には毛利の厳封が決まってるのに厳封確定になった時点で厳封する事が決まった領域を一時的に持ってた事をもって「領土は最大」などとはいわん
あと8/10石田←佐竹書状で「輝元は家康が到着したら三万を召し連れて出陣する」と書いており西軍方は家康との本決戦にあたって総大将であり最も巨大な軍団を持ってた輝元を
主力として東軍を迎撃しようと考えていたが当の輝元が再三に渡る石田ら西軍の援軍要請を無視しまくって本決戦で敗れる理由となったわけ。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

956 :人間七七四年:2013/03/02(土) 22:19:03.10 ID:6JD6LR1w
四国方面への拡張とか言ってるけど中途半端に伊勢湾荒らし回ったり伊勢侵攻軍派遣したり
関が原本戦でも一応は軍派遣してるから(全く使い物にならなかったが)
別に戦略というほどの物が輝元にあったか非常に怪しいがな

957 :人間七七四年:2013/03/02(土) 22:28:25.33 ID:pbnTV6VZ
関が原本戦に負ければ自領の拡大も瀬戸内の権益も糞もないし
逆に勝てば総大将として領土も権益も最大限に拡張するのに
そんな事もわからないとか相当の馬鹿だな

958 :人間七七四年:2013/03/02(土) 22:38:34.18 ID:O8pc4a/A
関が原本戦は、三成がお膳立てした舞台。
毛利にしてみれば、万一の巻き添えを食う必要はない。
繰り返すが、あくまで本命は四国地方への領域拡大。

減封になったのは結果論。長期戦であれば毛利の戦略通り。
天下人を志向した家康に比して、地方主権志向どまりではあるけどね。

959 :人間七七四年:2013/03/02(土) 23:10:11.18 ID:pbnTV6VZ
関が原本戦は輝元が要請無視しまくり軍分散させたせいで起こった戦(輝元が美濃方面にさっさと後詰行ってたら木曽川ラインで
迎撃すれば東軍は進む事すらかなわない)
またその本会戦も毛利秀元や小早川など圧倒的大軍と戦局決定できる圧倒的優位な状況にありながら何もせず大敗を喫し大減封食らったのが毛利
普通に毛利一族がカスじゃなきゃ負けるわけがない戦闘状況だったが毛利一族がカスだったために負けただけ。
関が原本戦で西軍のうち半分ほどが毛利一族の軍でこいつらが使い物にならなかったから西軍に勝つ可能性など皆無。
こんな状態で長期戦を望むも糞もなくただ毛利一族は自分が糞すぎたせいで本戦は短期で終わっただけ
>>繰り返すが、あくまで本命は四国地方への領域拡大
四国方面への拡張とか言ってるけど中途半端に伊勢湾荒らし回ったり伊勢侵攻軍派遣したり
関が原本戦でも一応は軍派遣してるから(全く使い物にならなかったが)
別に戦略というほどの物が輝元にあったか非常に怪しいがな

960 :人間七七四年:2013/03/02(土) 23:13:44.18 ID:6JD6LR1w
三成はかわいそうだよなぁ
18万の大軍をかき集め絶対勝てる状況作りながら輝元は伊勢湾やら四国やらどうでもいい方向に軍分散させまくり
美濃口を突破されそれでもめげず本戦でも布陣で優位に立ち毛利一族さえ馬鹿じゃなきゃ絶対勝てる状況作ったのに
肝心の輝元は大阪に居座るアホっぷりで秀元秀秋広家も全く使い物にならず大敗
毛利のアホさ加減で努力が水の泡に帰したのが三成

961 :人間七七四年:2013/03/02(土) 23:32:38.67 ID:O8pc4a/A
輝元を家康と同列の総大将と捉えるから間違った解釈になるんだよ。

輝元は、東軍(家康)の撃破を至上命題としていない。
西軍の総大将という立場を自国の目的のために利用しただけ。
目的とは『自領の拡大』と『瀬戸内海易の確保』。
西軍の目的を体現していたのは三成と言えるけど、同床異夢の
輝元を総大将に担がざるを得ない時点で西軍に勝ち目はなかったと言える。

対して、家康の方針は東軍全体の方針と一致。大坂城奪還。
自領拡大は行っていない。勝利の先に天下人を見据えていたわけで、
ここが輝元との違い。

>>959>>960のように、戦局の一部分を捉えて勝てた負けたという話も、
まぁ面白いけどね。

962 :人間七七四年:2013/03/02(土) 23:32:42.13 ID:SwSVP6mD
まぁ97%同じ文章を、何度も何度も何度も何度も書くお前よりは
まぁ97%同じ文章を、何度も何度も何度も何度も書くお前よりは
100倍くらい優秀だったろうな >毛利一族


>>951 どうよ?

963 :人間七七四年:2013/03/02(土) 23:45:39.89 ID:O3mirMag
輝元君に代わって私が謝りますからこの話はご勘弁下さい

それより、権現様は江戸帰府後に事態がどう推移すると予測していたのだろうな。
坂東で迎撃も考えたのでは

964 :人間七七四年:2013/03/03(日) 00:17:15.33 ID:4skl0XzU
>>962
間違いないなw

965 :人間七七四年:2013/03/03(日) 00:21:11.80 ID:GogOYmWS
>>959
東軍には讒言や売国行為を繰り返した奸臣を成敗するという強力な大義名分があったのだから仕方がない
これほど完璧な大義名分を見せられれば毛利でなくても良識ある人間なら東軍に対して真剣に戦うことは不可能だろ
実際に西軍大名の多くは自分達が行動が謀反であることに気付いて戦意を喪失し改心した
それでも奸臣に人質を握られ正面から反抗できない改心者に可能な精一杯の罪滅ぼしは軍を分散させたり内通することだろ
四国や伊勢への派遣や本戦で何もしなかったことで君の主張した通りに毛利が改心し東軍への精一杯の罪滅ぼしをできたのだから良かったね

966 :人間七七四年:2013/03/03(日) 00:22:29.67 ID:4skl0XzU
>>963
三成等だけなら伏見が持ちこたえてるうちに大返しして強襲(当初案)
毛利まで放棄したから一旦本隊を江戸に返して切り崩し(史実)
上杉討伐軍にまで西軍派が出るなら防衛・引き込んで決戦(最悪の場合)

こんなもんだろ

967 :人間七七四年:2013/03/03(日) 03:09:04.12 ID:lOamzYs9
>>961
>>輝元は、東軍(家康)の撃破を至上命題としていない。西軍の総大将という立場を自国の目的とは『自領の拡大』と『瀬戸内海易の確保』。
だから総大将にもかかわらず軍分散してどうでもいい所攻めて本決戦で軍ろくに動かさず敗北する毛利が糞すぎるといってるわけで。
大体自分が総大将にもかかわらず東軍との本決戦に敗れれば自国の領域拡大も瀬戸内海の利権も糞もないわけで。
あと関が原直後には毛利の厳封が決まってるのに厳封確定になった時点で厳封する事が決まった領域を一時的に持ってた事をもって「領土は最大」などとはいわん
あと8/10石田←佐竹書状で「輝元は家康が到着したら三万を召し連れて出陣する」と書いており西軍方は家康との本決戦にあたって総大将であり最も巨大な軍団を持ってた輝元を
主力として東軍を迎撃しようと考えていたが当の輝元が再三に渡る石田ら西軍の援軍要請を無視しまくって本決戦で敗れる理由となったわけ。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

三成ら西軍諸侯は輝元に援軍要請している(8/29保科正光→黒河内長三、9/12石田三成→増田)
が輝元は無視して伊勢湾やら四国やらに軍向けるばかり
また、美濃攻防時三成は織田秀信救援軍として美濃河渡において東軍と戦っているが数が足りず、敗れている
このときも毛利の大軍の後詰が素直に行われていれば簡単に撃退できたはずだが輝元は大阪から足を動かさず
伊勢湾に軍船送って荒らしまわるだけ。
はっきりいって奉行衆がどんな名将でも総大将がここまでのクズだとどんな軍でも勝ちようがない
西軍の中核は毛利軍や小早川軍など毛利一族の軍であり
こいつらが全く使い物にならない以上、西軍に勝つ事なんて無理で三成の能力どうこうの問題ではない

968 :人間七七四年:2013/03/03(日) 03:10:05.15 ID:s3V49jJH
関が原本戦に負ければ自領の拡大も瀬戸内の権益も糞もないし
逆に勝てば総大将として領土も権益も最大限に拡張するのに
そんな事もわからないとか相当の馬鹿だな

969 :人間七七四年:2013/03/03(日) 03:10:42.50 ID:lOamzYs9
四国方面への拡張とか言ってるけど中途半端に伊勢湾荒らし回ったり伊勢侵攻軍派遣したり
関が原本戦でも一応は軍派遣してるから(全く使い物にならなかったが)
別に戦略というほどの物が輝元にあったか非常に怪しいがな

970 :人間七七四年:2013/03/03(日) 03:15:56.71 ID:s3V49jJH
>>960
禿同
アホ元の馬鹿さ加減で被害蒙りまくったのが三成。
家康なんてそもそも盟約破って諸大名との婚姻行ったり
いちゃもんつけて浅野や前田を屈服させたり失脚させたりめちゃくちゃやってるからね
三成はそれに対して異を唱えたり諸大名の領土削って豊臣蔵入り地増えやそうと頑張ってきたから
家康に篭絡された馬鹿な豊臣武功派連中が起こした三成襲撃事件後の失脚後ですら関が原では畿内だけで18万もの圧倒的大軍が
味方についてるからね
いかに家康の行いを諸大名が間違ったものだと考えていた証拠だろう
そんな負けるわけもない状況でアホ元の馬鹿さ加減で負けたのが西軍

971 :人間七七四年:2013/03/03(日) 03:39:16.26 ID:c70jvaE8
>>970
百姓の後釜として頑張ってほしい。

972 :人間七七四年:2013/03/03(日) 11:04:50.99 ID:Qlm5J2JU
そもそも豊臣家に求心力がなくなってる政治背景を知らんみたいだから仕方ない。

973 :人間七七四年:2013/03/03(日) 16:27:48.37 ID:vZjJQ9rw
長文と自演で輝元を異常に貶しまくってる人どっかの関ヶ原スレにもいたけど同一人物かな?
そこでもあまりのキチぶりに皆にフルボッコにされてた

974 :人間七七四年:2013/03/03(日) 17:04:59.70 ID:YP5sBAAW
全否定はしないが、
次スレからはスルー気味で頼むぞ!!w

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1362291265/l20

975 :人間七七四年:2013/03/03(日) 18:33:06.14 ID:4skl0XzU
>>973
つか戦国板名物のあの方だろ

976 :人間七七四年:2013/03/04(月) 01:15:40.69 ID:vLX1p0P+
自分の導いた結論に、都合良く解釈した根拠を付するから
中立性を欠いたメチャクチャな主張なんだよな。

977 :人間七七四年:2013/03/04(月) 10:15:24.04 ID:hauFFl4k
電波な結論に導くためなら史料の改竄とか平気でするし、
他の史料を捏造呼ばわりするしな。

誰も相手せずにスルーするから、自演しちゃうし
アレはどうしようもないクズだな。

978 :人間七七四年:2013/03/04(月) 21:49:30.21 ID:9FT2Zqrm
平日に来ないから、案外有職者なのにお前らときたら、、、w

979 :人間七七四年:2013/03/04(月) 22:30:49.54 ID:3X5beWNu
病院だろ

980 :人間七七四年:2013/03/04(月) 22:57:08.18 ID:fn/cGuRI
日本史板はそれなりに普通に
論議になるが、戦国だけはなんかおかしなのが
多いんだよな。
妄想くんだけじゃなくて確信犯みたいな
危ない系というか。

981 :人間七七四年:2013/03/04(月) 23:05:54.88 ID:qR1NSlUr
家康が最も恐れた男は誰なのか?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1299835153/

そう思うならここにも湧いてる奴を通報してきてくれ

982 :人間七七四年:2013/03/04(月) 23:08:10.02 ID:9FT2Zqrm
じゃあ日本史板に統合しちゃえば良いのにな。

過疎りまくりなのにどこが戦国ブームなんだか、、、

983 :人間七七四年:2013/03/05(火) 11:08:17.17 ID:o+bA4p+T
>>980
日本史板も駄目駄目だろ

984 :人間七七四年:2013/03/05(火) 12:33:18.13 ID:5YHR/fa9
>>983
あそこはヤマタイコク系が活発で
おもろいわ。

985 :人間七七四年:2013/03/06(水) 00:44:23.55 ID:bmvIlFy/
関ヶ原の戦を一日で終わらせその後すみやかに大坂城入城。民の塗炭の苦しみを最小限に抑え天下泰平に邁進する家康公。他の芋武将にこんなことできるか?ん?おう?

986 :人間七七四年:2013/03/06(水) 09:38:36.00 ID:S8T4vvcT
秀逸過ぎる組織構築続けてたら、
安全係数掛けても天下取れそうだったから
動いただけとも言えるけどなw

987 :人間七七四年:2013/03/06(水) 12:12:33.34 ID:/n/vzT76
三成という日本史上でも類を見ないほどの奸臣を見事に討伐した家康は偉大だよ
あのまま三成をのさばらせていたら日本は支那や朝鮮の属国にされていた
家康は日本の独立を守った英雄である

988 :人間七七四年:2013/03/06(水) 13:10:28.66 ID:S8T4vvcT
家康公信奉してるけど、
三成が悪いって別に思わんのだけど、、、

989 :人間七七四年:2013/03/06(水) 13:12:44.10 ID:76K/+dF+
かまってちゃんはスルーしとけって

990 :人間七七四年:2013/03/06(水) 13:44:50.51 ID:S8T4vvcT
早くスレ埋めたいの!

991 :人間七七四年:2013/03/06(水) 14:20:52.48 ID:e0igQsUp
梅雪

992 :人間七七四年:2013/03/06(水) 14:47:16.60 ID:S8T4vvcT
梅毒

993 :人間七七四年:2013/03/06(水) 17:09:10.32 ID:Sx1XIaRA
おい何か反応しろよ、俺↑の書込みが
スベッた感出ちゃうだろw

994 :人間七七四年:2013/03/06(水) 17:19:09.54 ID:Ffq0Ba7k


995 :人間七七四年:2013/03/06(水) 17:25:48.14 ID:Uxv1xCL2
うめ

996 :人間七七四年:2013/03/06(水) 17:29:34.99 ID:bmvIlFy/
三河武士

997 :人間七七四年:2013/03/06(水) 17:31:43.16 ID:bmvIlFy/
大御所

998 :人間七七四年:2013/03/06(水) 17:33:03.37 ID:bmvIlFy/
東照大権現

999 :人間七七四年:2013/03/06(水) 17:34:13.21 ID:bmvIlFy/
海道一の弓とり

1000 :人間七七四年:2013/03/06(水) 17:36:24.25 ID:bmvIlFy/
泰平の鬼

1001 :1001:Over 1000 Thread
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
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